2025/4/19
(ここに今日意識したいことを書く(ランダムに選ぶ)、というのはどうか。広告で言えば一等地だ)
今日は土曜日
あとで読む=>意外と知らない地理と生物の関係 - by ゆうびんや - 独学同好会通信
あとで読む=>https://bsky.app/profile/noratetsu.bsky.social/post/3ln3dekbfkk2j
ファイルとファイルの間の親子関係を記述してアウトライン表示
一日に一枚タロットカードを引く、という実験
リアルのタロットカードを買ってこようか
MTGのカードで代替してもよい
/jinJIN/2025/4/18
こだわりが発生する原因は、おそらく自分の決めた水準に到達したときの達成感にあると思います。
たとえば、2分間普通に呼吸したとして達成感が生まれるかというと怪しい。同様に、残虐な独裁者の命令で嫌な仕事をさせられたときも同様だろう。達成感はある状態においてのみ発生する。そこに「自分の決めた」という要素がかかわってくる。
自分で決めていても、永遠に達成できないこだわり(失敗し続けるこだわり)は精神衛生上よろしくないとも思う。自分が決めた、可能なこだわりが達成感にアクセスできる。すべてのひげそりに哲学があるのは、まさにひげそりが(雑に言って)万人に達成可能な行為だからではないか。たとえば、すべての戦争に哲学がある、というテーゼと見比べてみよ。
ここまでまとまると、こだわりを仕事に持つことはごきげん仕事術に通じることにも納得しました。
ここまでで、いくつかのキーワード、キーフレーズが出てきた。幸せ/幸福、こだわり、ごきげん。
「こだわり」と「ごきげん」は、頭が「こ」で共通しているのでなんとなくまとめられそうな予感がある(4Pならぬ4こ」とか(語呂は良くない)
とりあえず、こだわりを持つことでご機嫌(自分なりの達成感・充実感を持って生きていくこと、仕事をすること)であり続けることができる、というテーゼを立てたとして、強すぎるこだわりはそのご機嫌を損なうであろうことが予想される。つまり、ちょうどよいこだわりであることも重要な要件だろう。
言い方をかえれば、ごきげん状態が達成・維持されているかという点を評価軸に加えれば、こだわりへの没頭具合が評価できる。つまり「こだわりを持つことはいいことだ」と単文で構成してしまうと、それが増長してしまうことが避けられない。一方で、「ごきげんが維持されている限り」、というようなもう一節を加えることで、その二つの要素に「関係」が生まれ、指標が調整し合うことになる。
たぶん、いわゆる著名なビジネスパーソンでごきげんに仕事をしている人は、その人の能力の高低とは別のところで「こだわり」を持って仕事に当たっていると思う。
「こだわりなんてないです」とうそぶくひともいるが、それが本当だとしてもたぶん「特定の価値観に強く没入しない」というこだわりをもっていると解釈できる。
こだわりを持つことは、ありのままに生きることとは異なるだろう。
いや、上の見方を拝借すれば「ありのままに生きる」というこだわりを持っているとも言える。
ある水準・基準に向けて、自分のやっていることに注意を向けて、行為を進めていく、ということが発生するならば程度の差はあれそこに「こだわり」の萌芽がある。
仕事にせよ、生き方にせよ、上記は「どうやって仕事するのか」「どうやって生きるのか」という一つのアプローチであるように思う。
「どうやって仕事をするんですか?」「周りの空気を読んで」という答えしかないのは寂しい。
たぶんこだわりをもって生きることは、何も意識せず、注意も払わず、なめらかに生きていくことと距離を置くことだと思う。倉下の概念で言えばぎくしゃくして生きること。
これまで、セルフスタディーズとかセルフカルチャーといった用語で「後から考えよう」と思っていたことが、ジンさんの書き込みに刺激される形でどんどん文・文章になってきている。他律駆動。でも結局、脳は閉じこもっているよりも、そんな感じで応答している方がうまく働くのだろう。
セルフ・プロンプト
これは「常に話し合って決めろ」というのではない。片方でひとりで考える営みがあり、もう片方に考えたことを出し合う(共有する)場があった方がいい、という話だ。
/taskmanagement/2025/4
付箋
75×25を使い出した
https://gyazo.com/9d6a82d3c7ac5e57819ec5fe9a85bfd1
右の方が 75mm 25mm
アイデア出しでよく使っているサイズ
/arpla/(☕2)ページ
上の方にインデックスがあり、下には雑記がまとめられている。
なかなかよさそうなページ構成。
階層がなく、すべてがフラットな行で、行同士の参照関係だけがあるツール、を夢想している。
上のツールと、最近考えている断片を扱うツールとの関係性がまだ見えてこない。でもって、自分が求めている思考ツールはそのような関係性を扱えるツールなのであった。
専門的な研究ではなく、知をわたる人向けの手法を確立したい。つまり興味があるままに読み書きし、それを何かしらの形に向けて育てていけるようなKnowledge Walkers向けのツール。
