2025/5/26
from 2025/5/25
本日は2025/5/26。まだ曇りが続く。肌寒い。
脳に入っている情報 / 題名のない結び目 / 下読み時に気をつけていること|倉下忠憲が配信。
Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2025/05/26 第763号
『新版 就職しないで生きるには』(レイモンド・マンゴー)を買った
https://gyazo.com/2f50e42d5cc07b4ff79913b636caba7e
infoboxで遊ぶ - by 倉下忠憲@rashita2 - トンネルChannelを配信した
バレットジャーナル | Knowledge Walkersを作成した(昨日調べたことをベースに)
/choiyaki/1枚1パラグラフで書く
それはさておき、1パラグラフで書くとはどういうことだろうか。
たぶん多くの日本人はそのスキルを有していないと予想する。
日本語作文の「段落」と、英語圏の「パラグラフ」の違い。
/kohtecho/250525
そして憧れで駆動する・・・同じ電車に乗り合わせるとしても、降りる駅はたぶん違う、ということを意識しておく
良い言葉だ。
同じ電車に乗り合わせるとしても、降りる駅はたぶん違う
たぶん、AIは上を今日の名言としてピックアップするのでは、と予想。
ほら。
https://gyazo.com/e55c2d65d29ee8bdbb6081a3617a1803
日ごとノート(デイリーページ)も、一つのページである(そりゃそう)
Capacitiesでは特別な扱いを受けているし、それが適切だとは思うけども、Cosenseではそうした特別視はしない運用にしよう。
だいたい昨日のノートから作られるので、fromを先頭に置くことも気にしない(他のページでもそうしているものは多い)
運用の原則で言えば、実際このページのタイトルは「2025/5/26」ではなく「2025/5/26の日記」とか「2025/5/26のロギング」「2025/5/26の結節点」とかであるべき。その上で、日付のリンクをページ内に添えておく。
しかしそうすると、ページのサジェストで似たようなものが二つ出てくることになる。それは鬱陶しいと予想される。なので、心の中では「2025/5/26の日記」と読みながら「2025/5/26」というリンクを使う。
できるだけ、その実体を表す適切な名前を与えよ、がデジタルノーティングの原則。
2025年05月26日の昨日のノート処理
1時間30分ほどかかった。
このようにノートをどう処理するか考えることが、自分が書いて考えたことについて考えることにつながっているし、新しいページも生まれている。
一般的な分類に情報を入れていって終わり、というのとは決定的に違っている。
定型的な処理をしていきたいという欲望にできるだけ抗う。
できるだけ、ユーモアと共にある(ユーモアと共にいきる)
ノート裏表紙にはがせるラベルシールを貼ってインデックスを作る|のらてつ
シールでインデックスを作る、という発想。
綴じノートで有効そう
ルーズリーフだとどうだろうか(そもそもルーズリーフとインデックス問題がある)
何かしらの話題を、「〜〜〜問題」と名づけること
解決すべき対象、不具合というニュアンスは抜きにして
そうして名づけることは、その対象を「問題」オブジェクトとして扱うことにする、という決定とイコールである。
「デジタルノートとコントロール感」の話は、デジタルノートの話題に入れることもできるし、コントロール感が物事の遂行においてどれだけ大切かというコントロール感の話題に入れることもできる。自分の専門性=テーマが決まっていればこの振れ幅を沈めることができるだろうが、今の倉下にはできない。本来ここで「ハイパーリンク」が役立つはずなのだけども。
「これについてなんとかできる」と実感できること
能力の向上とコントロール感の変化、その限界
支配欲求を強めると、コントロール感を失うこと(ストア哲学)
ノウハウとコントロール感、全能感とコントロール感
一つ言えるのは、このようにしてうまく扱えないものこそ重要ということ。
コントロール感がキーになって、複数の領域をまたいでいるということ
だったらどうするか?
エピソードを抜いて、ページを作ればいい。
コントロール感について
これはこれで良いとして、エピソードを交えた記事を書いてもいい
先ほど「DIKWピラミッド」という言葉を調べて、ページを作った。
ICISモデルでは独立したページを作らないので、たとえば「調べた言葉」というページを作り、そこからリンクをはやすことができる。
そうすれば「そういえば、以前調べたあの言葉なんだっけな」というシチュエーションで再会できるようになる。
でも、それでいいのか?
ルートはたくさんあったほうがいいので、そういうルールが確保されていてもいいが、それだけだと自分の思考の構造にはアクセスルートができていない。
ここでも「この情報とどんな文脈のときに再会したいのか?」を考える必要がある。
DIKWピラミッドは、情報が加工されるうちに質的に変化していく流れ(プロセス)を表している。カテゴリで言えば、WIKIPEDIAにあるように情報科学になるだろう。しかし、私の関心はそこにはない。
ではどこにあるか?
まず、分類の作り方の例である。
次に、情報を整理する上で参考になる考え方である。
同時に、思考を補助する概念でもある。
複数に位置づけられるとして、(今の)自分の中で一番重要なのは「情報整理」だろう。そこに位置づけるのがよい?
for 2025/5/27