人生の選択肢をどうやって知ったか?200〜250
人生の選択肢をどうやって知ったか?200〜250
yasu__j: 大学で上京した(高校の先輩の誘いで都内を見学) 情報系に理転した(覚えていない) 海外大学院も同時受験した(学部の先輩が日米同時受験してた) 第二言語で思考できるまで訓練を続けた(大学で知った) 移民が多く、前提が通じない国に数年住んだ(知ったというより選択の中で付いてきた) twitter.com/nishio/status/… seri_k: 「一度社会人になってから仕事を辞めて日本の大学院のCS専攻に進学して工学修士を取得」.社会人でも大学院に行って勉強し直すという選択肢を取れると知ったきっかけはこのブログでした. note.com/ruiu/n/n3f3146… HigeponJa: ・未踏ソフトウェアに応募した(同僚が経験者) ・OSを1から作った(オープンソースが周りではやってた) ・海外で働いてみた(親も近所のお兄さんもやってた) twitter.com/nishio/status/… yusk_: ソフトウェアエンジニアを職業にしてずっとそれだけをやってきたのは良い選択だったと思っていて、そういう職業(プログラマ)があると知ったのは、小学生の頃習い事で毎週通っていたビルの一階の本屋に 先生の「こんにちはマイコン」が置いてあり読んだからですね。先生と本屋のおかげです。 twitter.com/nishio/status/… yusk_: 外資に転職したのもよかったかなと思ってるけど、これは当初選択肢としてほぼ考慮しておらず、選択肢に入ったのは、当時書きたい事を書きなぐっていたblogを見た方が誘ってくれて面接が設定されたというの(だけ)が理由ですね。 yusk_: その後米国に引っ越したのも生活の満足度を上げるのに有効だったと思ってるけど、これも外資転職時点では一切考慮しておらず、転職後に人々が各国を結構勝手に行き来しているのを見てそういうこともできるのか…と思った感じですね。事前に知る事もできたとは思うけど実際に見るまでは実感がなかった。 yusk_: 関係ないけど、実際に9年前?に米国に引っ越してみた感想としては sites.google.com/site/mountainv… の、「アメリカに住んでみるというのを考えてみるのもいいものです。実行するまえは大胆すぎるように思えるのですが、やってみると日常になってしまうので大したことありません。」が自分のと近い感じがする。 hdump: 40代の業界の人には多いですよね。かく言う私もなんですが。 papa_s_papa_s: 面接まで歩を進めていた就活先やめて紹介された就活先へ決めたこと。かなあ。正解だったかはわからんけど。 その紹介は教授の知り合いから。 そのお知り合いは紹介先に出入りしていて、そこはあるスキルを持った学生を探していた。 そのスキルは面白そうと思って教授に頼んでやらせてもらっていた。 twitter.com/nishio/status/… papa_s_papa_s: そもそもそのスキルとその元になる知識を使った研究を教授がしていたから、その研究室を選んだ。 そのスキルと知識をその先生がやっていることは講義で知った。 その講義はその先生が学部1年時の一般教養でさわりを教えてくれたから興味を持った。 papa_s_papa_s: その学科を選んだのは高校の時の授業で実験をして、興奮と驚きを得たから。その大学を選んだのは理系と文系が同じキャンパスにいたから。 高校時代からそのスキルに必要な、学科とは関係ない技術に触れてそれを楽しむチャンスがあった。 papa_s_papa_s: 今の私の仕事と専門を知る人からしたら、私が高校1年の時に目指していた学部学科や将来の職業は想像がつかないだろうし、あの時の自分にも想像がつかなかったと思う。 JI1ARI: 大学4年のとき就職情報を探して学内をふらふらしてたら、教授に声かけられてたまたま一人分空いた推薦枠を紹介してもらい無事内定 あの日あの時あの場所にいなかったら就職浪人していたろう twitter.com/nishio/status/… maq_mish: 学部と院時代にインターンシップに行った事。 田舎育ちで笑っちゃうぐらい“井の中の蛙”だったのに気づけたw 知った経緯は、知り合いの助教の先生に勧められた、だったと思う。 twitter.com/nishio/status/… Hi_neu: 願書出す大学学部を決めるためにその学部に突撃訪問、研究室を見学して決めたことかな。 