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並行読み中の本
高校生のための文章読本
「読み」の整理学
ダブリナーズ
すべての美しい馬
ボッコちゃん
ハックルベリー・フィンの冒険
雑記
心配するような用事がない、あとは寝るだけってサイコー!😇
また面白そうな本を見かけてしまった……ワクワクするあまり胃のあたりでトグロを巻いてるような気持ち悪さ。
二ヶ月間、心にのしかかっていた用事が無事終了。報酬まで貰ってしまった。
気が抜けて爆睡しそう。夜は夜で遊ぶ約束をしているので寝過ごさないように。
掃除って料理と同様に創作的な時間だと思った。あんなに長時間やって飽きないのだし。今回のは道具の準備は充分でなかったけど、そのぶん工夫しがいがあって特に楽しかった。
最近について考えると、ゲームと本にはかなり救われてる。この二つがなければもっと退屈だろうし、刺激不足により何をしても退屈を感じやすかったかもしれない。特に、ゲームはタスク管理と終わらないくらいやることがあるのでリアル共に時間の配分細かく(忙しく)なる。そうすると生活上での動作が機敏、効率的になる。
以前はゲームの代わりだったのが創作だったが、今は描かなくても交流する時間が必ずあるから描いて「見て見て」せずに済んでいる。半自己完結型で済ませることができる。やっている最中は気づかなかったが、趣味絵でのSNS交流にはゲームに課金するより金がかかっていた。なんなら年間で見た本代よりゲーム代はかかってない。
趣味絵とはジャンルが違うが、仕事で描くようになって描くこと自体に飽きてるというのもある。発想を逆にしてみると、遊びを本命にした場合の息抜きとしての仕事はありかも。
ゲームは将来の投資とか人生の糧とか金にはならないが(むしろ吸われる)、金にならないものに一番頑張れる(金のために生きない)のだったら私的にいい人生と言える。
何が必要で何がいらないか、という言葉が離れない。
早起きしなきゃならないと思うと眠れなくなる。そのうえ疲れすぎている。いっそのこと徹夜して臨むか……車の運転はないし。用事〜 早く終わって私の中からいなくなれ〜
明日は朝イチで用事があるのに、この疲労感。起きられるのだろうか……寝る前のハックルベリーはやめておく。
大掃除になってしまったせいで、筋肉痛が辛い。しかも血行が悪い期間なのでバキバキになってしまった。困るのは私だけだしまぁいいか。結局この時間まで無駄にかけてしまった……辞められない止まらない
みんなが得をすることをした。
読み上げ機能を使う時に今までの本は全て女性の声だったのが、ハックルベリーの時だけ男性声になるのが不思議で仕方ない。そんな機能が入ったのかな。まぁ世界観には合っているからいいか。
最近地盤の動きが活発になってる気がする。静かにしているとよくわかる。嬉しくない。
今日もハックルベリーを数章読んだ。正直、数本の映画を一度に観るような面白さがある。人によると思うけど、私は読むあいだ中ハラハラしている。一見自由な彼らは、警戒しなければならないことに囲まれているのだ。当然、ゆっくり読むことなどできない。初読あるある。この本は寝る前に読んでいいヤツではない。
ボッコちゃんは別の面白さから昼間に読みたい一冊だ。当分は無理だけど。
実在の国(島を含む)の出てくる小説の舞台を一枚の地図におさめてみたい。そうやってヘロドトスの地図みたいにしたい。
熱がおさまり関節痛も和らいだので大慌てでずれこんでいる掃除をしまくった。
絵師さん方の推し活の移り変わりをXで見て、早々に辞めたり降りたりして良かったと思う。あの流れの速さを見るに、自分は一つの推しに長くなるタイプだろうから。
同時にすべての美しい馬も読んでいるので、記憶フォルダの景色が混ざりそう。
ハックの話す癖に慣れてきて、進み始めた。この本は今の児童書に置くには過激に思える。序盤からすでにアメリカが詰まっている、さすが元祖と言うべきか。たびたびの環境の変化に順応したり、ハプニングで当位即妙に乗り切るハックは興味深い。あとやばい父親が夢に出てきそうで怖い。
卓上の加湿器を買ってもらった。雫型で可愛い。たちのぼる蒸気は見ていて飽きない。
あれからなんか寒気がするので測ったら熱が出ていた。発熱は久しぶりである。最後に関節痛のある熱を出したのはコロナ前だった気がする。一晩寝て汗をかいたら熱は下がった。熱を出した時の汗は普段の汗と違って草っぽい。体は干からびた枯れ葉だ。
