日記2024-06-19
個人の長期的戦略としては「他人が価値がないと思ってる間にポジションを取る」が良いが、締め切り付きの知名度獲得競争だとそうもいかないよな
手軽な知名度向上戦略として名前を連呼したりする行動が誘発されるのはよくわかる
Anfang_Ende 今月は対応の必要な課題が多くあり、お陰で吐き気がするほど脳内が騒がしくなった、同時にこの件を改めて感じることになった。 >nishio 「リスクが高い低い」型の思考と異なって「ここに探索空間がある」型の思考が行われる。動かない人は「探索しない人」であって「空間の外にいる」「特に注目に値しない人たち」という認識をされる https://pbs.twimg.com/media/GAeEMG5akAAGD0E?format=jpg&name=medium#.png
これは切り出して独立ページになる方がいいかも
fpocket Pluralityについて理解を深める上でも良書だと思う。知性、科学、言語、民主主義、資本主義などを考える上で重要な概念が濃縮されていると思う。著者も述べるように、コルモゴロフ複雑性は、人間の知性について議論する上で本質的と思う。価値体系の話は柄谷行人の哲学に通じるところもある。 fpocket 生成AIが生成しているのは、本質的には情報を圧縮するための言葉(基底)であって、言葉の生成は、これまで交換できなかった情報の交換も可能にするように思う。心的イメージのようなものも直接的に交換できるようになるのかもしれないと感じる。ブロードリスニングのその先にある未来である。 fpocket Pluralityが難しい要因の一つとして、主観的世界観を共有する言葉の欠如にあると見ている。生成AIが生み出す言葉は、主観的世界観を共有できる新たな芸術を生み出すのかもしれない。大規模言語モデルは、自然言語に頼っていた情報の交換様式を一変させるのかもしれないと思う。 たしかにAIの内部にはバイアスがありますが、モデルに少し手を加えることで、人間よりもずっと簡単にバイアスを減らすことができます。
高校生を対象にAIなしとAIありでの議論実験、面白い。AIなしでは積極的に発言する「自信のある人」たちの視点から「自信のない人」に負担を強いる結論になったが、事前意見収集とAIによる分類でそれぞれの視点に立ったり自分の認知をメタ化してより多角的に考えることができた
takahiroanno 生成AIのリスクの一つとしてディープフェイクが作りやすい件を総理にお伝えさせていただきました。やはりデモがあった方がわかりやすいだろうということで、RVCというボイチェンを利用し、恐縮ながら岸田文雄総理のモノマネをさせていただきました https://gyazo.com/c1a221f96121cc0c2406d22c198957ab
erukiti Twitterなどオープン系SNSではまともな議論ができないという理由で、Discordなど閉じたコミュニティへの移行が加速している 勉強会なんかも、誰が来るかわからない(ただ飯パーソンが出没するような)オープンなモノは忌避される気配を感じている。今後はどんどんクローズになっていくのではないか?
erukiti 信用・信頼とか、ギブ&テイクが重要な時代に突入する、していると思う nishio オープンなSNSでの議論をより良い方向にモデレートしていくことがLLM技術の発展で徐々に可能になってきているし、今後の社会を構築する上で重要な部品になるように思う 僕が
Claude使ってるのを見て「Claude派か」と言う人がいたんだが
ChatGPTも使うし…
「派」ってなんやねん、電車とバスとどっち派ですかって言ってるようなもんやぞ、目的に便利な方を使うに決まっとるやろ
有能な人を100人集めたボランティア集団、仕事してる雰囲気を出すための無駄な仕事を作り出す人もやる人もいないから平和だな
kmizu 人気OSSの開発者たちの嘆き「無償**なのに**軽んじられ、分不相応な要求を跳ね除けたら非難される」みたいな奴、これは「無償**だから**軽んじられる」と考えるしかないよねと思う。加えるなら「自由に利用可能」という性質も軽んじられる傾向に拍車をかけている気がします。 どうしても「お金」(か代替の何か)という形で「自分たちが出血」しなければ尊重は難しいんだろうと思います(金銭を払うことはで実際、身体的苦痛を司る脳の部位が活性化するそうな)。あるいは自分達も「開発者側に回る」か。
piro_or 自分が必要な物を自分で作れる範囲で作る。自分が必要ないものや必要性を感じない物、作れない物は無理して作らない。他人のために作らない。自分のニーズと美学のために作る。自分のために作るのなら、他人から軽んじられても気に病まないで済ませやすくなる。これに尽きると思っている。 piro_or 使う側としては、求めすぎない。作る側と使う自分の動機が一致しないとき、食い下がりすぎず、断られたら諦める。作る側への不満や恨みを募らせずに、ありがたいと思っていられる範囲の関わり方・期待の仕方までにとどめる。それ以上踏み込むなら、自分が作る側に回る時だと考える。そんな所でしょうか piro_or これを超えること(自分が使わない物を作る、作り手の動機に一致しないものの実現をどうあっても求める)は、「事業」とか「業務」とかの領域なのだと思う。業務として取り組むなら、収益に寄与させられる目算が必要になる。目算が立たないままやってしまうと、継続できず破綻してしまう。ということなのだと思ってる。 (会社でやることでも、自社で使うためとか、会社の理念のためとかでやるんだったら継続しやすいのは、そういうことなんじゃないかなと。)
piro_or これは「長く続けたいなら・プロジェクトを長生きさせたいなら無理すんな」って話なので、長生きさせる気がないなら、要望全部取り込んだり無理しまくったりして短期で人気穫って売り抜けるのもありなんだと思ってます 6/19
泉 房穂(いずみ ふさほ) @izumi_akashi
都知事選での注目候補のひとりだと思う。私も大いに注目している。