多元性を見る-訳者コメント
訳者山形hirooyamagata.iconのコメント (ごめんね、こういうコメントを入れるツールあるんだろうけどまだGitHubの使い方になれてないもので)
この時点で、「Plurality」という本書の題名そのものがえらく悩むところ。「複数性」というのが直訳になるけれど、それでいいのかなあ。人間や組織が単一のアイデンティティとかに縛られない、というニュアンス。むしろ多様性とか、多元性とか、あるいは多重性とか多層性とか複雑性とか言うほうがあっているような気もする。 これは本当に悩ましいので、訳し終わってからしっくりくる言葉を探す方がいいかもnishio.icontkgshn.icon
→多元性に変えてみました (4/2)
なんとなく格差拡大してますというのはクリシェになっていて、そういうものとして流しておけばいいんだろうが…… 経済学の基本認識として、それぞれの国内での格差は広がり、国ごとの格差も開いているけれど、世界全部では格差は減っている。低所得層の底上げは進んでいて、すごい金持ちは出ているがそれが本当に問題かというのは取り沙汰されている。
確かにtkgshn.icon
また、ジェフ・ベゾスは大金持ちでぼくたちの十億倍も資産を持っているけれど、それで? 千年生きられるの? 無意味な一千万円の腕時計を十個持っていることに意味があるの? 「株式市場が暴落して金持ちの資産価値が低下した結果、格差が縮まった」なんていうニュースがあるが、ではその「格差」って本物なの? ピケティの訳者がこんなことを言うとは何事だ、と思う人もいるだろうけれど、そのピケティも『資本とイデオロギー』でそのあたりをかなりネグっている感じでもある。これは、訳文をどうこうする話ではないけれど、ひっかかる点として書いておく。 個人的には「格差拡大は悪」という主張には反対nishio.icon
優秀な高校生12組に50万ずつ配る事業をやって格差を拡大しています!
すべての高校生に格差なく均等に配ると一人あたり2円で何にもできない
格差を減らした方が良いと思っている日本人はとりあえずアフリカの恵まれない子供に寄付をして格差を縮小したらいいと思う
3. 中国語
數位。数位、ですな。英語ではたぶんなにやらエキゾチックな感じがするだろうし、中国語版ではそんなに違和感もないのだろうけれど、日本語だとむしろまぬけに見えると思うんだがどうだろうね。これは上の、「Plurality」訳語ともちょっと関連。 4. 文体
ここではあまり顕著ではないけれど、特に次章からこの本はコラボレーションにありがちなこととして、ちょっと抽象度の高いブツ切りな感じの書きぶりになっています。
一人で書いていると、何か論点を出すときに「いやこれは『鬼滅』の猪之助見てても思うけど」といった身近な例示から何か問題意識の生まれる過程も示されて、読者の納得感も高まる。でもコラボだとそれが出てこない。
自分が書いていると、自分なりの論理展開をするなかで柔らかく議論が展開されるけれど、コラボだと、ドーンと主張をぶつけて、相手が「そうだねー」と言えばそれ以上の説明が出てこないので、文章ではなくスローガンの連続みたいな書きぶりになってくる。
間にジョークをはさんだり、といったこともなくなる。
極端に言えば、パワポスライドの連続を本にしようとするとこんな感じになる。
だから「だ/である」調だと、全体がカクカクした不自然な堅苦しい感じになるので (とぼくは思った)「です/ます」調でそれを和らげて文章のつながりをなめらかにしたほうがいいのではと思慮。語尾も勝手に、語りかけ調にしたりして堅苦しさを減らすように考えています。
違和感あればご意見いただきたく。第2章が終わったら、そこらへんご判断いただけるのではないかと。
tetsuoさんの意見も聞きたいところですが、個人的には下記の文章は好きですnishio.icon ある人はこの草稿を読んで、「訳文見てもっとバカな本かと思ったら、これってすごい高度なこと書いてない?」と言った。槇本よ、おぬしはえらい。その通りなのよ。そして「こういうのを読むような人は、こういう文体には反発するんじゃないか」と心配してくれた池田。うん、その気持ちはよくわかる。でも、この本の原書は、まさに「こういうのを読む人」(つまりは学者か経済屋さん)以外の人に、「こういうの」を読ませる(そしてわからせる)ことなんだ。