日記2022-11-18
@nishio: 「Twitterが潰れるぞー」的な話には懐疑的なんですけど、それはそうと自分の周囲の信頼できるアーリーアダプターが動いたらとりあえずついていった方が面白いものが見れる確率が高いと思ってるのでfedibirdにアカウント作りました >なお今も今後も「情報が流れ去って過去の思考が滅多に掘り返されないような情報システムは考えたことを置く場所としては古臭いポンコツだからScrapboxがいいよ」派です
ふむ、せっかくだから一番アーリーアダプターな設定にするか
https://gyazo.com/f115e9074300484ea0ac213e47601148
名前空間戦争に負けないようにアカウントだけ作ってる/villagepump/inajob.icon
それな/villagepump/nishio.icon
nishio取れなかった、敗北
「インフラエンジニアがやめたから潰れるぞー」って風評に対しては「ホンマかいな」という気分だけど、Twitterは僕にとっては「たかだか十数年前から使い始めたSNSに過ぎない」って認識なので、別に潰れても困りはしないように思う/villagepump/nishio.icon
ぼくが大学に入学したときはICQとMSNメッセンジャーとYahooメッセンジャーの時代で、それからmixiの時代が来た。サービス自体が死んだりするより前に、自分や周囲の人が活動する場所が変わっていってそちらに移動していった
なのでTwitterというサービスが物理的に潰れるか、面白い人が別の場所で面白いことをし始めて、僕のマインドシェアがそちらに移動するか、どっちかわからないけど別に問題などないかなーという気持ち
https://gyazo.com/e24bd5076721655049aa922b030eb6a2
管理人に「ありがと」できるの面白いな
https://gyazo.com/59093ae07398540e706d5fbc3dcf108c
Discordでよく見るやつだ
今朝の話
@nishio: 聞き取れない外国語を話すことが出来ないのと同じで、読むことができないプログラミング言語でプログラミングをすることはできない。 絵を描くことも同じで、「読み取る」ことができないものは表現することができない。しかし誰でも「見る」ことはできてしまうので、自分はできていると思ってしまう。
あー、自分の中で言葉になったものを外に出して眺めてやっと気づいたんだけど、こらが「眼差し」ってやつか。 デッサンの訓練は、自分は物事を見ることができているという思い込みを捨てて、正しく見ることを訓練するらしい。 この動画にすごく学びがあった
(link間違ってた)
https://youtu.be/u8TloW5OJN0
人の描いた絵をベースに、スポイトで色を取って塗る訓練をしたら「色塗り」のスキルが獲得できると誤認していた。しかしそれはC言語を学んでいない人がコンパイル済みの機械語を眺めてプログラミングできるようになろうとしているようなものだった。
見る力を培うために、対象物をじっくり時間を掛けて「見る」ことが大事で、単に「よく見ろ」と言っても人はできないので「見てないとできない作業」をさせることによって結果的に「よく見る」を実現させる。これはプログラミング学習における写経と同じ。しかしそれだけでは足りない 最終成果物をいくら「よく見る」しても、それだけではその成果物が出てくるプロセスを理解することは難しい。昔の素朴な物体(棍棒とか)に比べて、今は作業のデジタル化が進んでより一層「作業過程の痕跡」が最終成果物に残りにくくなり、より一層困難になっている。
色塗りにおけるレイヤーとプログラミングにおける関数の共通点。初心者はなぜそんなに細かく刻むのかわからない。わけるのが面倒。一つでやろうとしてしまう。上級者はレイヤー/関数を一段階抽象化した部品として認識している。分けずにやるよりも、分けた方が認知の負荷が下がるからやっている。
影には影のレイヤーがあり、焼き込みなどのレイヤー合成効果によって機能を発揮する部品として設計されている。レイヤー合成後の画像を見ても、その位置にその色があることしか分からず、その色がどういうプロセスで導出されたのかわからない。手で選んだように思えてしまうが実は計算で求まっている
このケースでの色の調整は人間がパレットから具体的な色を選ぶことではなく、レイヤー透明度というパラメータを調整することによって行われている。
CSSでいえばabsoluteなpositionを人間が指定するのではなく、flexのパラメータを調整することによって行うようなもの。
一度「生成過程」を学ぶと、最終成果物を見た時にその生成過程を「少し」想像できるようになる。
これは3Dプリンタを使って3D形状を設計し出力するプロセスを知ると100円ショップが美術館のように感じるのと同じ。
僕は金型射出成型を知らないのだけど、知るともっと輝いて見えるようになるのだろう
僕は料理ができないけど、できるとレストランで食べた料理に何が使われているのか読み解いたり、自分で再現しようとしたりする楽しみが生まれるのだろうな。これも同じ構図。
眼差しは消費者の側で鍛えることには難しさがあり、生産者の側に立たなければならない?(仮説)
先日からKJ法の表札をどのようなタイミングで変更するのかという質問があって、考えていたのだけど、それがこれに関連しそうな気がする。でも今日はこれから用事があるのでとりあえずメモだけ。
作り手の視点、やりやすくなるように変更する、関数は作った方が楽だから作ってる
「どういう時に関数を作るのか、どういう時に関数名を変更するのか」それはやりにくさを感じた時、やりやすいように変える
これを認知するためには、まずは自分の行なっているプロセスの「今は上手く回っている」「今は上手く回ってない」を認知できる必要がある
上手く回ってないと感じた時に直す