日記2024-06-13
dmikurube そういえばオープンソースで政策議論っていうのにはいちおうこれをぶつけてはおきたい。提案を外から降らせることはできるとして、どれを取り入れてどれを取り入れないか決めるのはもちろん当人だというのを、当人は当然わかっていると思うけど、「オープンソース」に夢見た周りが忘れてたりするんよな >dmikurube: オープンソースは「すべての人の意見を民主的に取り入れて意思決定します」じゃないよ…? 意思決定は「中の人」が独善的にやるものだし、それでなんの問題もない。「ライセンスに従うかぎり使ってもいいし派生物を作ってもいいよ」というだけであって
dmikurube 以上、最近は「オープンソース」が変に持ち上げられるのをむしろ微妙な気持ちで眺めている、とあるオープンソースソフトウェアのメンテナーがお送りしました dmikurube まあもちろん「取り入れない」と決めるまでの過程にそれぞれ議論があることが期待されて、その議論にこそ価値があるのだという話なんだけど dmikurube まあメンテナーの場合はもう議論をあきらめてガっと reject → close することも許されるけど (なんといってもメンテナーなので) それでもやってきた提案に No っていうの、実際はけっこう大変なんですよ。いわんや果たしてそれが「政治」の文脈で受け入れられるのかどうか dmikurube 大変だとは思うけど、実際どう推移するのか見てみたい気持ちはあって、そういうのも込みで言えば期待してないわけじゃないのだ dmikurube まあ実際オープンソースのプロジェクトは、大規模になればなるほど、関わる人が多くなるほど、ふんわりしたオープンソースのイメージとは違って「ザ・政治」になってくるわけで、そのあたりでガチの経験がある人だったら、そういう意味では政治もやれなくはないのかもしらん dmikurube この手の話、選挙ベースの立法府・議会より、行政府・役所でやるほうが向いている気もするんよな dmikurube 考えてみれば Audrey Tang はまさにそれなのか。オープンソースのプロジェクトのガチで中の人をやっていて、かついわゆる代議士ではなく、あくまで行政院の閣僚