中村隆太郎
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存在は認識=意識の接続によって定義され、人はみな繋がれている。記憶はただの記録にすぎない。
集合的無意識でネットワーク化された人類。しかしそれは身体によって隔たれ、デカルト的存在証明へと帰結される。プラトン曰く「肉体は魂の牢獄である」。即ち、魂は一つの思念体の形象をなしていたのかもしれない。受肉することで認識的な差異を得た魂は、次第に自らのうちに個を宿した。ワイヤードはその障壁を融解させ、個と集団、ヴァーチャルとリアルの境界は薄れ、再び大いなる思念体へと還元される。英利政美がLayer12にて玲音に告げた一言はそのことに示唆的である。 集合的無意識を個へ隔てる肉体を脱することで、一つの大いなる思念体=意識へと転移させる。それこそが英利政美の目論見にあった。玲音は一時政美と同じ見解にあった。しかし肉体の暖かさを知った玲音は...
玲音「ありすだって誰だって、みんなアプリケーションでしかないの。肉体なんて、要らないのホントは」ありす「違うよ.....」玲音「え.....」ありす「あたし、よくわからないけど玲音がいってること、間違ってると 思う.....こんなに冷たいけど、でも、生きてるよ玲音の体.....」。(,,,)玲音「お父さん知ってる?私みんなが...」お父さん「好きだって?違うのかい?」
思念体が住まうことを科せられた牢獄。それくらいにしか肉体ひいては実態というものを捉えていなかった玲音に、ありすは肉体のアクチュアリティを、生のリアリティを気づかせてくれたのだろう。
世界を愛した玲音は、自らの存在を消去することで世界の記憶から隔絶し、非認識の存在として現世を漂う半神となったのであった。そう彼女を完璧にするは「Let's All Love Lain」。我々にあるのだった。
政美「ワイヤードのアノニマスの存在として永遠に生き続け、そこを情報によって支配し得る存在」玲音「そういう存在をなんというと思う?」政美「神」玲音「神様なんていないわ」政美「そう、普遍の存在であって影響を及ぼすことができたとしても崇める者がいなくては神たり得ない」