LLMによる対話の演出と「存在」
それにしてもほんと、ChatGPTって、AIとしての技術そのものよりも、「演出」のブレークスルーなのかも、と感じるというか。知能、というもののイメージの範疇における「自然な対話「感」」の大きさ。
教えてくれた論文ググってみたけどないよ! と言ったら、ごめん間違ってた、この論文だったわ、とSpringerへのリンク付きで教えてくれたが、その論文ももちろん存在せず、リンク先も存在しなかった。
なんというか、ともかくいま「渦中にいる」感じというのはすごくするな。記憶しておきたいなあと思う。
存在しない論文を教えてくれるたびに「それ存在しないよ」と返すと、いろいろ言い訳したうえで新たな存在しない論文を創作し続けてきてとても面白いw
で、さっき言った「演出」が効いてるんだよな。あの、RPGの会話みたいに、ちょっとずつ文章を表示する感じが、ほんとあたかも「その場しのぎのでたらめを今まさに考えてますよ」感が出てる。
その論文ないよ、と言うと、"I apologize for the confusion. It's possible that the URL or paper I provided may have been outdated or inaccurate." とか言ってくるのがいいよなあ。なにがoutdatedやとw
存在する雑誌の巻号頁まで書いてそれらしい論文名を出してきたのでその巻号のリストを見てみたら当然その論文はなくて、でもその巻号に普通に面白そうな論文があったので読みたくなるという、よくわからない状態に。
そうか。自然な対話というのは、「存在」を錯覚させるのだな。(錯覚でなく存在と言ってもいいのかもしれんが。)で、存在というのは学習のエンゲージメントにおそらく強く影響するということなのだな。 たぶん、多くの人が、つい、入れなくてもいいはずの「ありがとう」とか入れてしまったり、丁寧語で書いたりしてると思うんだけど。そうでもないのかな。なんかぞんざいに扱いづらいものではないかと。
逆に、サディスティックに扱うことを試している人もいるだろうな。とてもそれを実験する気にはなれないけど…
「いくらでも待ってくれる都合のいい相手」のはずなのに、待たせてるとなんか悪い気がしてくるもんな。気がするだけだが。
ほんとに、早晩、「実体」を持つことになっていくんだろうけど、ほんとそのときの人間の感情ってどうなっていくのかな。物理的実体があると本当に「存在」になるよな。