2025/2/27
メモローグ
これに関する散らばっているメモをまとめておこう
朝はひさびさにコメダ
https://gyazo.com/30c46495fe15bd399f49a922e4c943a1
京都市内で入ったときは540円だったが、こちらは520円。
同じ京都府ですら値段が違う
『メモからはじめる知的生産』
「知的生産」だけの方がいいかな。
たぶん、WorkFlowyで統合する場合は、DoMAの土間の部分にデイリーを並べていき、最上位に重要項目を並べて行く、というのがよさそう。
最上位をMy TOP ITEM とかにするとやってられなくなる。
土間部分にとりあえず、雑多なメモを並べる。
性質に合わせてタグ付け(たとえばTODO)
それらは強いてオーガナイズしない(ストラクチャリングの対象にしない)
何か特別な要件があったら、それを最上位に上げる
これがいわゆる「プロジェクト化」の操作になる
デイリーに書き留めてあるメモはいろいろ移動させて編集させてよいことにする
もともとを残して、コピーしてもいい(手間でなければ)
土間と手間って似てるな
処理済みのものは単純に消すスタイルか、アーカイブにならべていくスタイルで
問題はこのシンプルな方式の場合に、「カード化」が入り込む余地も、それを入れる場所も存在しない、ということ。
運用するとしたら、一つの流れを重視するツェッテルカステン方式がよいだろう。
Cosenseは、基本が「カード化」なので思想はぜんぜん変わってくる
重要なのは「カード」ではなく、「カード化」という点
つまりカードではないものをカードにする
あるいはもともと一枚のカードであったものを複数のカードにする
という「〜にする」という手つき
nizedの処理
私たちは自分たちの日常を共同的な言語ゲームの中で送っている。
異文化交流とは、異なる言語ゲームに出会うことであり、外国語を学ぶことは、新しい言語ゲームを習得することだ
私たちは、いかにしてそれを行うか
「異なるゲームと出会う場所」
言語ゲーム的側面(対人コミュニケーション)
ごく一般的な意味でのゲーム的側面
さまざまなゲーム、あるいはアナログとデジタル
デジタルツールなどの運用について
こういう話で一冊本がかけたら面白そう。
気になる
知覚の宙吊り - 平凡社
noteで「能動的ノート術」のようなフレーズを見かけた
つまり、ノートというのは受動的になされるものという理解がある
教師が前に書いたものを、半ば強制的に書かされるもの、というイメージ。
倉下の場合は、「これについて考えるぜ」とか「このプロジェクトを前に進めるぜ」というのがあって、「よし、ノートを書く」なので、基本的にすべて能動的。
というか、日本社会の多くのノウハウが受動的なものかもしれない。
強制的なもの、というニュアンス。
その反動として、自発的に何かをするということが、あるいはその想像力が抑制されている
そこに反旗を翻したい(野蛮)
自己啓発の「主体的になる、主体性を発揮する」(Be Proactive)の流れを汲みつつも、現実を支配する強度まではいかない、ゆるい自己啓発
『7つの習慣』
何かを徹底しない態度
ほどほどの、テキトーな、
たとえば何かを「つくる」ことは、自分が対象に関与することであり、自分がその対象や状況にまきこまれることである。
その二つの要素の重なり合い
似たことを『思考を耕すノートのつくり方 自分の知的道具を手に入れる』にも書いた気がする。
道具を使うことと、道具に使われることの重なり
概念化=名づけ、をしていなかったか。
相反するものの合一、弁証法ではなく。
絶対矛盾的自己同一、反観合一、中動態、中庸
「アンビバレント」という言葉を改変して、造語できないか
Workflowyの仕切り用項目に画像を当てよう
アスキーアートとかでもいいけど
バインダーノートの扉ページみたいにしたい
思い返しても、運だけで生き延びている気しかしない。
姪っ子に、なぜ理系なのに本が書けるのかと聞かれて、理系でも文章を書くことはいっぱいある、とお茶を濁すことになった
そもそも理系と文系という区分けがうんぬむ、という話はカジュアルな会話には重すぎる
やってはいけない、は制御が難しい。
ここだけやる、これだけやる、は制御の対象になる
ex.「Twitterを見てはいけない」「食後30分だけTwitterを見る」
「物事をスムーズにする」のダブル・ミーニング
何かしらの訓練のトライアングル
とにかく情報を叩き込む
目を鍛える
手持ちのものでいろいろ遊ぶ
ツイートしたものをこっちに持ってくると、上のようにぶつぶつしたものになる。
「文章」としての流れがない。
そのことが、そのアイデアの発展を妨げている雰囲気もある
まあ、ツイートの方を文章で書け、ということなのだろう。
Geminiに村上春樹さんの模倣をしてもらった
っぽいだけだし、そのぽさ成分も牛丼屋で無料でついてくるみそ汁くらいに薄い。
XにおけるSubstackのURLつきのツイートの扱いがかなり悪い気がする
こういうときには「X」と呼ぶのにひっかかりは感じない
『東京都同情塔』を読み始めた
15ページくらいまできたところで、妻に「どんな本?」と聞かれたらなんて答えるだろうなと想像して、いまだ答えは出ず。
文学は誰のためのものなのだろうか。
生きとし生けるものすべて、ではないだろう。
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