自分の健康を死守できない
経緯
なるほど、身の回り以上の死守ゾーンを死守できない感じなのか
🤔
わかる
なんというか、自分を構成する「身体」と「精神」について、「精神」が超重要になってしまってそれに比べて「身体」はほとんどどうでもいい感じがある
生き物なんだから身体と精神を比べたらまず身体が十分に健康でなければならないと思ってはいるけど
あと身体を蔑ろにすることによって結局精神も汚染されていくのだから精神が重要ならばやはり身体を守らなければいけないと思ってはいるけど
別に依存はしてないけど自制機能が死んでるのか
依存するものはないけど、何かをやめられずに身体を削っている時は「自制する理由がない」みたいな感覚でいるかも
いや、本当は自制すべき理由は当然あるんだけど
継続的に同じものに依存するわけではないという意味で依存症的な要素は自分にはないけど、日単位で言えば依存症的になっていることはしばしばある
一日で終わらせることが現実的でないことについて、終わるまでやろうとしてしまうとか
例えば漫画の一気読みみたいなこと
スタミナの制限がないゲームとか
絵を描くとかもそう
飽きるまでやめないという感じ
きりのいいところまで終わらせたさ?
きりのいいところというか、「これ以上進むことができないところ」までだなあ
(人によると思いますが私の場合は)
「全部」「スタミナがなくなるまで」「完成するまで」みたいな
もしくは「体力的にもうこれ以上無理と感じるまで」とか
「今日はもうええか」に倒れがち
その意味では確かにこれが発生すればやめられますね
なので「疲れなさ」の違いというのはなるほど感がある
一般的に依存症との関係がどうかはわからないけど、関係してそうな気はしないではない
けど、きっちり自制していたはずの人がうっかり依存症になって別人のようにめちゃくちゃになるパターンの方が印象に残ってはいる
1日3時間の余暇がない生活の方が問題なのでは
それは本当そう
ただ、余暇がない時(それ自体が本当は問題だけど)に「とりあえず身体を守る」ということができずに「精神の死が自分にとっての死」と解釈して身体が死んでいくのが危険という感じ
自分を守るということ自体が下手だから余計なものを引き受けて自分をすり減らしがちなところもあるのかも
ちゃんと自分の健康を死守している人が投げたものをキャッチしてしまっている人々というか
単に時間的に圧迫されていること以上に、対人関係でストレスを大きく感じてしまうからその帳尻合わせが大変ということがあると思う
回復しなければならないダメージがそもそも大きい
人との関わりでダメージを受けやすく、且つ人と関わることが回復にならない
「自分の時間」に辿り着くまでの間にHPが減る一方の毎日
ところで
staさん的には/staの構築自体が「やりたいこと」ということにはならないのかな? なんというか、/staを封じられたら困りそうなので 傍から見るとかなりのエネルギーを費やして猛然と城を築いているように映るというか
あと他にも色々なことをやっている印象がありますが
生活のグレードアップ(たとえば収入増加)に繋がる結果が出るもの
これをはっきり満たしていない感じか
「やりたいこと」の中に「人生を懸けたいもの」と「趣味」とのニュアンスの差があるのかも
「生きがい」を感じるもの
つまり世界や社会に自分が存在していること、自分の功績を刻み込んでいくようなもの?
これは私もないかも
そもそもそういうふうにキラキラした要素も熱くなる要素も自分にない感じ
野心がない
チヤホヤされたいというのもない
感謝されたいとかも思わない
「ついやってしまうからやり続けている」というもの
本題の「自制機能が死んでいる」状態でやっていることというのは概ねこっちかなと思う
自分が快を得ることが主眼になっている
創作活動をしている人は達成感を得ることで生きがいを感じるかもしれないけど、何かを成し遂げるということよりは、自分の頭の中を具現化できたーやったーということを求める感じが強い気がする
創作せずにいられない、みたいな
これは私にもある
ずっと「自分」について考えているとか
その延長として「他者」を考えることもある
あとは毎日はやらないけど気が向いた時にやることがいくつかある
まだ本心から「俺はこのスクボをつくりあげていきたいんだ!」というほどではない
なるほど~
なのでタイトルは「俺には無限に没頭できることがない」とかが正確か
その感じは共感します(多分共感できていると思う)
自分の人生についてなんか全部が片手間みたいな感じがしている
「本題に入れていない」みたいな
「これぞ我が人生」みたいなものがない