フィリップ・アリエス
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共時的な死
人間についての新しい諸科学により―そして言語学によって―通時態、共時態の概念が人々に用いられるようになりましたが、この概念は、われわれに役立ちそうです。長期にわたる多くの心的事象がそうであるように、死に対する態度も、非常に長い期間を通じて、ほとんど変らぬものとみえるかもしれません。無時間的とみえるのです。ところが、それでも時々に変化が生じるのであり、それは緩慢なことが非常に多く、目につかぬこともあるのですが、今日ではそういう変化が以前よりも急速になり、かつ意識されるようになってきています。 そこで「第一の主題」は「共時態」として「千年レベルの、何世記もにわたるもの」である「飼い慣らされた死」という概念を取り扱う。
まず第一に、彼らは知らされています。自分が死んでいくことを知るひまもなしに死ぬことはありません。〜人は床について「病いの床に臥して」死を待ったということです。
田舎のある駅で臨終の床にあって、トルストイはうめき声をあげます。「ロシアの農民たちはどうだったのか。あの農民たちはどんな風に死んで行ったのか。」その農民たちは、ロランや、トリスタンや、ドン・キホーテのように死んで行ったのです。彼らは知っていたのです。トルストイの『三つの死』の中で、老馭者がはたご屋の台所の大きな煉瓦の暖炉のそばで死にかけます。彼は知っています。おばさんが親切ぐあいはどうかと問いかけると、彼は答えるのです。「死がそこにいる。そういうことですよ」と。
サン=シモンは、モンテスパン夫人が死を怖れていたと言っています。彼女はむしろ、しかるべき時に予告を与えられないことを恐れ、そしてまた、この点にはのちほどまた触れることになるでしょうが、ひとりで死ぬことを恐れていたのです。「彼女は部屋の中にたくさんの蠟燭をともさせ、カーテンはすべて開かせて横になっており、周りに夜とぎの女たちがいて、彼女が目をさます時いつもその女たちがおしゃべりしたり、おめかしをしたり、あるいはまた眠気をさますために何か食べたりしているよう、望んでいた」のです。しかし、そういう不安にもかかわらず、一七〇七年五月二十日、彼女もやはり自分が死んで行くことを知り、その準備をしました。
第二は、死は公けの、組織された儀式だということ
基本的に「死に行く者自身によって組織される儀式」であり、もし「本人がそれを忘れたり、ごまかしたり」しても「そばにはべる者たち、医師、司祭の務め」として儀式が組織されるのである。
また「死に行く者の部屋は、その時公けの場に変」り、「入室は自由」となる。「一八世紀までの死に行く者の部屋の描写で、何人かの子供のいないものはありません」。
最後の、最も重要な結論、これは、死の儀式はごく自然に受け入れられ、とり行われたということ
エフレンは自分は年寄たち以上に事情がわかっていると思いこんでいました。「年寄たちは生涯ずっと町に足をふみ入れたことさえなかった。エフレンが十三歳ですでに馬を早駈けさせたり、ピストルを射ったりできたのに、彼らはそんなことはあえてしなかった〜ところが今はどうだろう〜彼はあの老人たちが、あちらの彼らの田舎で死んで行くその死に方を思い出した〜ロシア人も縫靼人、ウドムルト人たちもいずれも同じように。空いばりもせず、騒ぎたてることもなく、死んで行きなどしないと大きなことを言いもしないで。彼らはみんな安らかに、、、、死を認めるのであった。決着の時をのばしなどしないだけでなく、彼らはごく穏やかにそのための準備をし、あらかじめ、牝馬はだれに遺し、仔馬はだれに遺すかを定めるのであった〜そして、ただ住む小屋を変えねばならぬだけだ、とでもいうように、一種の安堵の様子をもって息をひきとるのであった。」 まとめると、死の共時態は「知らされ」、「公の、組織された儀式」として、「自然に受け入れられる」。「何世紀ものあいだ、何千年ものあいだ、こんな風にして人は死んだのです」。こうした態勢を「飼いならされた死」と呼ぶ。