当時ホームページもオープンキャンパスもなかった時代で、選択肢を選ぶための情報が少なかったから。 twitter.com/nishio/status/… RabbitsCat: よくした→美塾に通ったこと 知った→電車の中吊り広告 先ず「絵の道に進みたい」という目的があったから、中吊り広告に気づいたんじゃないかな。目的がなかったら広告もスルーだっただろうし。例えボンヤリでも「こっち」という方向がないと、選択肢って気づかないように思うけど。 twitter.com/nishio/status/… niryuu: 正直大したものではないです。コンピュータ関係の仕事を志したのは地元のコンビニでこち亀のコンピュータ関係の話だけを集めたものを買ったのみだし(最近買い直したがよくできている)、研究者を志したのは知人のWeb日記で人文系情報学の文献が紹介されており、古本屋で適当に買い漁りました niryuu: 短時間に集中できないので、進みが遅かったりブランクがあったり、業界の動向で流れが来て早まったりとかはありましたが、エンジニアになるまでに15年、非常勤の職を得るのにも15年かかっています。最初の段階では無理筋にしか見えませんし、今も周囲に比べて特に有能とは言えません。 torus: 転機になったのは未踏ユースに採択されたことで、それは SICP 読書会のおかげ。 SICP のことは K 仲川さんのメーリンクリストで知った。 それと前後して東京に引っ越したのが最大の選択だった。 京都のゲーム会社のバイトに飽きたから。 その時タイミングよく読書会が開催されているのを知った。 twitter.com/nishio/status/… torus: 未踏ユースのおかげで金銭的な余裕ができたので独立できた。その後ハワイの会社に誘ってもらって、会社が潰れたので東京に戻って、ドイツに行くところまではいろいろな偶然が重なったからで、自分で選択したわけじゃないけど、結果的にかなり幸運だった。 ginko105: 悲しい理由で大学院でSPSSが使えず、まっっっったくもって使い方も何もわからない(HTMLの概念すら知らない)中で一人でRstudioをローカルの中に入れて動かして基礎的な検定やったこと マジでこれがなければpythonなぞ触ることもなければPostgresとは無縁の人生だったと思う twitter.com/nishio/status/… ginko105: いや選択肢じゃねーよって思うかもしれないですが、ExcelかRかの選択を迫られてRを選んだのは間違いなく己の全てを変えたなと 人間本来の目的の過程で手に入れた手札で別の成果とか未来を即席で組み上げていくしかないのだなと悲しい思いをしたけどいい教訓 syarihu: 大学入ってすぐくらいにAndroidアプリ開発セミナーに参加したことが間違いなくその後の人生を良くしてて、どうやって知ったのか微かな記憶にあるのは、当時Android端末を買おうとして調べてて、それでトラッキングされたのか分かんないけど広告を見て参加応募したような気がする。 twitter.com/nishio/status/… YukiMihashi: 私の場合は「Scratchのオンサイトイベントにスタッフとして参加したこと」で、 それは「Scratchのフォーラム上で知った」からで、 Scratchを始めたのは「父親に紹介してもらった」からで、 父親は「友人からScratchを知った」と思います(あまりわからないです) syarihu: エンジニアとして新卒入社した後は、Android温泉に参加したことがきっかけでまた人生を良くしていて、そこでなっぴーさんに初めて会ってりんごさんとかに話聞いて教えてもらったshibuya.apkに勇気を出してLTに応募したことで、社外の人との交流が増えた後に登壇、執筆活動を継続的にするようになった。 makoto_043: 氷河期で就職先20個落ちて泣き言あちこちで言いまくってたら「ここまだ受けられるよ」とゼミ仲間が教えてくれて今の仕事に。 なりふり構わず自分のボロいところをさらけ出したら情報の糸口が。 mama_iijyuken: 高校進学の際専門学校に進学したことと、その学校から初めて大学に進学したこと。 知ったきっかけ→中3の時に自分のパソコンを買ってもらい、インターネットで知りました。 