トニー・ゴドフリー
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コンセプチュアル・アートとは
エピグラフ
イエスなんて言じない / ケネディなんて言じない / 仏陀なんて言じない / .....エルヴィスなんて言じない / ツインマーマンなんて言じない / ビートルズなんて言じない / 僕を信じるだけさ
想像してみたまえ、誰かが「自分の背丈はわかってるさ!」と言い。頭上に手をかざして示そうとする。声を出さないと思考できない人がいるのかもしれない。(声を出さないとものを読めない人がいるように)。
ではここまで多様な「コンセプチュアル・アートが媒体やスタイルで規定できるものでないとすれば、それに出会ったとき、これはコンセプチュアル・アートであると認知するにはどうしたらよいのだろう」 か。ゴドフリーは定型の四類型を紹介する。
一般論だが、つぎの4つの形態のどれかをとっているはずだ。「レディメイド」。これはデュシャンが発案した言葉で、外の世界からもってきた物品でありながら美術であると主張する、あるいは美術として提出されるものをさしている。この言葉は美術作品の固有性と、芸術家の手が関与することの必然性をともに否定している。「介入(インターヴェンション)」。これは、なんらかの画像、文、あるいはものが予想外の脈絡や環境のなかに配置され、その結果、この脈絡や環境に関心が向けられる場合である。たとえば、路上美術館。「ドキュメンテーション(記録)」。概念なり行為なりの実際の作品がノート、地図や配置図、チャート、そしてもっとも多いものとして写真といった証拠品をもってしか提示されない場合だ。そして「言葉」。この場合は、概念、提言、調査といつたものが言語というかたちで提示される。デュシャンの《泉》はもっともよく知られた、あるいは悪名高いと言ってもよいが、レディメイドの例であり、多くのアーティストが彼の戦略を取り入れ,またそれに適応させた。介入の好例はアメリカのアーティスト、フェリックス・ゴンザレス=トーレスの看板プロジェクトだろう。皺のよったシーツのかかった無人のダブルベッドの写真を、ニューヨーク中さまざまな場所にある24の看板に展示したものだ。どんな意味があったのだろうか。そこにはなんの言葉も説明もなかった。たんなる通行人は、当人の状況しだいでさまざまな意味をくみとっただろう。それは愛と不在を語っていた―ダブルベッドはふつう愛し合う2人のためのものであり、多くの人が朝の出勤前に目にするものだ。あらゆる人が目にするような場所に展示するにはきわめて個人的な光景であり、それを見る状況や前後関係といったものが、この作品に固有の、また欠かすことのできない意味を生んだことはいうまでもない。何人かの通行人はゴンザレス゠トーレスの作品だと認め、これはさきごろエイズで死んだ彼の愛人、ロスと寝ていたベッドのイメージだと推測した。だが、このような特定の個人的な意味はあらかじめ規定されたものではない。作品を見る者1人1人が発見するもの、それが意味だ。ジョゼフ・コスースの《1つと3つの椅子》は「記録」の一例であり、この場合,実際の作品は「椅子とはなにか」「椅子をいかにして表現するか」、そして敷行して「アートとはなにか」「表とはなにか」という概念である。これは同義反復とも思える。椅子は椅子であり椅子であり・・・・・・というのは、まさに彼の主張「アートはアートでありアートであり」におとらず同義反復的だ。実際に見える3つの要素(椅子の写真、現物の椅子、椅子の定義)はこの作品にとっては補助的な要素に思える。3つの要素は、おのおのそれ自体ではなんの変哲もない。まったく平凡な椅子だし、椅子の定義は辞書からフォトスタットで複写したものだし、写真もコスース本人が撮ったオリジナルではない。アーティストの手がまったく触れていない作品だ。カリフォルニアのアーティスト、ブルース・ナウマンの《100の生きると死ぬ》は言葉で提示されたアートの明快な例だ。見る者は読み書きを学習中の子供のように、一対の言葉を声をだして読むよう要請される。