フランツ・カフカ
『日記』
1911年12月25日
個人的事項が、ときに穏やかに熟考されることがあっても、そういう事項が、これに類似する別の事項と結合する境界まで達することはない。むしろ個人的事項を政治から分離する境界に達し、その境界が現前する前にそれを感知しようとするところまで行く、そしてどこでもこの境界が強固になっていることを感知しようとするのだ。〜大規模な文学においては、下方で表現され、建物にとって不可欠ではない地下室であるにすぎないものが、ここでは白昼の光にさらされる。あちらでは通りすがりの野次馬を集めるだけのことが、ここでは生死を分ける決定につながる。
1912『突然の散歩』
1912『インディアンになりたい』
1914-1915『掟の門前』
1915『変身』
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/icons/白.icon
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/icons/bard.icon カネッティ解釈
なぜ小さくなったのか
自分が相手よりもだんだん小さくなることによって、 強者と自分との間の距離を大きくした。この収縮によって彼は二つのものを獲得した。彼は自分が暴力にとってあまりにも微々たるものになったことによって、威嚇から消え失せ、 そして暴力に至るあらゆる忌わしい手段から彼自身を救ったわけである
頭木さん注釈:たとえば、学校の教室で、目立ちたくないと思ったら、自然とうつむいて、肩をまるめ、 身体を小さくしようとするのではないでしょうか。 外の世界に脅威を感じるとき、人は自然と小さくなろうとします。脅威の目にとまらないようにしようとするのです。
小さくなることは、もちろん、脅威に対して、より弱くなってしまうことでもあります。しかし、自分自身が誰かの脅威になってしまうこともなくなります。
1917『夢』
第三の手記の一までのメッセージと同じで実存的な自己受容の文学なんじゃないか
1918/1-5
わたしは、いずれにしてもすでに重く垂れ下がっているキリスト教の手によって、キルケゴールのようには生に導かれはしなかったし、ひらひらと逃れてゆくユダヤの祈薦マントの裳裾の端に、シオニストのようにやっとのことで取りすがったりはしなかった。わたしは終末である、さもなければ発端である。
1917『学会への報告』
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/icons/bard.icon ブリッジウォーター解釈
1920『田舎医者』
1926『城』
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賛辞
カフカの『ファウスト』
フロイト時代のダンテ
真の文學であるため還元不可能な複数性である
Kが到着したのは、夜もおそくなってからであった。村は、深い雪の中に横たわっていた。城山は、なにひとつ見えず、霧と夜闇につつまれていた。大きな城のありかをしめすかすかな灯りさえなかった。Kは長いあいだ、国道から村に通じる木の橋のうえに立って、さだかならぬ虚空を見上げていた。
〜灯りさえなかった。」という否定系の叙述は昼ならばそこに城山があることを知っている明示。この後の宿屋の場面で「こんなところに城があるとでもおっしゃっるのですか」というKのセリフより、第三者の語り手であることがわかる。
〜虚空をみあげていた。」で主人公視点に立ち替わる
このクレバスの深淵を覗かせ、蓋をし、バイスナーの物語作者の視点に立ち替わる
自分自身を物語る出来事しか存在しない故、読者をも主要人物に変ずるということ
土地測量士の意図
土地測量師の土地(Land)には、陸、陸地、土地、区画、州、国などの他に、界、領域、分野という意味がある。『審判』に、その表題語が同時に意味する、進行、経過、成行き、過程、処置、手続、訴訟、告訴、審理などのさまざまの意味を重ねあわせて展開した作者なのである。しかも『城』は、 「新しい秘教、カバラーのようなものにまで発展することができるだろう」という自覚と決意のもとで書き始められたのである。