2020年3月のアイデアライン
2020/3/1
リストの魔法とメモの魔力
そこにある魔力の源は何か?
変人と凡人
凡人の定義とは?
非凡な才能を持つ人。
そうした結果を出した人
周囲から凡人でないと認められている人
主体化と最高のマネージャー
最高のマネージャーは、自主性を重んじる
セルフマネジメントでは、これはどうなる?
再帰的リストの強力さ
私たちの分類視点
ツリー構造
・掘り下げる
・切り分ける
・俯瞰する(一つ上の階層に立つ)
ここにデジタルでは、編集する、入れ替える、といった操作が加わる。それがアウトライナー。
箇条書き、項目を一つ一つ扱う。という話。断片からの創造に関する話。
2020/3/3
2020/3/6
2020/3/7
ドゥルーズ=ガタリは、どんな風に執筆プロセスを進めていたのだろう
2020/3/10
愚かさは無知からやってくる
給仕は苦役ではない
毎朝うちの妻に朝ごはんを準備し、コーヒーを入れているが、そのことを苦役だと思ったことはない。むしろ、(よほど疲れているとき以外は)楽しいこと、嬉しいことだ。人間に刻印された社会的関係性構築を促すDNAの働きなのかもしれない。あるいは愛か。
2020/3/19
神話素
知的ディレッタントからの連想
編者たちは議論の大枠として、専門家、素人、ディレッタントの関係を次のように定める。専門家はその知識や方法のみならず、学問ないし芸術の共同体の一員であるという制度的な立場によって規定される。素人とは非専門家であり、啓蒙の対象であると同時に、専門家が依存する経済的・政治的な巨大集団である。ディレッタントはこの両者の境界に位置する。ディレッタントには知識があり、知的探究を好んでいるが、学問的・芸術的共同体の一員とは認められていない。しかし、にもかかわらず、ディレッタントは芸術や学問において創造的でありうる。共同体の一員ではないのだから、その活動はまずは私的なものとして始められる。ディレッタントの重要性は、専門化が進行するに連れて高まってゆく。「ディレッタントは専門家ほど学問分野の境界を真剣に考えないことによって、知のさまざまな領域の文化を結びつける。その限りで、ディレッタントは、作品制作上や認識論的な意味でのディシプリンの無さの特別な形態を特徴としている。」しかし、専門への特化が良しとされる現代において、ディレッタントであることは現実的には避けられるべきものと見なされている。そこで本書では「ディレッタンティズム」と「[天命としての]職業(Beruf)」は結びつきえないものなのかどうかが考察されることになる。
中間地点としての(あるいは外縁としての)ディレッタント
ディレッタントの行ったり来たり
触媒としてのディレッタント
橋渡しとしてのディレッタント
知的ディレッタントと在野研究
在野研究とセルフパブリッシング
「私的」であることの意味
情報のうごめき、結晶化作用、文脈が生まれるとき
2023/11
一般意志の腐敗はなぜ起こるのか?
なぜ一般意思は放置されると腐敗していくのか。それもまた訂正なのではないか。
フーコーの権力論の再確認する
エッセイとは何か?
型に嵌まらないものとしてのエッセイ
試論と随筆の差異あるいは共通点。
デジタルツールにおける反生産性
イリイチの反生産性の観点からデジタルツールにおける執筆、あるいは知的生産について検討する。
bikeのような知的道具
◇Steve Jobs on Why Computers Are Like a Bicycle for the Mind (1990) – The Marginalian
Bikeという名は、もちろんスティーブ・ジョブズの言葉「知的自転車」から来ている。
鍵記(kenki)
vimの操作感で使える平面型の情報ツール
人は個人になる
それ以上分割できないものとしての個人といのは、外的に与えられるものではなく、ボトムアップで構成されるものなのだろう。
問い:人はなぜ苦悩を抱えてまで書こうとするのか
問いと問題
問いと問題は違う。
問いはただ問うだけで成立するが、問題はその答えの探究がセットになっている。
話し合うと、話す
一方的に話す。
話すと話すを合わせる
コモンプレイブックとDJ
過去のdigg感が共通している