だがこの対句がどんどん車轢を増し、不穏なものになってくる。媒体は商店の看板を連想させるネオンなのだが、大スケールでネオンが使われているため、ギャラリー全体が気にさわる雑音におおわれる. そうはいっても、類型化は警戒すべきである。コンセプチュアル・アーティストたちはそれを唾棄すべきものとみなしてきた。重要なのはどの類型に入るかではなく、ここであげた4作品がもちうる意味であり、それについてはあとでまた述べる。コンセプチュアル・アートの作品の多くは明らかな類型のいずれにもおさまらない。まさにコンセプチュアル・アーティストの多くが、自分の作業が狭い定義に押し込められることに抵抗するのもうなずける。彼らがしばしば美術館に異議を唱える1つの理由は美術館側が分類にこだわりすぎている点で、これがまたしばしば、ばかばかしい結果をきたす。展示が終わってコスースの《1つと3つの椅子》を撤去するにあたり、作品を所有していたある有数の美術館では、いったいどこに収納すべきか判断がつかなかったという有名な話がある。コンセプチュアル・アートの部門がなく、専用の収納場所がなかったためだといわれる。けっきょく,美術館の論理にのっとって収納することになり、椅子はデザイン部門、椅子の写真は写真部門、辞書からとった椅子の定義の写真は図書室へ!実際問題として、作品を解体しなければ収納はできなかったというわけだ。
その最たる例として「1963年のヘンリー・フリントの反美術館キャンペーンのような、美術館という制度そのものへのあからさまな弾効もあれば、近年のもっと執拗な、ジョゼフ・コスースやフレッド・ウィルソンといったアーティストたちによる,美術館の慣習の解体」をゴドフリーは紹介する。彼らは近年の美術館が教会や寺社を装い「沈黙をしいる敬虔な雰囲気や、神聖な展示品を保存し警備するフェティッシュな(物神崇拝的な)姿勢」にあることを批判するのだった。 そのうえでゴドフリーはエピグラフを以て分析したコンセプチュアル・アートの一つの構造。〈否定性は規定作用そのものである〉に着目する。
即ち、コンセプチュアル・アートが共有する批判精神は、規定作用そのものなのであり、その否定性にこそコンセプチュアル・アーティストの宇宙が包含されているのだ。そして最後に本書の読者へ向けたメッセージをもって本章を締めくくる。
各章の冒頭にロック・ミュージックと哲学分野からの引用を掲げているが、1つの理由としては、それが読者にとって考えるための踏み台になればとの思いがあった。また,コンセプチュアル・アートは知的考察と日常茶飯事の双方に関心を払っていた、という点を強調したいがためでもある。コンセプチュアル・アートが発する問いかけは、「なぜこれがアートなのか。アーティストは誰なのか。脈絡はどうなっているのか」といった美術作品のみを対象にした問いにかぎらない。それを見る人、またそれについて文献を読む人に対しても、「あなたは誰なのか。あなたはなにを代表しているのか」と問いかける。アネット・ルミューの作品《私はどこにいるの》が示しているとおり、コンセプチュアル・アートの問いかけは、見る者が自分自身に関心を向けるよう促し、見る者の自己意識を喚起する。コンセプチュアル・アートは様式ではないし、狭い時代区分に押し込めて考えるわけにはいかないものだ。1つの見方にすぎないが、それは批評精神に基づいた1つの伝統である。ただ、コンセプチュアル・アートの大きな部分がまさに伝統という考え方に反対していることを思えば、ここでの「伝統」という言葉の用法は逆説的であると言わざるをえない。本文では、現在も進行中のコンセプチュアル・アートの歴史について、明快で生き生きとした、かつ率直な紹介をしていくつもりであるが、それをもってなにごとかを決めつけることは私にはできないし、するつもりもない。つまるところ、なにを言じるかは読者にゆだねられている。まさに、コンセプチュアル・アートのどの一例を見ても、あなた、つまり見る人が作品のなんたるかを決めるように。 デュシャンとダダ
エピグラフ