首周りが寒いのでトレーナーを着ずに首にかけてから巻いてる。巻き物は素材の肌触りに難あり。
ディスコードタイプのコミュニティについては今は別のところで毎日活動しているので満腹している。やらなきゃいけない日課はあるしストレスがないわけではないが、今のところを見つけるまで1年間に何件も渡り歩いた中では自分に一番合っている。結局のところ、各コミュニティの価値は参加する前から周囲によって都度測られ、選ばれている。
アープラノートに記事を作っている人達は知的好奇心が旺盛ですごい👍 知らないこと、人の思考がページという形で増え続けているのが面白い。何も考えずに眺めると断片の集まりで、使い方(組み合わせ)を変えたら奇抜さやアイデアが生まれそう。文字数も長短混濁しているのがいい。アープラノートのカード鑑賞
活動を眺めていると、私はこれといって興味のあるものがないかもしれない、知りたい人物や思想、型が思いつかない。ここで記事にして活動するのとは異なる形、ジャンルで日常生活中に達成しているのかもしれない。
お腹がいっぱいではちきれんばかり〜。白飯が嬉しくてつい……ってあれ?おかわりしてなかったわ。
食を抑えていたから胃が縮んでしまったのか。
お年賀にいただいたマカロンを一口。直径5センチの怪物だ。ナンジャコリャ〜!(甘すぎんだろ)
餡なしマカロンでいいと思うの。
大人は無邪気さという棘をどう表現しまた人から隠し持ち続けるか。
人は支配と服従関係がなければ殺し合う生き物とな。平和の長い時期は世の中の支配と服従関係がうまくいっているってことかな。その中で迫害や一方的な殺戮があったりもするのでおそろしいが。そもそもその仕組みは野生的なのにいまだかわる手段がないという。完璧に近い仕組みということ?
私の思い出す時の記憶は後でどう思ったかとか印象を肉付けしているもので、何が起こって誰が何をし何を言ったかのみがちょっとだけホントのところ。ちょっとだけとしたのはそこにも(自分に都合のいい)改ざんがありうる。
“ざらつく光の粒子がまばらに散る外” 『すべての美しい馬』
最初の書き出しからシームレスというか、読点のない短(当社比)文が連続すると景色が流れているような、映画を見ているように思い浮かぶ。そもそも私たちが見る景色はそういうものなのだし、本来的な文かもしれない。
一日でだいぶ胃の調子はよくなった。
鍋焼きうどんなど買ってきてもらったが、温めている最中に別室でマインスイーパーに夢中になり、焦がしてしまった。
冬らしい寒さは肩から冷えるもの。それでも冬は好きだな。
今日は胃の調子が悪く、椅子に座るのもしんどかった。それでも約束した作業は完遂できたのでよしとする。
お正月の食べ過ぎによるものと思われる。早く治して残りのお餅を食べなければ。
人口が減ってる日本人が、綺麗な仕事、やりたい仕事しかしなくなったら、やっぱりよその国の人にその他の人の足りない仕事をしてもらうのだろうか。というかもうそうなっているかもしれないけど。もしそうなら多民族国家の方を目指さなきゃだし、その先の凋落もあるし少数民族の生き残り方を想像しなきゃ。
うまいこと工夫して極力ネタバレしない上で感想を書けるようになりたい。想像すると緊張感があるわ。
☕2垢でアープラを少し見てきた。放置されている尻取裏を見たらやりたくなってしまった(目に止まったお気に入りのものにたまに触りたくなるやつ)。アープラはチャンネルが増えてから情報量的にも見られなくて、ますます(曲線で作られた)迷路のようだ。
そういえば一つ一つのチャンネルの発展具合はどうなんだろうな。デッドスペースがどのくらいあるのか、逆に返り咲いてるチャンネルはどうか、使われない理由とか暇ができたら調べて考えてみたくなる。
アープラは衝突可能性を内包するにある“カオス“という言葉で私はアープラを未開の土地とイメージした。私が思うカオスとは野性、獣の世界だからだろう。住んでいるうちに抑圧された一面が解放されて感情が増幅されたりするかもしれない。少しずつ集落にはなっているが、ジャングルに身一つ(理性)で住み続けることは可能なのかどうか、とか想像する。 連想で闇の奥っぽい。そういえばあれもわからないから恐怖が生まれる、差別手前の恐怖を書いているみたいだ。
