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並行読み中の本
『深夜特急』
1984
面白そうメモ
宮沢賢治 - 存在の祭りの中へ
継続中
雑記
風も凸凹していると思うと鳥の飛行能力ってすごいな。
高齢者まわりのストレスの話になり、老いることで周囲に評価されなくなっていく、それによって性格が悪くなる人(将来の自分を含む)とどうやっていくか、老いと肯定していくことや肯定するとはについて考え、話す機会になった。
一晩のうちにタイタニックの絵のモデルポーズと涅槃像ポーズで寝てる人間を見て面白くなった。
廊下に置いてある2台のサーキュレーターがぶつかった拍子かなにかで人知れず向かい合って送風しているのを見た。こんなことだけど(そんなもんだよね)と人生の面白味を感じた。
以前よりネガティブ視点が増えている気がするので最近よく見かける言い換え系の本を一冊買った。
パーシヴァル・エヴェレットの『ジェイムズ』面白そう〜。
今日も物語の持つ癒しの効能を信じることかできてしまう。音が連続する音楽も聞く人の数だけ広がる物語のように考えると楽しそうだ。作り手は置いていっていい。
性格がポジティブだろうがネガティブだろうが、味をしめていると失敗から学ば(べ)ない。この場合、失敗と成功が逆転している?
いくつかの好きな作品の中で描かれる物乞い王(王子)。この設定は海外ではお馴染みなのかな。マーク・トウェインの『王子と乞食』に書かれる立場の交換とはまた違う、気が向いたら調べてみよう。
身分の高い人物が没落する姿が娯楽になる。庶民と同じところから返り咲くと許される。ゲーム性がある。
意地悪な姑のような実家の悪習は受け継いではならないし受け継がせてはならない。実家の誰ひとりそれを問題視してないのが怖いことだと思うが、「どこの家でもしてる」とかあたかも普通の習慣のようにしてはならない(この悪習は狭い世界の洗脳のようなものだと思う。まさに親の因果が子に報いというやつ)。なぜ受け継ぎたくないか考えてみると、この悪習のない人と付き合いたいからだ。
もちろん自分がその中で育ってきて、気づかない間に出てしまうこともあるだろうけど、気づいて自己嫌悪して減らすくらいはしたい。そうすることで私の幸せでなく、私と相手の幸せに向かうと思う。
親はそのまた親、さらにその親は……というように何世代も嫌な目にあってきたのだろうと想像すると、墓参りに手を合わせるご先祖様と生きているその人は別物に感じる。仏様という浄化システム。
岡本太郎の『自分の中に孤独を抱け』、私のモヤモヤをスッキリしてくれそう。岡本氏の人間性モリモリな文は他に類を見ないな、読むと戦える気になる。
河合隼雄のこころの処方箋をペラペラ眺めて楽しんでいる。拗らせている自分でもこういう優しい語りは沁みる。この本もガサガサしてくるところがなく、話を聞いていたいタイプだ。
作業中は人退をヘビロテ。不思議と飽きない……。
単純に会話を聞いていたいのか、人恋しいのかもしれない。ヘビロテするのは知らない話だと気を取られるからだ。
ついに視聴開始してしまったマッツ・ハンニバル。見せてもらおうか、“北欧の至宝”の性能とやらを
さすがハンニバル、えぐい……休み休み見よう。
NBCの作品や昔の文学を読むようになって、大衆小説の文章の幅の狭さが気になって満足感を得にくくなった気がする。
今時の感覚や話し言葉のせいかな、これも距離感の問題?
さらにツッコミを入れると自分の吸収力のなさに驚く。その道を目指してるわけでも拘りがあるわけでもないから吸収とかせんでもいいのでは?と思いつつ。
成田悠輔氏とお坊さんの対談動画面白かったなぁ。