mama_iijyuken: 15歳からキャリアをスタートしたことで20代の早いうちから起業できた。 早く始めるとキャリアと家庭を両立しやすい。 目的を持って専攻を選び大学はとても有意義だった。 誰もしていないことにチャレンジするハードルが低くなり、今の新しいチャレンジにも繋がっている。 m_asahara: 選択肢:(後期)博士課程進学と博士の学位取得 知ったきっかけ:学部4年生で配属された研究室の先生の勧めや、先輩たち(既に進学していた方々や、進学を決めた方々)を見たこと twitter.com/nishio/status/… suke_masa: 選択肢かあ…いくつか思いつくけど、1番最初のは高3の12月に文系から理系に変えたことだろうなー。たぶんコレが無いと、今の職に就いてない。 twitter.com/nishio/status/… suke_masa: この選択肢をどうやって知ったか? まずは「理系に変える」が先だった。電気系学科に決めたのは ・物理で1番面白いと思ったのが電磁気学だった ・いとこに電気系学科の人がいた くらいか。 そしてその学科が、文系の頃から志望してた大学にあったから、そこに決めた。 book000: まとめられてたScrapboxを見てせっかくだし自分もちょっと振り返るか〜と思ったのでちょろっと。 twitter.com/nishio/status/… book000: 今の自分に至るまでに色々な選択肢はあったけれど ・Twitterでたまたま見つけたとあるSNSに参加したこと ・そのSNSのクライアントを制作したこと(ほぼパクリみたいなもんだったけどw) ・現在スタッフをやっているマイクラ鯖の前身に来ない?と呼ばれたこと ・マイクラ鯖のプラグイン開発を始めたこと book000: がメインかな Twitterはかなり小さい頃(それこそ年齢制限なんてなかった頃)に親が「読んだ本の記録用に」と私のためのアカウントを作ってくれて、数年後にアカウントの鍵を自分から外して当時聞いてたPodcastの視聴者と繋がったところからTwitterを使い始めた book000: とあるSNS自体はTLに流れてきただけだったような気がするのでよく覚えていない クライアントを作ったのはそこにいたプログラマーの人が元々クライアントを作っていて、それを引き継いだ形で作り始めた。中学生とかそこらだったし運用がゴミで捨てざるを得なくなったけどw book000: マイクラ鯖に関してはそのSNS上で直接私に対して「来てみない?」と言われた プラグインを作り始めたのは単純にマイクラのバニラや既存のプラグインでは足らんなあと思ったこととSNSのクライアントを作ってプログラミングが面白いってことを感じたことがあったので。 book000: 少なくとも、とあるSNSを見つけなければプログラミングというものにこんな形で取り組むことはなかっただろうし、マイクラ鯖にお呼ばれしなければここまでプログラミングなんて続けてないだろうなと思う book000: 人生をよくする選択肢って難しいけど、取り組めることや気になったことを少しでも足を突っ込んでいけば何かしら見つかるんじゃないかな?というのは常々思っている 将来職種としてプログラミングとかをやるかはわからんけど、少なくとも人生のターニングポイントにはなっているだろうなと思う natsumi_k: この方が書いている「選択肢を知らないと選べないので意思決定の質が下がる」とというのはほんとそう。私は2点。1)SFC進学(親が「絶対国立のみ、早慶どちらかなら私立可、それ以外の私立なら高卒だ」と言ったので慶應いいなとw)東大受ける人がまわりにいる家庭や学校にいなかったので、(続く) twitter.com/nishio/status/… natsumi_k: 全く発想がなかった。私立は早慶どちらかのみ受験可能とのことだったので、滑り止めもないし浪人の選択肢もないので東大落ちたら高卒になるのが怖くて滑り止めに楽しそうな首都圏の国立受けた(稲葉さんの母校w)。大学入ってのんびりしてたら、1〜2年次から公認会計士の受験準備をしている後輩がいて natsumi_k: まず公認会計士って何?だったし、私はまた「選択肢を知らなかったことでできなかった挑戦」があるんだと気づいて悔しかった。2)転職しようかなと考えていたときにリクナビネクストでGoogleの小さな募集広告を見つけた。