自然を見つめる目
自然を見つめる目 : 一九世紀ピクトリアリズム写真論における視覚のあり方
ローは『写真眼』のなかでフォト・モンタージュなどの一九二〇年代における新たな表現を目指した写真を数多く紹介したが、その序文「機械と表現」の冒頭で次のように述べ、前時代の写真表現との決別を表明している。
これまでのところ、写真史は二度の隆盛期を示している。一度目は技術発展の始まり(ダゲール)であり、二度目はその終わり〔……〕である。この始まりと終わりの間で制作されたものの大部分には問題がある。というのも、絵画あるいはグラフィックアートのどちらかに属する魅力を模傲しようとする、あけすけなあるいは偽装した試みがなされたからである。これはもちろん、写真の適切な役目からの逸脱であった。人が自らの時代のものの見方から完全に逃れることはできず、常に同時代の芸術との親近性を示そうとも、写真の役目は決して模傲に陥るべきではないのだ(4)。
このローの文章で、注目したい点が二点ある。一点は、「ものの見方」という表現に表れているように、写真と視覚が密接に関連づけられているという点である。もう一点は、一九世紀半ばから二〇世紀初頭までの「谷間」の時代が絵画やグラフィックアートの「ものの見方」に従って、模做を行っていると考えられている点である。
写真の隆盛期
写真を芸術として成立させようとした、ものの見方
1. 絵画的法則に基づく
ヘンリー・ピーチ・ロビンソン(一八三〇~一九〇一)は『写真における絵画的効果』(一八六九年)において、写真家のなすべき仕事とは「見ること」であるとし、「芸術的な視覚の力は、いわば、最も偉大な画家、彫刻家、建築家が最も素晴らしい作品を制作する際に、道しるべとなるルールや原理を学習することによって、人工的に開拓されるだろう」(PE 18)と述べている。彼はこうして銀え上げられた視覚によって、対象の細部まで隈なく精査し、絵画的効果を最大限に発揮できるような完壁な画面構成を追求しようとした。これはまさに、絵画に基づいた「ものの見方」と言えるだろう。
教育を受けた目
自然の中から芸術を発見し、識別できる
「教育を受けた感覚」としてロビンソンが強調するのが「目」である。彼は次のように述べている。
芸術の本質的な領域が、自然が提示するものだけでなく示唆するものをも再現する、粗野なものを洗練させる、平凡なものを避ける、あるいは詩的に扱うことでそれを変容させ、輝かしいものにすることなどによって、理想的なかたちにおいて自然を取り扱うことである一方、写真は風景画にせよ肖像画にせよ、最も直写的なかたちにおいてのみ自然を取り扱わねばならないのであり、その限りにおいて、最も卑近な局面と最も限定された度合いは除き、芸術は写真と共通する部分を全く持たない、としばしば証拠なしに言われてきた。(中略)自然の中でこれらの偶発的な美を発見し、それらが何から構成されているかを確かめることができるのは、絵画的効果が依存する諸法則に慣れ親しんだ人間の教育を受けた目だけである。(PE 12)
ロピンソンは、写真が発明されて以来注目されているカメラの目の写実性を認めつつも、写真が芸術としての地位を築くためには、自然の中にある偶発的な美を発見し、自然の真実を識別できる「教育を受けた目」を写真家が有さなければならないとした。そして、写真家がその「目」を手に入れることによって、写真と芸術は共通する部分を持つことができると彼は考えたのである。
2. 主体的、身体的実践によって習得する
一八八九年に『芸術を学ぶ学生のための自然主義写真』を出版した写真家エマーソンは、既存の絵画的諸法則を写真に適用させるといったロピンソンのような写真論とは異なり、生理学という科学の知見を用いて、書物に記された規則ではなく自らの主体的、身体的実践によってのみ修得可能な芸術を目指す写真論を構想していた(13)。
第一巻第一章「用語法」の中で、エマーソンは自然主義に関して次のように述べている。
我々にとって、印象主義は自然主義と同じ意味を示しているが、印象主義という語が芸術家や不合理同然なものに対してすら、非常に多くの自由を与えているので、我々は自然主義という用語のほうを好む。というのも、後者において、作品は常に基準となる自然を参照するよう仕向けられるに違いないからである。(中略)我々はこの用語によって、芸術による自然の印象の、真なる、自然な表現を意味することとする。(NP 22)
遠くの木は遠くにあるように表現する
自分が見ている位置=現象、状況を基準とする
鉛筆デッサン 情報編#677738357d26ea00007508d1
彼は「写実主義」において、どんなに遠くにあるものも、まるで近くで見るかのように細密に描かれることに疑問を呈し、自然主義における自然の見え方を記述する。
彼=自然主義画家(引用者注)は木の印象を、一〇〇ヤード離れて立つ際に彼に見えたように表現しようとするだろう。すなわち全体として捉えられ、そう見えるように捉えられ、様々な現象や偶発的な状況によってそうなるであろうように修正された木の印象を表現しようとするだろう。我々はそのような自然主義者の作品を、自然に忠実であると言うべきであり、写実主義者の作品は自然に対して不正確であると言わねばなるまい。(NP 25)
上記の引用から、エマーソンの捉える自然とは、単なる外界にある自然という意味合いだけではなく、人間の「目に映る自然」という意味合いも含まれていることが分かる。そして、エマーソンの写真論では、目に映る自然を再現することが「自然に忠実」であることになる。ロピンソンにとって、自然への忠実さがカメラの目による直写的な自然の描写であったのに対し、エマーソンにおいては自然への忠実さは生理学的視覚現象や大気などの偶発的な状況下での肉眼に映るものの再現となっており、自然を捉える両者の視覚観は大きく異なっている。