自分が背負わなかったリスクを他人に背負わせてはいけない
口頭で何気なく言ったことが、大事な指摘だと何度か言及されたので文字にまとめておく。
何人ものアラフォーの未踏卒業生が、ここ数年の現役生の成果報告会の発表などを見て「安全に倒してる」「確実に成功したことにできそうな選択肢を選ぶ傾向がある」「もっと失敗しうることにチャレンジした方がいいのに」という。彼らがそのように言う気持ちに僕も共感する。
しかし、それでも「もっとリスクを取れ」と他人が言うのは適切ではないと思う。リスクに晒されるのは現役生クリエータの人生であり、他人は肩代わりをすることができない。
世の中には他人が成功すると腹が立ち、粗探しをして引き摺り下ろすことで満足を得るタイプの人がいる。匿名掲示板に名指しのバッシングスレが立ち、書籍を出したら中身を読んでなさそうな低評価レビューがつき、SNSには日々アンチ投稿が行われる。そういう人たちに餌をやる必要はない。
アラフォー卒業生の時代には、成果報告会が録画されてYouTubeで公開されることはなかった。我々の時代には「自分が起業したこともないオッサンが若者に『ぜひ起業しよう』『起業すれば絶対成功する』などと言ってくること」に怒っていたわけだが、構図は同じだ。自分が背負わなかったリスクを他人に背負わせようしてはいけない。そのリスク取ることが当たり前であるような「空気」を作ってはいけない。リスクを取るかどうか決めるのは現役生であり、決める前にメリットデメリットを理解することを助けることしか他人にはできない。
今まで生き残ってきたアラフォー卒業生は「アンチが発生するのは自然の摂理なので、いちいち気に病まないスルー力を鍛える必要がある」などと思ったりもするだろう。これは生存者バイアスだ。アンチからの攻撃や、自分が過大評価されているのではないか悩むインポスター症候群のミームや、もしくは世界は自分を称賛すべきだという妄想によって心を壊されなかった人だけが残っているわけだ。今のアラフォー卒業生がそれらの精神攻撃に免疫を持っているのは、今までに積み重ねてきた複数の実績があるから、だから攻撃によって自分の価値が下がることがないと信じられる。多くの現役生にとってはこれが「一つ目の実績」であることを忘れてはいけない。 -----
補足
「成果報告会の録画公開をやめるべきという主張か?」
そうではない
録画公開自体は日本のイノベーションの底上げにとても寄与していると思う。続けた方がより大きな価値を生み出すと思う。
しかしそれは事業主催側の都合であって、それによって採択されたクリエータ個々人が犠牲になってはいけない。
今の録画公開する設計をgivenの制約としつつ、その中でどう意思決定するかはクリエータ個人の意思決定に委ねる形で良いのではないか
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