「選択肢を知らなかったことでできなかった挑戦」を今度こそ繰り返すまいと、 natsumi_k: 受かるとは思っていなかったけど、選択肢を知った以上ということで受けてみたら受かった。一番転機っぽく見えるであろうアメリカに来たことについては、この流れから「なにかチャンスがあったらいつでも挑戦するぞ」という姿勢になっていたので特に大きな転機ではなく natsumi_k: 自然の流れだったように感じている。なので高校生くらいまでで機会の存在、それに向けた努力とその挑戦の価値を知るのはとても大事なことだと思う。この元ツイの方の講演で少しでも多くの中高生が自分の限界を自分で作らず、大きな挑戦をして楽しい人生を切り開いてくれることを願う。 natsumi_k: うちの親が「東大以外なら大学に行かせない」というアプローチだったら結果は違ったかもしれないなぁとは思う。目的さえ決まれば一番良い結果を出すために寝食忘れて頑張れる子だったし、たぶん能力的にもそこまで非現実的ではなかったと思う。受けたことないから知らんけど。高卒になる恐怖から natsumi_k: そこに対して自分で挑戦できなかった幼すぎる高校時代の私の敗北なんだろうな。 kur: この引用ツイートが面白い twitter.com/nishio/status/… kur: 僕はなんだろうな。高専に進学したこと、奈良先端に進学したこと、未踏に応募したこと、キヤノンに就職したこと、デンマークに留学したこと、起業したこと。どれも今振り返れば大きな意味がある気がする。 kur: でも選択したと言えるほどのものは、そんなになかった気がする。高専に行ったのは中学校で遊び過ぎて内申がめちゃくちゃだったから公立高校に行けなかったからだし、奈良先端は周りのみんなが進学するから流されたところもあるし、キヤノンは副業可なところを探したらそこしかなかったから、とか。 serima: 映画イエスマンのように、選択肢にはすべてイエスで乗っかってみると少しずつ人生は変わっていく、と思う 実際のところ、自分のキャパと相談ですが(乗っかりすぎてメンタルやられた時期もあり) twitter.com/nishio/status/… serima: このへんにまつわる話、昔ブログを書いたことがある serima.co/46f7ab44c91943… windhole: 乗り遅れたけど。 私の「その後の人生を良くしたと思う選択肢」は、小6のときに、アマチュア無線のことが載っている雑誌(初ラ)を購入したこと。その雑誌にマイコンのことが載っていて、以降、アマチュア無線よりもコンピュータの方に興味が移りました。 twitter.com/nishio/status/… windhole: 「その選択肢をどうやって知ったか?」 小学校の授業で。 当時、私が通っていた小学校には、全国各地から先生が来て研究授業をしていました。あるとき、千葉からいらしていた先生が「情報を伝える」みたいなテーマで授業をして、その最後にアマチュア無線での交信を実演してくれました。 windhole: 授業が終わった後、先生のところへ行って質問攻めにしたら、アマチュア無線の免許は年齢関係なく取れると教えてもらい、自分もやってみようと。さっそく町の書店に行ったらアマチュア無線の本はなくて、代わりに「アマチュア無線のことが載ってる雑誌」があったので買って帰ったのでした。 katryo: Amazonに転職←アメリカでソフトエンジニアになる←会社を辞めてアメリカの大学院のCS修士課程に入学する←『エンジニアとして世界の最前線で働く選択肢』を読む。この本を知ったきっかけは覚えていないのですが、Amazonのレコメンドで出てきたような気がします amazon.co.jp/gp/r.html?C=1T… lunabirch: 無神論者の家系に生まれた私がキリスト教徒になった、ですね。その選択肢は人づてでした。派手な留学も恋愛もしてみたけどまだ幸せや平穏とは程遠かった。ドン底にいた時になんでこの人たちはこんなに生きづらい世の中で強くいれるのか、と思う人たちと出合い、その人たちがキリスト教徒だったのです。 tokibito: 高専に進学したこと。→親から進路としてどうか、と紹介されたから。親戚に高専卒が何名かいたのと、高専ロボコンを見てたので、すぐに想像がついたのがよかった。 kazuho: 主体的な選択をしてる人たちばかりで眩しすぎる twitter.com/nishio/status/… nishio: おや?