腕ベースと頭ベース
すでに主要な画像生成系がリリースされてて方々でもめてたのに、ChatGPTは世の中が活用していく方向に自然となっていったのが、絵を描く側目線で当時から対照的に映っていた 言葉はたいていの画像よりも社会で求められ、社会を動かすから活用されていった
結果、使用者が2種類に分かれた
生成能力を、差し引き1.1倍以上の成果につなげる人
AIエージェントによるコーディング支援に凝って、効率を上げるエンジニアなど
生成されたものをそのまま使うだけの人
画像界でも文章界でも存在する
AIに対して、腕ベースの人と、頭ベースの人がいるように感じられる
腕として使う人
3本目の腕
生えている腕の主導権は常に自分
自分が人力でやってきたもので、機械的に代替できる箇所が認められ、そこに3本目の腕を使う
単純作業を正確に繰り返すのは機械のまっとうなメリット
完全に任せたくないので、3本目の腕にだけなってもらう
急に3本目の腕が生えたという仮定から実用的な案を出す能力がある人は、腕として使える
これをできる人が相対的に少ない
増えた腕で1.1倍以上の成果を出すには、1(自分)が常に必要
頭として使う人
別の人の頭
主導権がなくなっている
なので出力結果をそのまま使いだす
最終成果物だけに関心があり、要求している
実際に手で描いてる人ならわかると思うが、絵も描き始めから完成まで頭を使う
単純作業とは言えないものを代替しようとしている
工程によっては人間もあてはまってしまうので、必要なら意識を変える
腕ベースと頭ベースはあいまいになりやすい
分身すると、見かけ上は腕も頭も増えるから、一定のスペックを持たない人は錯覚してくる
分身の術は本人を要求する
分身は他人ではない
他人の頭は自分の分身の範囲を超えている
絵描きの左手デバイスも、使いこなすと左右の腕以上の効果を生む
その方向性でAIを参加させる道は失われてしまっている
最初期はあった
pixivで名前が知られる絵描きも、AIを併用できないか模索していたりした
絵にかかわる最新技術なわけで、興味を持つのはおかしなことではない
ベースを生成してもらって加筆
ラフやレイアウト案の相談、生成
などを試していたみたい
が、さまざまな要因で、これはだめなようだ、となる
みんな、今まで使ってきた画材やペンタブで人間絵描きに戻った この人たちは確実に腕ベースで考えていた
「もっと面白いことができるんじゃない?」の精神なので、他人の頭なんて入る余地がない