2025/2/28
〜なあなたは、ほげほげだから大丈夫、みたいなふんわりした断定をSNSなどでよく見かける
占いのフレームで受け取られるならよい
実際的なノウハウのフレームで受け取られると、むしろ害がある気がする。
真理と諺
精神論と根性論
罪悪感に基づいた改善、が良くないときに、改善という行為そのものを廃絶しがち
そうではなく、自分の中にある罪悪感と向き合った方が良い
自己否定感なども同じだろう。
まず、メタな認識をする。
まず、というと一気にそれに至る感じがするが、もっと時間をかけた行為
手術が大袈裟
主語が大きい、と類型
対象の認識が大雑把すぎる
花粉症がひどいので、全免疫系を停止させます、というのと同じ
ゆるい自己啓発
自己啓発のコアに触れながらも、それを握りしめることのない営み
ふれる、さわる、
にわか、観光客
「一つのこと」の種別
1メッセージ
choiyakiさんの記事を読んで1メッセージという表現がいいなと思ったら、そもそも発端は自分だった
自分の着想を、自分の思考のアウトラインにうまく組み込めていない証左
『考えの育て方2』では、その点を掘り下げられるようにしよう。
これまで考えてきた、テーゼとカードの話も整理したい。
この塊をどう整理するか
ファイルエクスプローラーをベースにしていると、大量の情報を扱うときに困難が生じる。
リンクベースならなくてもかまない
あってもいいけども、なくてもいい、という状態にいたること
今日の一枚
https://gyazo.com/e99868c481c16aad48fabee5e6ff001e
昨日、ひさびさにWindows機を触った
半角入力するボタンがなかなか見つけられなかった
Macの癖で「かな」を押してしまう
更新アップデートがめちゃくちゃ思い
大学生が使うので、セキュリティがめちゃくちゃ心配だが、アンチウィルスソフトを入れると動作が重くなり、触るのが面倒になりそうな予感。
どの辺の按配で抑えるのかの指示は難しい
大学生が最低限使うレベルでのOffice入門講座
適当に教えてもいいけども、ちゃんとレッスン(カリキュラム)を設計しておきたい気持ちもある
日本の制度の多くは、原理で動いているわけではない
恣意的な判断が多い→空気で動く社会
風通しがよい場所でなら快適だが、そうでなければ重いし、濁った空気では体にも悪い
WorkFlowyの「テーマアウトライン」を解体して、このプロジェクトに入れ込むことを構想する
そのような静的な分類として使うのではなく、もっと「生きた情報」として扱えるようにする
井庭崇のConcept Walk | Creative Reading:『知的生産の技術』(梅棹忠夫)
web-digging
今日料理を始めたばかりの人に、最新鋭の調理器具と食材と調味料を十全に提供しても、プロのシェフみたいにはなれないし、なんならむしろやりにくくなるだろうことは想像できる。
適切な道具の規模というのがある。
入門の設計は、まずごく限られたものからスタートしなければいけない
教える方は知っているので、あれやこれやと教えたくなるが、「入門書」としては要注意だろう
だからといって難しいことを提示してはいけない、ということでもないと思う。
情報「量」だけが問題なはず。
一方で、短いのがよいという話でもない
言語は「浴びるように」耳に入れるから覚えられる。
単純な原理に還元することはできそうもない。
めちゃくちゃ欲しいわけではないが、ヤマザキパンのシールはいつも集めてしまう
貧乏人根性なのか、ある種のゲームとして楽しんでいるのか
今日は妻が風邪を引いているので無理だけども、ギターの練習を再開しようかという気持ちになっている
というか「練習」を意識的にやったことがない気がする
弾きたい曲をなんとか弾けるように悪戦苦闘していただけ、という感じ。
第442回 ディオファントス(後編) - Web連載「数学ガールの秘密ノート」(結城浩)
僕「わかるんだけど、もうちょっと《おもしろいこと》がいえないかと思うんだよ」
わかる感覚だ。
rebuildをきく402
インド人の今のおっさんはゲームをしない(ゲームをするという文化がなかった)
自分と一般的に生活している人の一番の大きな違いはメモの量な気がしてきた
もちろん読書の量も平均よりは大きいけれども
「メモ」を起点とした、Knowledge Walkers向けの知的生産の技術を書く、というのは「自分の仕事」という感じがする
能力主義に関する議論がよくわからないのは、能力がよくわからないからだ
手術の成功率が高い意思が、高給をもらうのはおかしいことなのか?