しまった、ダブリナーズの書きこみを探すの忘れてた。でも自分の感想を持つなら通し読み終わってからがいいか。
ダブリナーズの『姉妹』だけ読んだ。まずタイトルと主人公?の関係が謎だ。いつもはとりあえず通し読みをするのだけど、今回はてんで謎だらけなので一編を何回か通ってみよう。
ひょっとして、と思い本棚を開けたら過去の私がダブリナーズを買ってた。
音楽の買い物は本の数倍迷うなぁ……もはや家具選びに近い
人の文にある隣の芝生問題。人の鍛錬を想像せず才能のみで書いた的な先入観が関係してるかもしれない。
通販で買った『高校生のための文章読本』と本屋で買った『「読み」の整理学』を並行して読んでいると超楽しくなる。それでカクテル読書を思いついた。もう少し関連の低い本の組み合わせも見つけられたらいい。 日付ページの話題で数年前を思い出していた。あの頃の方たちが今もどこかで元気に過ごしていることを願う。
去年しなかったことを今年は埋めていこう。
お餅を食べてお腹いっぱい。そういえば今年の集まりは両親のことを考えてか餅類が出なくなった。そのぶん家で食べる楽しみが増した気がする。
親戚の集まりの解散後、買い物に付き合ったら本を買ってもらえることに。店内を一周見て回った後の吟味に時間をかける体力がなかったので、通販で注文直前だっただったリディア・デイヴィスを数冊買ってもらった。ちょうど書店にあって嬉しい。ルシア・ベルリンとも繋がりがあるらしいし、どんな読み味か楽しみ。
言葉にするとどんどん軽薄さがあらわれる。
最近考える自分の死について。体調の変化、国力が衰えて治安が悪化したり情勢が不安定になるほど穏やかな死のハードルは上がる。病気もしくは他者による私の死について考えるようになる。もともとミステリは好きだが、ミステリに限らずそのような内容の小説は私の一部分の受け皿になるか、なってきたのかなと思う。
会うたびに同じ話を何度もする父(軽い認知症だと思う)を見て狂人について妄想する。頭が何かに支配されてそのなにかから離れられず、わかっていながら口が勝手に同じ話をする。
それとは別に老いの表現を考える。
年々頭が固くなっているのかもしれないが、ネットでの(未成年者を含んだ)相手や場を選ばない下ネタと酔っ払いトークが不快になってきてる。やはり(いい年した大人のくせにみっともない)という思いがあるのかもしれない。
酔っ払ったり下ネタを楽しむために設けられた店や場所を避けられる現実に対して、ネットの居心地の良い場が突然、一人の言動によって変えられ、避けられないのでストレスになる。
自分の恥ずかしい失敗を含めた過去の様々な経験により、心のどこかで低俗なものを分類しているのかもしれない。不寛容はよくないかもしれないし、かと言ってネットなら何をしてももいいとも言いきれない。ゲーム中の小人数でさえ、そのあたりのモラルのいいグループは少ない。
100冊の中の1冊にロリータがあるから受け入れられるのであって、20も30もロリータがあったらそりゃ大きな不快になるような。
外出する時間が長くなると、家にいる自分の姿(イメージ)がなくなる。それまでどう過ごしていたかを忘れてしまう。おかげで何回も家にいることが好きになる、かもしれない。
親戚の集まりでクタクタになってしまった。それでも離脱せず最後まで起きてはいたのだけど。
立川志らく「今○○を読むとどうなんだろう?自分の残った人生の中で若い頃に読んだ感覚だけで置いていっていいのか」
紅白の玉置さんの歌声を視聴。この方は世界に通用するアーティストだけど、歌声の魚の泳ぎのような自由自在さとか空気の振動はもはや海・空・大地の、地球の営みを感じるレベル。今の歌声にはラブソングのラブも広いイメージを感じる。
そういえばなんでオデュッセウスが主人公に選ばれたんだろうな。
元旦でもご近所さんが静か。廊下の加湿器の音だけがする。静かさは私にとって幸福だ。
筒井康隆の『バブリング創世記』一章で笑った。その次の高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』も耐えられなかった。後者は身に覚えがあるだけに、客観的に眺めるとなんて楽しいことだったんだろうと思う。別役実、(私が)好きそう。
チョイスのセンスがすごい。センスというより選択眼か。吟味、選択するまで何年もかけたに違いない。