思考の結節点20190419
この違和感は何か
自分で見てもこのつらつらには複数のトピックが混ざっているように感じる
が、とりあえずこちらにまとめておこう
「アイデアを思いつかない」という状態と「思いついたアイデアに自信がない」という状況は別物では。
後者の「自信がない」人が、「正しい技法に従ってアイデアを生み出せば、それは自分が生み出したアイデアよりも良いものなのでは」と思い込んで発想法を求めるが、それは誤りだよねー
「アイデアを作る方法」を「たくさんの案から選ぶ方法」「選んだものを実行する方法」と切り離して考えるのは正しくない分割統治、局所最適化なのでは
ランダムに刺激したり並び替えたり単語を取り替えたりする技法、固着を起こしてる人には有益だが、不安症を起こしてる人には無益 選択肢が増えるのでより一層選ぶことの不安が高まる
「しっくりきた」「欠けていたピースが埋まるようだ」
一つのピースで複数の問題を解決する
だから「アイデアを生み出す部分」だけ切り出して議論をできるという考え自体に問題があるのか
この件に関して人に話してたら「発散と収束」という言葉が出てきたけど、そもそもこれに違和感がある
収束が会議室の中で行われるのおかしいと思う、市場が選択したり、見込み顧客に見せたり
「発散して収束してアイデアができる」というメンタルモデルが有害であるようなシチュエーションがあるのではないか
妻「アイデアは考えるのではなく出す感じ」
色々なアイデアを入れておいて、ガチャガチャと回すと、ポトンと出てくる
ノウハウとしてのアイデアを出しやすくなるテクニックは存在する気がする
それらの方法はすべて「頑張って出すもの」ではない
「アイデアを出す方法」を頑張る時点で何かが間違っている
「毎回下剤で出さなきゃいけない人は食生活から見直すべき」
なるほど、面白い例えだ
「アイデアは出るけど形にできない下痢の人も食生活を見直すべき」
メンタルモデルがある状態での脳内での繰り返し実験と観測