別に生成AIでつくった文章が面白くないわけではなく、面白さを増やさない使い方がなされているだけ。あるいは書きたいことがない人が書くことをやっているだけ。倉下は博愛主義寄りの考え方を持っていると思うが、書きたいことがない人は別に書かなくていいんじゃないかと思っている。
書きたいことがあるんだけども、スキル不足でそれがうまく書けないという人が生成AIの助力によって表現を可能にする、という世界線は祝福して迎えたい。
zoomとかでリアルタイムで集まると、やはり3〜4人以上の会話は難しいが、日ごとノートを介してであれば(リアルタイム生は失われるけども)並行的に複数人と話題をやりとりできる良さがある。
というかそれがTwitterの良さだったわけだけども。
コスパは文化を殺す。文化とは「別にやらなくてもいいこと」を楽しむことだから。
@rashita2: 用途の話とツールの話は区別できるならしておいた方がいい。
SNSなどで「Obsidianは〜〜」みたいな話があるが、多くの場合「自分の使い方でのObsidianは」という話で、実際は用途の話になっていることが多い。それでは話は噛み合わないだろう。日常的な会話であればそうした噛み合わさも時間と共に調整されるが、文字数の少ないSNSではそれも期待できない。
一週間分の日ごとノートを読み返したときに以下のような感触がある
そのまま置いておいてOK
明確に切り出せる
重要だとわかるが位置づけがわからない
何か別のところで似たことを思いついた
日ごとノートに区分(領域)を設ける
「その日」であることが重要な情報は上部にまとめる
とりあえず書いて書き出したページも上部にまとめる
単にその日思いついたからここに書いたけども日付が重要ではない情報は上部にはまとめない
箇条書きリストのようにまとめず、ブロックのように空改行をおいて並べていく
着想メモを読み返したいときは、その部分だけに注意を向ければいい
一日の出来事を振り返りたいならば上部だけに注意を向ければいい
思考は日付の中で行われるが(人間存在が時間の中に位置するから)、その内容は日付を越境する
関連があるものが出てきても、あまり即座にまとめる処理をしない方がよいだろう、という予感がある。
敏感な反応は、過剰な学習を引き起こす、局所的な最適に陥る
感度を上げすぎると、バカになる(何か別の言い換えが欲しい)
少しの期間はたゆたわせておく
一日のはじめにタロットカードを引くことは(あるいは占いをチェックすることは)、生活に偶有性を取り込むことだ
自意識だけで生活を構成しない→他にひらく
自分の好みへの眼差し(💡)
「言葉を巡る物語だから、自分は水星の魔女が好きなのだろうな」という推論の形をとる
あたかもそれは、他者の好みを推測するかのごとく
すでに差別的なまなざしが存在する人に「共感を持って」読んでもらおうと思えば、コンテンツもまた差別的な眼差しに親和的に鳴らざるを得ない。(★ミニエッセイ)
差別的なものに限らない。
何かしらの作業を20%効率化、みたいなまなざしは、そもそもその作業をする必要なくない? というより大きな視点をむしろ阻害する。特に「効率化をなしとげた、俺スゲー」という自尊心とからんでいるとますますその環境の安定化が期待される。
それは社会批判で名をあげてしまえば、何かしらの「問題」がないと困るので、あちらこちらで「問題」をねつ造していくようになるのと同じ構造。
エントロピー(PoIC)のメタファーでもなく熟成(メタ・ノート)のメタファーでもない新しいメタファーの獲得が必要だ
WorkFlowyであれば、アイデアの種のようなものに記号(★)をつけておくだけで済ませるだろう。そして、たまにそれで検索する。検索結果を直接操作できるから、扱いはかなりやりやすい。Cosenseでは、そこまでの機動性はない。それをどう考えるか。
月ノートにピックアップしていくのは、メタノートに近いイメージ。ピックアップすると、ピックアップ先での編集容易性があがる。
そういえば、PoICもメタ・ノートもどちらも「すぐには処理しない」という点が共通している
変転していくものにおいてパーマネントカードのような扱いは好ましくない
たぶんCosenseにおいては、WorkFlowyのような運用とはまったく別のアプローチが必要。でもって、今の自分が考えているアプローチはCosenseよりはどちらかと言えば、Workflowy側に近いしもっと言えば自作ツールのそれに近い。ここで、ここまで考えてきたいろいろなことが整理できるようになる。
可能な限り行単位で残していき、それに印をつけて後から操作できるようにすること。
日ごとノートを、少しずつ処理していって、もう二度と読み返す必要がない出がらしの状態にしていくのか、それとも時間が経っても何かしら面白いものが含まれている可能性があるものとして扱うのか。
このページの意義は以下の二つ
日付に関する記録・記述を残せる
日付以外に位置づける場所が見当たらない記述を残せる
本を読み終えたら、その本をどこかに位置づける
go to the next day:2025/4/20
#ロギング日報