マルロー
マルローは多く芸術論を記したがしかし、単著はゴヤとピカソのみである。そしてピカソは回想であるからして、ゴヤとはマルロー随一の本格的な芸術評論である。
1950『ゴヤ論』
われわれがとり上げる作品のほとんどすべては、「初期作品」の後、多かれ少なかれ公衆の前から隠された。「カプリチョス」の発売は禁止された。『戦禍」も「不協和」もゴヤの生前に頒布されることはなかった。「輩者の家」の絵画はひとにぎりの人たちにしか知られていなかった。この激烈な予言はほとんど述べられずに終わったのであり、ゴヤはパスカルのように後世に認められた天才としての名高い才能を持っていた。天才と言われるゆえんは、調和の意志と断絶したことのみにあるのではなく、栄誉を付加したことにもある。そして偉大なる宗教的様式に匹敵する様式を見出したことにもある。私がここで分析しようと試みるのはこのような天才である。
ゴヤの芸術とは、悪霊たちの出現を貼かげんし、自らの狂気を飼いならして、そこから一つの言語を作り出したことにある。
もしボスが人間を彼の地獄的世界に導き入れたのだとすれば、ゴヤは逆に、人間の世界そのものに地獄的なものを導入した。ボスにおいて残酷なのは悪魔である。二人の画家の描く民衆はいずれも犠牲者であるが、ゴヤはもう一つの側面を見逃さない──すなわち「人間もまた、拷問者となる」ということを。(...)不可知論者にとって悪魔の一つの可能な定義はこうである──「悪魔とは、人間の中にあって、人間を破壊しようとするもの」である。まさにその悪魔こそが、ゴヤを魅了するのだ。サタンは、ボスにおいては玉座に座す確立された人物像であるが、ゴヤにおいては、四肢を切断された苦悶する人間であり、そして彼が口にするのはただ一言──「なぜなのか?」である。
1951 «la Galerie de la Pléiade»
こうした様式の意義はわれわれに、どのようにして天才的芸術家−ゴーギャンやセザンヌのように孤独を、ヴァン・ゴッホのように聖職者のごとく、若きティントレットのようにリアルト橋の物売り籠を追及する−が世界の意味の改革者となるかを示す。哲学者が世界を自らの概念に還元し、物理学者が世界をその法則に還示するように、芸術家は自らが選ぶフォルム、あるいは作り出すフォルムに世界を還しながら世界の意味を勝ちとるのである。