ドイツ語のunheinlich はいうまでもなく、heimlich(家庭的)およびheimisch(生来の)の反対語であり、身近かなものの逆をさす。「異常なもの」はまさに未知であり身近かではないため、われわれは、そういうものは恐ろしいと決めつける誘惑にかられる。
芸術は概念(コンセプト)だ。象や椅子と違って、厳密に定義できるような事物の物理的な類型としては存在していない。自己意識のなかでみずからが特別な分類であることを自覚して以来,芸術はこの「概念的(コンセプチュアル)」であるという立場をしばしば遊戯的に扱ってきた。古典作家のプリニウス[23-79年]が、前4世紀のゼウクシス〔アテネで活躍した画家〕とパラシオスという2人の画家の,どちらがより本物に近い絵を描けるかの競争について書いている。ゼウクシスは卓抜した模写力でぶどうの房の絵を描き、小鳥たちがぶどうをついばもうとしたほどだという。だが競争にはパラシオスが勝った。彼は本物と見まごうばかりのカーテンの絵を描き、ゼウクシス自身、絵はその裏にあるはずだと見ようとしてカーテンを開けようとした。芸術と芸術ならざるものとを取り違えてしまったのである。2人は認識論(我の知るところのものを我はいかに知るのか)と存在論(たとえば芸術といったくくり方のたぐい、いったい分類とはなにか)の遊戯を楽しんだのである。レンブラントは1646年《聖家族とカーテン》を描いたとき、額縁とその絵をおおうはずだった布,というよりむしろ、それらの影をも絵画の一部として描き込んで見せた。腕の見せ所とばかりに茶目っ気を発揮したこともたしかだが、加えて、見る者に対して、自分は描かれた絵を見ているにすぎないという居心地の悪い自覚を与える作用を,そこに盛り込んだのである。ところで、この絵はコンセプチュアル・アートだろうか。たしかに自覚的ではあるが自己批評は欠落し、充分にリフレクシヴ〔反射的、間断ない自己への問いかけが表現に結びつくという意味〕とは言えない。前述のどちらの逸話においても、絵画言語に対する批評はなされていない。自己意識が自己批評への方向性を獲得し始めたのは、19世紀にモダニズムが勃興してからのことだ。エドゥアール・マネの 1882年作《フォリー・ベルジェールのバーン》のような作品は1つの罠だといえよう。見ている私たちは、娼婦のアルバイトもしているかもしれない女性バーテンダーに見つめられているような気になってくる。ちなみに彼女の背後の曲面鏡の作用で、客は右側に配置されている。その結果、私たちは奇妙な位置にいる感じになり、不安になってくる。 私たちはどこに立っているのか―物理的にもイデオロギー的にも。そして有無をいわせず,この絵のもつ奇妙な諸要素によって居心地の悪さはさらに増幅される。透視画法からすれば丸みをつけるべきなのに、ここでは平坦に描かれている瓶のラベル、空中ブランコの芸人の上部が切れている間,もやもやとしか言いようのない宙に浮かんだ絵の具の痕跡、本当のところ、私たちはなにを見ているのだろうか、1つの光景か、それとも一幅の絵画か、この両者はもはや相互乗り入れはできないのだろうか。 マネと同時代の詩人ステファン・マラルメは、意図して急進的かつ問題含みのやり方で,自身のテクストの頁や形状を扱った。これで彼の詩は見るからに視覚的なものとなり、マネが絵画で果たしたものにおとらず奇抜なものとなった。マラルメの散文詩『霰字に』(図11)では、頁全体が場として使われ、そこを横切ってテクストが広がっている一絵のなかの諸要素のように線が散逸し,単語を並べた行の長さや組み方もさまざまだ。さらに詩人の言う「純粋で複雑な想像力と知性の主体」をこの散文詩は体現しようとしている。マラルメは情熱や夢といったものは詩作の伝統的主題にすぎないと考えていたので、それを表現したわけではない。詩人ポール・ヴァレリーいわく「思考の形やパターンが、初めて有限な空間に置かれたありさまを見ている気がした」。思考あるいは意識の「視像化」は、後述するように後期コンセプチュアル・アートの主要な目標だった。
一貫して芸術として自己主張し、同時に、まさしく「芸術」とはなにかを問い続ける、そういうアートはデュシャンと彼のレディメイドをもって初めて登場してきた。コンセプチュアル・アートと呼ばれる