なぜ共働きも専業もしんどいのか
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読書開始 : 2019-07-27
読書終了 : 2019-08-10
内容メモ
はじめに
シンガポールで暮らした著者は、多くの家庭 (共働きでも片働きでも) で住み込みメイドやパートタイムのヘルパー、外食を使って余裕を作っているのを見た
一方で日本の家庭では女性が 2 人分や 3 人分の無償労働をしているように見える 一方の男性側を見たときに、シンガポールと比べて日本では稼ぎ主プレッシャーが大きいように見える
日本の社会は未だに専業主婦前提で設計されたときのままになっている 女性が全面的に家庭を任せられ、労働市場では制約のある人材として排除される 本書は、主に日本の雇用システムでの働き方と子育て領域に焦点を当てている そのため、多くの事例は既婚で子育て中の会社員や専門職のもの
主張
社会の方向性としては、若い世代が 「専業主婦でも生きやすく、それを目指せるような社会にする」 というよりは、働ける人は働くことができ、男女ともに一時期働けない期間があってもセーフティネットがあり、親を含めた様々な大人が子育てに時間を割けるような世界を構想すべきではないかと考える 1 部 : なぜ共働きも専業もしんどいのか
1.3 : しんどさを生み出す循環構造
職場における生産労働と、仕事をしている家族を支えたり、将来の労働力である子どもを育てるといった再生産労働 妻の支えを前提として、家族手当を支払うなど、会社が家族ごと責任を持つような仕組みが企業の福利厚生や給与体系に盛り込まれてきた 雇用調整についても、欧米型の需要が減ればレイオフして増えれば採用する、という雇用数の調整ではなく、バッファーとしての残業を用いた労働時間での調整をするようになった → 長時間労働の定着 こうした在り方が、女性のフルタイム正社員での就労継続を困難に
長時間労働を全ての正規雇用者に期待すれば家庭が成り立たない → 個人ではなく家族を会社がサポートするように
男性には長時間労働を期待し、女性には長時間労働を免除することで家庭を優先してもらう、という相互補完性
→ 男女間の賃金格差が発生し、「夫は家計に、妻は家事・育児に主たる責任がある」 という伝統的分業が合理的に見える
企業と家庭の合理性のないはずの均衡は他の領域でも
父が賃金を持ち帰り、母が教育やケアを担い、育てられた子が新卒一括採用で仕事に送り込まれるという戦後日本型循環モデル このモデルが成立している間は、政府は 「仕事」 の領域だけを支えていれば間接的に家庭を支えることができていた
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これが一見うまくいっていたのは 1955 年からバブル崩壊まで 稼得責任は男性、家庭責任は女性、というのを前提にした社会が限界にきている
2 部 : 主婦がいないと回らない構造
1 章 主婦に依存する日本の会社
2 章 専業でないとこなせない? 日本の家事
長い目で見れば、技術が発達するにつれて実現できる家事の水準が向上 → 家事のレベルも上がっている
高水準の家事を求めるが外注は嫌がる
欧米では子どもも含めて誰もが家事をほどほどにする生活様式 日本は、成人男性の関与が極端に少なく、成人女性のみが家事を分担する
子どもの視点では、「母親が料理にこだわって忙しくしているから構ってもらえない、食卓は楽しいものではなかった」 というコメントも
一方で、村八分を恐れる面も
「性別役割分担は古い」 という考えの人が専業主婦になると認知的不協和が発生しうる → 認知の変化が起こりうる 共働きだと夫に強く出ることができても、専業主婦になると不満を飲み込むように → 経済的自立がないことの不安 そんな中での生存戦略は、私的領域で夫を自分に依存させること (自分がいないと生活できないようにする) 3 章 子育て後進国・日本の実態
共働きだと子どもに向き合えないという意見が多い
ワークライフバランスが取れていると表彰されるような企業でも、職場の居心地が良かろうと家庭では子どもが怒り出したり親を困らせる行動に出るなどのネガティブな反応を示すように (『タイム・バインド』) 結果、子どもとの埋め合わせの時間 (第 3 の仕事) が必要に
専業主婦だと家で構えずに放置になりやすい
子どもとのほどよい時間を確保しづらい
祖父母頼み、伝統的家族観の問題
1. 教育方針の違いや世代間ギャップで育児世代のストレス増加、子どもへの悪影響
実の母と娘でも発生しやすい
2. 祖父母世代の負担が大きすぎる
また、祖父母がケガなどをすると、途端に現役世代に介護負担が乗ってくる
三歳児神話が神話だと言われて久しく、世界的には就学前の公的投資の必要性が言われている 実は、運動指導をしている幼稚園よりも、特にやっていない幼稚園の方が子どもの運動量は大きいという皮肉な調査結果
運動指導だと、待ち時間が長かったりする
日本の保育政策は量の時点で躓いていて、質の議論が二の次
背景は、母親の労働力を無料として扱ってきた社会の構造
3 部 : 変わる社会の兆し
おわりに