起業したり未踏事業に応募して採択されたり就職したり転職したりしてるのに自己認識としては主体的な選択をしてないと思ってる認知の歪んだ人がいるようだぞ? kazuho: 積極的な理由があると思ったら大間違いだ(というのが多い) nishio: 「主体的である/ない」の話がいつのまにか「理由が積極的なものである/ない」の話に変わってるけど、この二つは別物だと思う。例えば会社がブラックで死にそうだから転職したって人は消極的な理由かも知れないが主体的に選択してる。主体的でない人は愚痴るだけで変える行動を取らない。 reali_ze: やりたいことがわからず何か勉強しなきゃと思ってとりあえず本屋に行く→当時やたら平積みされてたHTML5の本を見て、そんなに流行ってるのか?なにそれと思い買ってみる→その本の中でチラッと紹介されたセマンティックwebの概念に感動する→これをやってる研究室探して院進→そのままD進→研究者へ sognare_yuki: 人生良くしたのは『DV元彼を捨てた事』。そのきっかけは、あるイベントに参加して、現在は友人のとある人と知り合った事。イベントに参加したのも、その人と仲良くなろうとしたのも、好奇心。本当に好奇心だけ。 『未知を知りたい』という欲求の結果とも言えるのかもしれません。 park_miyakonojo: 家庭の経済事情から選択肢のない時期がありましたが、大人になり選択できるようになってからは行きたい場所へ行く、会いたい方に会う、などたくさん行動できるようになり、結果的に夢を叶えることができました。選択肢がなかったことも、今では良かったと思っています。 seri_k: 「一度社会人になってから仕事を辞めて日本の大学院のCS専攻に進学して工学修士を取得」.社会人でも大学院に行って勉強し直すという選択肢を取れると知ったきっかけはこのブログでした. note.com/ruiu/n/n3f3146… xigemoto: 人生を良くした選択1:中学時の塾選びで、自宅近くの格安地域塾に入塾 どうやって知ったか:新聞の折り込みチラシ 【番外】選択の判断軸:安い(家計の負担は減らしたかった)、知らない人が多い環境(馴れ合わないために)、家から近い、先生に人間味や温かみを感じた twitter.com/nishio/status/… xigemoto: 人生を良くした選択2:目標高校の上方修正(偏差値55 → 68へ) どうやって知ったか:母の言葉「選択肢は増やせるだけ増やしてから選べば良い」 【番外】選択の判断軸:オープンスクールで、可愛くて英語が出来るタイプの女の子がいたこと、自由な校風が合いそうだと感じたこと twitter.com/nishio/status/… xigemoto: 人生を良くした選択3:大学進学先をポルトガル語専攻にしたこと どうやって知ったか:オープンキャンパス 【番外編】選択の判断軸:使用人口および、使用国の将来のGDP成長予想から、レバレッジが効く(市場価値が上がる)と思ったため、体験授業が楽しかった(隣の席の人とハグ) twitter.com/nishio/status/… xigemoto: 人生を良くした選択4:ブラジル留学 どうやって知ったか:先輩の体験談を教授から授業内で聞いたり、先輩から縦のみ(先輩後輩の交流会)で聞いた 【番外】選択の判断軸:学内にいるブラジル人留学生からの影響。ポルトガルよりブラジルの方が楽しそうだった twitter.com/nishio/status/… fish_dishes: 高校の時に成績が良かったので、高三になるとやることがなくなってしまいました。それで画塾に通って絵を習い、美大でデザインを学びました。絵は上手くはなかったですが、不得意な分野には新鮮さがあり、芸術や美を学ぶことはそれ以前より歴史や経済への知識も深めました。twitter.com/nishio/status/… fish_dishes: わかりやすい学歴は手に入らなかったですが、自分は座学では高校ですでに理解の限界に来ていて、大学で実習を学べたのは、広く浅くかもですが、自分らしい学び方だったと思います。 kozo2: - 2008年のISMBに行きたいと主張したこと。併催のCytoscape retreatで さんと会って以降いろいろお世話になる (twitterで知ったかもしれない 忘れた。) - Python温泉に行ったこと。さんと会い現ラボを紹介していただく (さんのブログで知った。