写真の隆盛期
写真史 - Wikipedia
ダゲレオタイプ
1839年
今日の写真の基礎
ダゲレオタイプは1839年のフランス化学・芸術アカデミー席上で発表され、世界にセンセーションを起こした。フランス政府はこの特許を買い上げ、直ちにパブリックドメインにした。やがて多くの技術者達が改良を急速に進めていった。また、1840年代にはダゲレオタイプ熱が吹き荒れ肖像写真の流行が起こる。
特許料が不要なことも大きかった
ダゲレオタイプは、産業革命の頃の中産階級の肖像画が欲しいという需要に応えるため、1840年代のヨーロッパに熱狂的に広まった。この肖像画需要は、油彩画では生産の速度からして需要に応えきれず、写真技術の発展を後押しすることになった。
写真(肖像写真)が絵画(肖像画)を代替するきっかけ
産業革命 - Wikipedia
イギリスで産業革命がほぼ完了する1830年代に入ると、イギリス以外の国々(欧米国家及び幕末から明治初期の日本)にも産業革命が伝播するようになった。まず最初に産業革命が伝播したのはベルギーで、1830年の独立とほぼ同時に産業革命が開始されている。〔……〕ついで、ほぼ同時期に、7月王政期に入ったフランスと、米英戦争(1812年 -1814年)後にイギリスからの経済的自立が深まり、さらに西部の開拓が急速に進みつつあるアメリカでも産業革命が始まった。
ヨーロッパの産業革命の伝播
イギリス
~1830年代
ベルギー、フランス
1830年~
ダゲレオタイプはフランス発
1839年~
技術発展が続く
カロタイプ
1841年ごろ
ダゲレオタイプと違って複製が作れる
コロディオン法(湿板)
1851年
ダゲレオタイプよりも安価で複製も作れる
カロタイプと違って特許料が不要
世界各地の風景が残される
戦争写真
ロジャー・フェントン#クリミア戦争
カメラ自体も持ち運びやすくなっていく
ゼラチン乾板
1871年
コロディオン法と違って撮影時に薬品で濡らす必要がない
乾板は大量生産も可能
野外での撮影の機動性も飛躍的に高まったほか、これまでの感度では撮れなかった動く人々が撮れるようになった。
動く馬 - Wikipedia
疾走する馬の脚はどうなっているのか
これまでは肉眼しか確認方法がなかった
絵画の馬もすべて連続性のない静止画
1878年
マイブリッジはその場でネガを作成したが、そのネガに写っていた馬の鞍の金具の壊れ方が実際のものと同じであることから、報道関係者はこのプリントが本物であることを確信した。写真には、疾走中の馬の4本の脚が全て地面から離れている所が写っていた。〔……〕写真を見ると、確かに4本の脚が同時に地面から離れていることがあり、それは、古い絵画で時々描かれているような前脚と後脚が「伸びている」ときではなく、脚が体の下に「集まっている」ときに起きていることがわかる。
大衆化
1884年~
1884年、ニューヨークのジョージ・イーストマンは紙に乾燥ゲルを塗布する方式を開発し、もはや写真家は乾板の箱や有毒な化学物質を持ち歩かなくてすむようになった。
1888年7月、イーストマンの設立したコダックカメラが「あなたはボタンを押すだけ、後はコダックが全部やります」との触れ込みで市場に参入した。
写真フィルムが登場
ピクトリアリズム
1885年ごろ~1914年ごろ
写真の大衆化と同時期に発生
「写真=記録手段」を超える
ストレートフォトグラフィ
1920年ごろにはピクトリアリズムを退けている
それ以降
1925年に登場した35mmカメラ、ライカなどによって、一般性、可搬性(カメラの持ち運び易さ)、機動性、フィルム交換のしやすさが高まって、スナップ写真が広まるなどした。これ以後は写真技術の発展はカメラの発展と歩調を合わせることになる。
自然を見つめる目#69c8101a0000000000c94cf9
『写真眼』(一九二九年)