生まれた後の命と生まれる前の命のバランス
繊細な議論だということは分かった上で申し上げますが、国を継続していくことは「生まれた後の命と生まれる前の命をバランスし続けること」と言い換えられると思います。大雑把に言えば生まれる直前から生まれた後の命を担当するのが医療、生まれる前の命を担当するのが社会の枠組みや政治だと思います。
医療が発達することは生まれた後の命を守り延ばしていくことです。医療は生まれた後の人たちの幸福感を高めます。しかし、極論を言えば人が生まれてこなければ守るべき命もまたありません。では生まれる前の命をどう守っていくか、つまりは生みやすい社会や制度や環境ということになるかと思いますが、担当している省庁はありながら非常に横断的で複雑です。なにより生まれる前の命が抱える最大の弱点は、票として表現することができないところです。
民主主義の制度で、生まれた後の人々が自分の人生の利得(子供が産まれて嬉しいなどの感情は省く)を追求し切るなら、誰も産まれてくる命に関して考えることはありません。極端なことを言うと、今生きている世代が栄え、分配し徐々に衰退していけばそれで終わりです。 幸せになりさえすれば人は子供を持ちたがるというご意見がありますが、これは部分的には正しいところがあっても、大きな視点で言えば先進国は一様に少子化が進んでいます。大変悩ましいことですが、マクロで言えば豊かになるほど少子化に向かう、つまり幸せになったからと言って子供を持ちたがるとは限らないということです。 民主主義制度の国家が継続するには、生まれる前の命を誰かが代弁しなければならず、自分の人生を超えた時間軸で個人が投票することを求められていることになります。しかしこれは大変難しい問題です。生まれた後の命の利得の一部を未来に配分することになるからです。
少子高齢化社会では何が起きるのか。世界中が学習のために日本を注視しています。人間は果たして自分の個人の利得を超え、自分の人生の時間軸を超え、今目の前にいる人間だけではなく生まれてくる前の命まで想像しながら、自分の利得を未来に渡すことができるのか。一つの社会実験のようです。 後世から、この世代は想像力を持ち、自分達の利得を超えて次の世代のために生きたと評されるようでありたいです。
生きてる人間が一人一票で民主主義をすることには、まだ生まれていない未来の人間のための分配を軽視するバイアスがある、ということだな。 関連
子育てって「市場を創造している」ことなんです。市場がなくなったら商売人は事業をたたまないといけない。育児の優先度が圧倒的に高い
市場がなければ僕らは商売することなんてできません。だけど、周りを見たら育児をしている経営者なんて誰もいないんですよ。それもそのはず。だって、この国は政治も経済も育児を犠牲にしてきた人が出世して社会のリーダーになっているんですから。僕は幸いにもこうして育児を経験できた。だから、商売人は商売のことを語る前に、まず育児をしなくちゃいけないんだってことに気付けたんです