その仕事が他の人によって支えられていたとしても、その技術を磨くためにお金や環境が必要であったとしても、そこにある高い技術に高い値段をつけるのは不当なのか
この批判が、能力主義への批判として成立しているのかどうかすらわからない
visionというのは「見えるもの」でしかない。
それは現実そのものではない、という意味がはじめから込められている
だから「理想は、現実じゃない」というのは否定でもなんでもなく、ただ定義を確認しているだけ。
現実そのものではないものがあるということ、現実と差異を持つものをイメージする力
それが人間の力の一つであろう。
他の動物や植物に「ビジョン」はあるだろうか
人文的な知に触れていると、たとえば「特権的」というような物の捉え方が習得されてくる
それは他人を批判する言葉にも転化するが、自身のあり方を検討する言葉にも転化しうる
根本的に思い通り(わが=まま)にならないことを理解した上で、それでも良い結果になるように関与すること
完全な支配でも、無気力な放置でもない、その二つの真ん中を歩くこと
『真ん中の歩き方』
それを概念化すると、どんな名前が与えられるだろうか。
あるいは英語で表現すると?
私たちは「慣れる」生き物だ。
不本意な一日だって、それがずっと続けば当たり前になってしまう
現実だけが正しいとするならば、その当たり前は常に正当化され続ける
現実でないもの(ビジョン)を抱き、ときにそれを書き留めておくことはそうした常態化に揺さぶりを与える芽を保持しておくことである
ライフ・アウトラインがある一日|Tak.(Word Piece)
ライフアウトラインを、アウトラインでないもので行う
たとえばカードで
このページの記述一つひとつが潜在的にカードではある
切り出されない状態のカードと切り出されたカードがあるという捉え方
ツイートでやってもいいが編集が面倒
このページは一応時系列で並べているが、絶対的な固定ではないし、ちょこちょこ上に書き足すこともある
順番の入れ替えもできる「スレッド」という感覚が近いか
アウトラインではなくタイムラインに近いか
しかし、ライフタイムラインって「人生年表」という感じがするな
ある記述の中をアウトライン操作したい+それぞれの塊はカード操作したい、という欲求が自分にはある?
すでに一週間分ほどのメモローグが貯まっているが、いくつかを再編して一つの大きな塊を作れそうな気がしている
PoICのタスクフォース
ただしエントロピーを減らすという感じではない
では何か?
アウトライナーでもまったく同じことができるはずだが、どうにもやろうという気持ちになりにくいのはなぜか
そもそも書いていることが違う
アウトラインというUIの表示がネックになっている
エルンスト・マッハは何で有名な人だったかな
人間が甘やかしてくれる環境にいる猫は人間の言葉を覚える必要がない by ラーメン赤猫
『ひとり暮らしの自炊の本』
PART1
そろえよう
調理器具(基本道具)、調味料、便利なオススメ食材
やってみよう
計量、切り方、
おぼえよう
食材の保存、火加減、加熱加減、料理用語
PART2 以降はレシピの紹介
全体として、非常にうまく必要な情報がまとまっていると思う。
『精神の生態学へ 下』 p.90まで。
ベイトソンはここで「情報」を定義している。
情報理論における情報は、つけたす何かではなく、選択肢のあるものを排除する何か、である。
「後の時点での出来事に違いを生むあらゆる違い」
この観点から、情報整理、あるいは「情報」というものの扱いを考えていきたい。
レシピの本はぱらぱら読める
「豚肉」をクリック→豚肉のほげほげ→レシピ登場
というような移動をしなくていい
楽しさをただ待つのではなく、楽しくなるように自分でいろいろと動いていく
取り掛かれば五分で終わる仕事に着手するために20分の儀式を行う
「さっさとやれ」は正論(正しいだけの論説)
Cosenseであるカードの「上のカード」をどう作るのか。
まあ、本文中に書けばいいのだけども、それだけだと「上のカード」という感じがしない
Aというページにいるときに、親Aというページは存在しないとして、
Aというページに親Aというページへのリンクを作って、親Aというページに飛んで、さらにそのページの中にAというページのリンクを作って、相互リンクにする。
その後、Aというページから親Aというページへのリンクを消す、ということまでする?
こういう雑多なメモでも、何か大きなアウトライン(ネットワーク)に組み込まれるもの、何度も言及されるものもあるし、そうでないものもある。
2025/3/1