鈴木建
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複雑な社会を複雑なまま生きることは可能か??(複雑性とは仏教における縁起) 責任を集約化する点としての存在として政治家や経営者が要請される(創設的暴力) 膜と核の導入
インターネットがもつオープンな特性は、資源の囲い込みを嫌い、あらゆるものをシェアしていこうとする。だが現代社会はまだまだ資源の囲い込みに満ちあふれている。これを【膜】の現象と呼ぼう。またインターネットの自立分散性は、中央集権的な制御を排除する。だが現実社会では、中央集権的な組織に満ちあふれている。これを【核】の現象と呼ぼう。この膜と核の2つが、水の流れのように澱みがない権力や貨幣を実体化させ、静的で、どうしようもなく横暴なものへと変質させてしまう。〜生命システムと社会システムが形式的に同型の構造をもっているというルーマンらの主張とは異なる。生命システムと社会システムが似ているのはアナロジーや形式的同型性ではなく、一方がもう一方を包摂する現象であること〜したがって社会システムにおける膜と核の問題は、生命システムにおける膜と核のアナロジーではない。〜社会システムにおける膜と核の問題は、生命システムにおける膜と核の進化的展開なのである。 そして核と膜による貨幣と権力のよどみを以下のように語る。
経済:資本蓄積の自己目的化
〜お金を持っている人のところにはお金がますます集まりやすくなる。資本を生み出すのは末端の人々のはずなのに、気がつけば人々は資本に制御され、資本蓄積が自己目的化する。貨幣という水の流れは、ときに蓄積された資本の暴力的なパワーへと変容する。〜いつしか、そのよどみが、水流から成り立っていることを忘れ、資本のなすがままになってしまう。
政治:権力闘争の自己目的化
近代政治では国民国家概念の成立とともに、国境が厳密になり、国民のメンバーシップが明確になって〜国の中の利益を最大化し、そのためであれば他国の領土を侵略する〜国境や国民という膜の内側と外側で、敵と味方を明確に区別する〜議会は異なる社会階級や階層の利害が対立〜政党や派閥の間での権力闘争が自己目的化〜制御がうまい権力者が政治を制御することになる。
ロックと膜の起源
【私的所有】の生物学的起源は細胞膜の誕生にある。~細胞は,この地球上では約40億年前に登場した。~重要なことは,原始の生命が単なる代謝ネットワークではなく,細胞膜のようなものをもっていたことである。細胞膜をもたなければ,その境界を同定することはできず,単なる巨大な化学反応ネットワークにすぎない。その細胞膜そのものも,代謝ネットワークの一部としてつくりだされ,維持される。膜は,ネットワークの一部であると同時に,ネットワークの外部と内部を同定する役割をもっている。その意味で,膜で囲まれた領域は,外の観察者にとっても,また自分自身にとってもひとつの単位としてみなされることになり,ひいては自然淘汰のレベルを一段階引き上げているともいえる。
細胞膜の内側はひとつのシステムとして自律性をもち,弱い意味での一人称性,主観性が立ち上がりはじめる。あらゆるプロセスが,膜を維持するという内的な目的のための手段となり,システムの反応は,その目的を達成するための認知プロセスになるからである。また,膜は不必要な化学物質が膜の内側に入らないように排除する役割をもつ。細胞は,外部から必要なリソースを取り込み,そこからエネルギーを得る。そして,不必要になった物質を外部に吐き出し,外部の不必要な物質が膜の内側に入らないようにして,複雑な代謝ネットワークを安全に膜の内部に閉じ込める。こうして,生命は他のあり方よりも適応度の高い存在様式をつくりあげてきた。内部と外部の分離という単純さを持ち込むことによって,逆に内部ダイナミクスの複雑さを手に入れることができた。
