タスク管理と仮固定
タスク管理は仮固定なのか。を読んだ。
タスク管理において、リストの語と指示対象は絶対的な一対一対応関係にならない。
言葉を使う知的な営みはすべてこの性質を持っている。
にも、かかわらず私たちの日常はそれで困ることがない。それは私たちがある限定された言葉を使う共同体に属しているからだ(この議論はウィトゲンシュタインあるいは、彼の議論を引き継いだクリプキを参照のこと)。
だから買い物リストに「肉」と書いて、現実的に迷うことはほとんどない。迷うのは今日初めてお使いを頼まれた子どもや、めったに買い物に行かないのに仕方なく買い物を頼まれた大人である。そうでない人間は、何も悩むことなく書かれたものを理解し、棚に手を伸ばしている。それが何を意味しているのかを無意識で理解している。限定している。
つまり、私たちは固定してしまっているのだ。というよりも、固定できているからつつがなく日常が送れている。
しかしそうでない事態が起きるときもある。そうしたときに、固定していたものをズラす必要がある。
「これは絶対にやらなければならないことだ」と認識していたものを、「いやまてよ、今日でなくてもいいな」と再認識すること。そういうことが可能であると解釈すること。
一度作ったタスクリストを、絶対に変えてはいけないというのは固定されすぎた状態である。『Re:vision: タスクリストとアウトライン』と いう著作で述べたのは、いやいやそうではないのだ。それはあくまで仮の固定されたものなのだ、ということだ。
本来的に言語は「絶対的な一対一対応関係」を持ちえない。ある視点から固定されているように思えても、別の視点ではそれは変化しうるものである。私たちの日常で凝り固まっている固定的な視点を、仮固定にズラすこと。これが、柔軟な(あるいは現実的な)タスク管理においては重要である。
それと共に、何も決められない状況、あれもこれもが大切だと(重要だと)思えて手が付けられない状態では、意識的に「とりあえず、こうしよう」と決めることも必要になる。
つまり、固定から仮固定へのズラしと共に、無固定から仮固定へのスライドもまた適切なタスク管理では重要になるだろう。