狂人のフォーマット化
「推す」「推し活」というフレーズ。 "自然発生" していた頃は感じなかったけど、ここ最近の "商業路線に回収されバズワード化させられた" いまは、その変遷のタイミングで「妙な雑味」が乗ってきたと思ってて。最近、そのDiff(差分)を気にしてる。
「萌え」の時と同じように、 "商業路線に発掘された結果" として、廃れていくのではと思ってる。
元来「推す」というのは、自由な魂の発露、自身の欲求のピュアな帰結だったもの。それが商業路線に取り込まれて「マストバイ」的な色味を帯びた結果、本来持っていた「魂の自由さ」を失っていっているのでは、と言うのが今の所の仮説。
「推す」ためにする行いが "自己表現" だったのが、 "ノルマ" 的な色を帯びだすと話が変わってくるよね、的な。
「やってなきゃファンと認められない」みたいな、ハードルというか義務みたいな色が付いてきてる点に、 "当初あった姿とだいぶ変わってきましたね?" と感じてて。
「狂人に対する憧れ」がフォーマット化によって回収されてる感じ
フォーマットに対する反応、応対で考えると、作家(作り手)にもかかわる
従来のフォーマットに従うのがベースなら、あなたでなくてもいい
フォーマット(もしくはテンプレート)=一定のルールに沿ってもらう
mk.iconは、あなたが何かを気に入らずそこから出て行っても、喜んで2人入ってくるなら、あなたは最初からいなかったのと変わらない、と思っている
差し引き+1になってるから
この1は、どこの誰であってもフォーマットに沿えば満たすことができる
ついさっきまで、その1はあなただったとしても、もう関係ない