ウォルツァー
序論
マルクス主義を批判し、現在は"先進的なリベラリズムと先進的な資本主義の世界"であり、現在の主要業績である、法の前の平等と、合法的対立によって、 労働者がブルジョア国家を福祉国家に変えたことを率直に肯定すべきであるという。
現在の国家、 権力も市場もその存在を否定すべきではないと考えている。ただ、同時に現在の進歩・解放が非社会的で、受動的な人間を生み出し、
福祉国家の問題
労働者のコミュニティも、市民のコミュニティも生み出していない。
つまり古い「解放」以前の世界の回帰ではなく、「親密に共有された道徳的感覚」を付与する必要がある。
そこで現在の民主社会主義者は、親密さと善き仲間意識のための、知識と自己管理」のためのコミュニティを求めるべきであある。
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プラトンのように洞窟を出て外部から批判し、哲学的人工物を作りだす、客観主義的・普遍主義的立場ではなく、洞窟というわれわれが共有している世界を解釈する立場である 当時のアメリカにおいて貨幣という財の優越が政治や医療などの他の領域に及んでいることを念頭において批判したものである。いずれにしても、分配の正義が行なわれる舞台は政治的コミュニティ、つまり国家である。それは共同の意味の世界であり、「言語、歴史、文化が一緒になって⋯⋯集 合的意識を生み出す」。不変な国民性(national charcter)は「神話」であるが、「歴史的コミュニティの成員の なかで感受性と制度を共有することは生の事実である」という。 /icons/白.icon