デ・キリコ
1911-14 パリ手稿
風変わりで色とりどりの玩具でいっぱいの、奇妙な巨大ミュージアムを生きるように、世界を生きる。
1912-13頃
デ・キリコは、イタリアの広場に着想を得た最初の形而上絵画が生まれた経緯を次のように回想している。
ある秋晴れの午後、私はフィレンツェのサンタ・クローチェ広場の真ん中にあるベンチに座っていた。(...)秋の生あたたかく愛のない太陽が彫像とともに聖堂のファザードを照らしていた。そのとき、あらゆるものを初めて見ているかのような不思議な感覚におちいった私の脳裏に、絵画の構図が浮かびあがってきた。
彫刻は柔らかく、温かくなければならない。そして絵画のすべての柔らかさだけでなく、そのあらゆる色彩も具えるだろう。美しい彫刻は、常に絵画的なのである。
デ・キリコの形而上絵画は、1914年に一つの転換期を迎える。第一次世界大戦の勃発によって、兵士としてパリからフェッラーラへと移り住んだデ・キリコは形而上絵画の対象を、広く見渡す開けた視界から、クローズアップした事物が背景を埋めつくすような閉ざされた室内へと変化させ、描かれる事物もヴンダー・カンマを思わせるような脈絡なき諸事物へと様変わりする。 その当時私が追求していた形而上絵画の制作にもっとも強烈なインスピレーションを与えたのは、フェッラーラの家々の室内、街のショーウィンドウ、店舗、家々、そしてまたこのうえなく形而上的で並外れた形のビスケットやお菓子などを見かける古いゲットー(ユダヤ人街区)などの界隈であった。