▽言い回しの強さで説得力の強度を上げようとする目論見に抵抗したい
他者のそれに対しても、自分がついうっかり使ってしまうそれに対しても
nora.icon大雑把な言い方になってしまうけど言うなれば「ディベート的」な表現が苦手で、なんていうか…情報の量や質ではなく言い回しの種類によって説得力の強度を上げようとするのは、無意味に支配的で攻撃的な感じがしてしまう。
nora.icon自分が何かしらの意味で理不尽な扱いをされているとなった場合に、反撃として他者に挑んでいくにあたっては言い回しの強さを使うことにはなるけど、それは理不尽な相手の無知・無神経を攻撃する意図を伴っているのであって、そういう必要がない場合に言い回しの強さを使う必然性は全く感じない。
nora.icon(ちなみにこのツイートでは最後の「全く感じない」に言い回しの強さが使われているわけですが、それは望まない場に於けるディベート的な表現によって不快な思いをしていることに対する意趣返しとしての意味があるからそうなっているのです)(良くない文の例)
nora.iconこれはついやっちゃったから自虐と自戒の意味で書いたけどその意図を書かないと逆に尊大に見える気がしてきた!
2021/06/22
nora.icon何かしらの真っ当な意図があるのだとしても、言葉選びが無神経ならもうその時点で駄目だと思う。人に何かを伝えようというのなら。
nora.icon例えば「これが一番良い」という表現。その「これ」の良さは確かに素晴らしいのかもしれないが、それを「一番」と言ってしまったならば、その瞬間に他の選択をまとめて侮ることになる。こんなに危険なことがあるか?
nora.iconしかしそういった無神経な表現というのは頭で理解しているだけでは排除しにくく、「つい使ってしまう」ということをしてから意志の力で除去しようとしても残ってしまう。
nora.icon単にその単語が残るに留まらず、文章ならば文脈自体が例えば「一番」「最も」「過去にない」「唯一の」というような形容を補強しようとしてしまっている可能性がある。
nora.iconよって、「生理的に拒否感を覚える」というくらいのセンサーを育てないと、ただ忌み嫌っていても自分の中からその態度を消し去ることはできないかもしれない。
nora.icon私自身まだ足りない。推敲するような文章ならばまだ除去しようという気持ちが働くが、その場その場で思ったことを書いているような状態だと自分で嫌っている表現を自分がするようなことがしばしば発生する。
nora.icon「言いたさ」が勝ってしまって、表現に気を使う気持ちが二の次になる。
nora.icon無神経な表現のほうが、「言いたいこと」が伝わる可能性は高い場合が多い。ので、「言いたさ」に負けるとそういう表現に頼ってしまいがち。