書くこととそのための道具
『デッドライン』は、東京に住んでいた頃にあった井の頭通り添いの「ドンキホーテ杉並店」が「紳士服の青山」になっていたのをGoogleマップのストリートビューで確認して、2000年代初めの記憶が蘇ってきて、アイデアの断片をアウトライン・プロセッサに書き出すところから始めました。それらをスクリブナーというソフトに持っていって構成を試す。スクリブナーは文章をパーツに分けて執筆し、再構成ができる特殊なワープロで、映像編集ソフトや音楽のDAWに似ています。最近は別の方法を試しているところなんですが。
千葉:そうですね。僕の小説ではDTMで音楽制作をするシーンが出てきますが、実際に高校の時からロジックやキューベースを使っていました。短いフレーズの部品を複数のトラックに並べて、順序と重なりを考えて楽曲にしていくんです。僕はよくセリー(複数の要素を一定の順序に配列したもの)という言葉を使いますが、クラシックの現代音楽には、音程、長さ、強さなどを何らかのルールやコンセプトで展開させたセリーをベースにする——和音とメロディーという古典的関係ではなく——構造的な作曲法があり(ピエール・ブーレーズなど)、僕はそういう前衛も念頭に置いてマルチトラックということを考えています。スクリブナーもそうした感覚で使っていて、あれは文章のセリー主義ですね。ただ、スクリブナーで作り込むと構築性が強くなりすぎるので、普通のワープロでフリースタイルでがしゃがしゃ書いたりするのとミックスしています。ここまで話しちゃっていいのかな(笑)。
千葉:多くの人はワープロ以降、テクノロジーが小説を変えているとは思っていないかもしれないけれど、情報処理ツールは色々とありますからね。AIを持ち出すより前に語れることがある。多分、語ってもくだらないと思われている部分にこそ、すごく大きなポイントがあるんですよ。僕はスクリブナーの解説本を書いている向井領治さんとか、ノート術の本を書いている倉下忠憲さんといったライフハック論の方々と、テキストをどのようにマネージするかという話をよくするんです。作家は具体的な創作方法を隠すことで作品に魔法をかけているわけですけれど、そういうテクノロジーを使った創作論も面白いと思うんです。
千葉:ワープロの登場時は、それによって書き方や思考の仕方も変わると指摘している本がありました。奥出直人さんが1991年に書いた『思考のエンジン―Writing on Computer』などがそれですが、ワープロによって組み替え可能性が高まって、時間体験や空間体験が一本筋で進んでいくリニアなものじゃなくなるという発想は、当時はすごく斬新でした。ドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」という概念は、大まかに言えば、どんなことでもつなげられるという意味ですが、ついにそれが実現されたみたいな感覚があったわけです。でも、今はそれが当たり前になっていますよね。当時、多くの人が抱いていた、複数の可能性が同時に広がっていくことに対するワクワク感や、何がどう繋がるのかわからないということへの期待は大事にしたいです。
千葉:そうですね。iPhone以降、マルチウィンドウは実は効率が悪いという風潮になって、コンピューターもシングルウィンドウ化が進んでいるじゃないですか。でも、マルチウィンドウはすごく衝撃的な体験だったし、僕は再評価すべきなんじゃないかと思っています。マルチウィンドウは現実世界のデスクの素朴な反映なんですけれど、画面の中に画面が複数あって、それをつまんでズラしたりできるという体験は驚くべきものでした。コピー&ペーストと同じくらい偉大な発明だったと思うんです。