環境が変わると能力の定義が変わる
歴史の中で、技術は人間の身体感を変えてきた。技術革新によって、農業革命、産業革命といった社会や経済の構造変化が起こった際には、それぞれの産業に従事できない人や新たな道具を使えない人が“障がい者”と規定された。つまり、技術にはハンディキャップを埋める力があると同時に、新たなハンディキャップを生み出すという側面もある。今後、情報技術が進化した先に、どんなメリットやデメリットが生まれるのか。その技術が人間の身体感、そして人間が『ヒト』という存在に対して持つイメージにどんな変化が起こるかを見ていきたい(稲見氏) Ultima Online
耳の聞こえない人にとって、文字でのコミュニケーションしかできないゲームの世界は「障害のない世界」だった 平等な世界
意外と知られていないことだが、UOを楽しむプレイヤー層には聴覚障害を持つ人が他のゲームより圧倒的に多い。どこにも障害がないプレイヤーであっても、処理を早めるために、サウンドや音楽をOFFにしている者はかなりいる。そして、UOでのコミュニケイションはたとえ裏でICQやIRCを利用していたとしても、文字だけで行うことができる。つまり、目が見えて、指が動きタイピングができれば一向に問題はないのだ。わたしの知らないだけで、足の悪いプレイヤーだって多いかもしれない。わたし自身、旅行に出かけたときに足に割に大きな怪我をしたが、UOのプレイにはまったく支障がなかった。せいぜい痛む時に中座して湿布をはり替える必要がある程度だ。
わたしの出会った戦士も、そんなプレイヤーのひとりだった。PKKギルドDEを脱退し(本編参照)、UOのプレイもほぼ引退した後に彼と出会った。久しぶりにブリタニアにダイヴインし、ひょんなことからダンジョンでともに狩りをし、サウンドの話になったときに彼は自分が聴覚障害のあることをわたしに告げた。
「僕たち同じ、音のない世界に今はいるんだね。でも全然平気だ、君の顔はちゃんとみえるし、声も文字になって聞こえる。文字が僕たちのコミュニケイションを導いてくれる」
それからいろいろな話をした。UOは彼ら聴覚に障害のある人たちの間でとても人気があるのだという。外に出たいが周囲の音が聞こえない彼らは、出かけるのが恐いと思うこともある。距離が離れてなかなか仲間とも出会えないため、電子メールやIRCなどを使って話をすることが多い。そんなある時、「これなら距離に関係なくあって一緒に話せるよ」とある一人がUOの存在を口にしたのが始まりで、またたく間に彼らの間でUOは普及し、プレイが開始されたそうだ。毎日のように時間を決めて酒場に、塔に、時にはダンジョンに集まった。恐れず見知らぬ人との出会いを楽しむことさえできるUOは、彼らにとってゲームではなくツールであった。
「ところがね、僕たち最初は一緒にプレイしてたんだけど、いまはバラバラなんだ。メールで《俺この前リッチを狩りまくったぜ》とか《家を買ったから遊びに来てねえ》とか情報を交換するだけなんだよ。みんな、それぞれ別々のギルドに入って、それぞれの仲間と一緒にプレイしてるんだ。ブリタニアにいる限り、僕らはべつに耳の悪いもの同志で手話で会話したりする必要はこれっぽっちもないんだもんね」
「僕らにとって、ブリタニアは障害のない世界なんだよ。とても楽しいよ。PKにやられて悪態を吐くのさえ楽しいね」
その日わたしはまったく思い付きもしなかったゲームの可能性を彼に教えられた。「また会おうね、一緒に狩りをしようね」と声をかけて彼と別れたあと、彼のプレイにこれからも楽しいことが多くあるようにと願った。
耳の聞こえない人は大気の振動を介したコミュニケーションが苦手なだけ
テキストベースのコミュニケーションには障害がない