▽うちあわせCast第六十六回感想
日記は「感情」「心情」を書くもの?
「心情」「感情」にピンときていなかったんだけど「文脈」と捉えたら全てが解決!という感じがしているので、私に合うワードは「文脈」なのだなと思う。
「文脈」というのは「そこにある事実」や「数値化できる記録」だけからは形成されない「感じ」というか「慣性」というかなんかそんな感じのものなんだけど(言語化放棄)、それは日本語の問題として「心情」と言ってしまえる範囲ではないような感じがしていたんですよね。
「何かから影響を受けている状態」を「心情」の二文字から導き出せるかという疑問がかなり昔からあった。
あまり関係ない話だけど「行間を読め」という言い方がなんかめっちゃ気に入らなくて、「行間」じゃなくて「行の後ろ」やボケェ!!みたいな慣用句への怒りがあるんだけど、「書いてない真意」というより「そこにそれがその度合いで書いてある意味全体」を考えてほしい。
タスク管理ツールうまく使えたことない〜。
全体的に肌感覚的なものがTak.さんと相当近そう。「できないこと」が似てそうというかなんというか。(うちあわせCast聴いてる)
「フォーマット」、自分で「こうしたら良さそう!」と思って作る割に一週間くらいするともう従う気にならなくなる。
自分を守ることのうち一番くらい健全なのが日記という感。
手帳界隈をずっと追ってたから日記を書くことは流行っているものと思っていたところがある。
倉下さんと語彙の構築パターンが似ているのか「偶然同じ言い回しをしてしまう」がしばしばある模様(「お祭り的」と呟いたらすぐ出てきましたね)
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2021/05/18追記
最初から他人に向けて書くと迫力がなくなるというのは本当にそう…
内側に色々と抱えている人がテンプレートに従おうとしたときの残念な状態もわかる
そもそも、テンプレートに従おうとしてしまう程度の「良識」があるから「内側に溜まる」ということになる気がする
メモ魔だった瞬間が正直無いなあ
書きたいから書くというより、書かないと絶望が待っていることを知っているから書き残している
私はこの絶望で本当にすさまじく打ちのめされたので、書き残さないと時間差で死神が来るくらいの切迫感がある
死神が来ないのならあんまり書かない気がする
でも来るので(これは絶対に来るものなので)今は書いている
「他者性」によって価値観を回してもらうことについて
そういう存在になりたいという気持ちがある
自分の個性は自分の分しかないので限度はあるけど