『統治二論』からロックの所有権概念と照らし合わせて膜を語る。 外部から内部に取り込んだ物質や,内部のネットワークによってつくりだされた新しい化学物質は,膜に守られている。その様は,あたかも細胞がそれらの物質を私的所有しているようにもみえる。ロックの所有論の観点からみれば,細胞内の代謝ネットワークが「労働」を行ってつくりあげた物質は,まさに細胞の所有物である。また,外部の共有物を「労働」を通して取り込むのは,共有物のままであるよりも有効利用され,必要以上は採取せず,他の細胞に共有物が残されているかぎり,ロック的には正当化される。 他者概念の変容
ミラーニューロンは他者の身体運動の同一化を司る神経細胞である。マカクザルが自分自身で餌を取ろうと手を動かしているのを見たときに発火するニューロンと、他の個体が餌を取ろうと手を動かしているのを見たときに発火するニューロンが重なることが1996年にイタリアのジャコーモ・リッツォラッティ(神経科学)らによって偶然発見された〜すなわち、マカクザルは少なくとも行為のレベルにおいては自己と他者を同一視していることを意味する。一方で最近では他者の痛みや情動を観察したときと、自分が実際に痛みや情動を感じた時の両方で活動する脳部位(島皮質前部など)がヒトの実験で見つかっている(Gu et al., 2010)。〜【他者の所有感覚】の生物学的起源であり、愛と疎外化の生物学的起源でもある。 心の理論という能力を獲得することにより、人は嘘がつけるようになった。嘘をつくというのは、他者に誤った信念をうえつけることによって他者の振る舞いを制御しようという行為である。そして理解不能で制御不能な他者という存在を、あたかも理解可能で制御可能な存在としてみなすようになったのである。心の理論は、【他者の制御】の生物学的起源である。不確定で振る舞いを理解できないのは、他者だけではない。自分の振る舞いもまた、自分自身にとって不確定で本質的に理解できない。〜自分の振る舞いの原因を他者として推論する能力〜【ホムンクルス】の生物学的起源である。ホムンクルスとは脳の中の小人であり、私の中にもうひとり私が住んでいて外部世界を認識しているという〜主観的意識の座である。 他者理解及び他者としての自己理解概念の創発
table:マトリクス
レベル 現象 生物学的起源 膜と核
単細胞 細胞膜,免疫,DNAと核 私的所有,物質的メンバーシップ,制御 膜,膜,核
多細胞 神経系,体性感覚,なわばり 身体の制御,身体の所有感覚,空間の所有感覚 核,膜,膜
他者 ミラーニューロン,心の理論,自由意志と自己意識 他者の所有感覚,他者の制御,ホムンクルス 膜,核,核
社会 国境,王,社会契約 社会的な膜,社会的な制御,近代国家のメンバーシップ 膜,核,核
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なめらかな社会像
数学的アナロジー
フラットな関数
フラットな社会ではあらゆる情報や機会へコンタクトする距離が万人にとってゼロになることになる。
フラットな状態は、一元論的なものである。いたるところ平等で対等な状態を意味する。しかしここには、文化や多様性の源泉でもある非対称性が存在しない〜フラットな社会は一見理想的なようで、生命のもつ多様性を否定している。
ステップ関数
ステップな状態とは、二元論的なものである。あるところで突然非対称な関係が存在することを意味する。ある状態と別の状態は連続的にはつながっておらず、ギャップが存在する。そのギャップを乗り越えるためには、一定の高さ壁を乗り越えるため余計に力が必要になる。
シグモイド関数
なめらかな状態は、非対称性を維持しつつも、内と外を明確に区別することを拒否する。ある状態から別の状態までは連続的につながっており、その間のグレーな状態が広く存在する。
シグモイド関数がよいのは、ステップとフラットの2つをパラメータ的に連続的につないでいるからである。3つの関数は〜相容れない存在ではなく、システムのチューニングによって容易に変わりゆく存在である
数学的には「なめらか」はいたるところ十分な回数(たとえば無限回)微分可能という意味がある。〜すべすべしていて摩擦がなく「いたるところ微分可能」ともいうべき意味合いには捨てがたい魅力がある。大局的な違いは、局所的な同質性の繰り返しから生ずる。局所性の性質こそが本質的な性質を産み出していく