nishioさんは前ラボのOB。) twitter.com/nishio/status/… kozo2: twitter.com/kozo2/status/1… に加えて下記も。 SKK(かな漢字変換プログラム)をやめてT-Code(無連想2ストローク漢字入力方式)を選んだこと Twitterで知った。 さんがT-Codeを推すTweetを見て知った。 twitter.com/nishio/status/… tk0miya: なんだろう。学部の 4年間研究室に入り浸ってたことと OSS 開発に関わったことかなあ。前者は助手の先生が授業で遊びに来てと誘っていたから言ってみたこと。後者は同僚の手伝いとして Python の勉強会に参加したことだったはず。 twitter.com/nishio/status/… c_z: 自分は90年代に大学受験から逃げて渡米したことに尽きるな。よくそう言うのを「グローバル云々」って言うけど、そうではなくて、日本の中部地方とカリフォルニアと言う二つの地元と呼べる場所が手に入ったので。 twitter.com/nishio/status/… kensuu: 面識なかった2chひろゆきさんに「尿道に管入ってるおじさんいるけどみに来ない?」と電話かかってくる→見に行く→2chの人たちと仲良くなる→こんな大人がいるんだ!と衝撃受ける→世の中広いなぁと思う→ネットサービス作りにハマる→「このままいくとおいらみたいになるよ」とひろゆきさんに kensuu: 言われる→それはまずいなと思ってリクルートに就職→ネットでビジネスをする道にいく と言う感じでした! nishio: こういうのもその選択肢を知ったことが人生に大きな影響を与える事例 twitter.com/my_liberty_/st… My_Liberty_: 英語学力試験の点数が伸び悩んで複数個の大学の出願要件すら満たさない ↓ 英語力の問題ではなく、そもそも長時間椅子に座るのが苦手なことに気付く ↓ 1時間で終わって、しかも徳島からでも自宅受験できるDuolingo English Testに出会う ↓ 点数爆上がり、ギリギリ出願要件を満たして出願に滑り込む tnsm0223: 今日までの人生を中高生あたりからざっくり思い返していたけど、偶然の出逢いが数珠繋ぎのように連綿と続いて今があるんだなーと改めて。 twitter.com/nishio/status/… loose_agilist: Third Door で Qi Lu が言うように「幸運のバスは乗り遅れてもまたくるが、準備していないと乗れない」のだと思います。私の人生を大きく変えた出来事(空手・Python・人との出会い)は、求めていたら向こうからやってきたので勇気を出して飛び乗ってみた感じです。時々ハズレもあります。 loose_agilist: 大学で空手部に入ったのはテニス部のオーディションに落ちて暇を持て余していたからでした。空手部に入部したのは幸運ですが、空手部で弁証法を知って20年間学び続けたのは自分の選択です。Python は 2005年頃に同僚が教えてくれました。近所を散策して気になる店に飛び込むと様々な出会いがあります。 loose_agilist: パワーブレックファーストと称して、朝の7時に一人でホテルのビュッフェへ行ったら、読書会をしているグループと出会って、自分の世界が広がったこともあります。自分の好きそうな人の集まっている場所・集まっていそうな場所に足を運ぶことは、予想外の良い成果を得るために大切かもしれません。 sbg: ・情報科学を専攻(子供の頃、コンピューターやゲームとの出会い…すがやみつる先生の漫画とか) ・大学進学(親が行っとけと言った) ・インターネットの研究会というものに参加(教授/助手の方々から教わった) 大学の環境やそこで出会った方々が超大きいですね。親が薦めた理由がしみじみとわかる… koukiwf: 『ニコニコ学会βに応募した』ことかなぁ。 知ったきっかけは前回「不具合で動かないロボットに見つめられる開発者」のシーンをたまたま見たからだった気がする。 twitter.com/nishio/status/… koukiwf: これのおかげでOculusRiftDK1の存在を台湾の人に教えてもらって Oculusを日本に持ってくる濁流に飲み込まれることになるから 本当に人生は何がどう転ぶかわかんねえ そんな気はしてましたが、とりあえず集めておいて後で整理するときに弾けばいいかなと思ってます
MakotoShimazu: 東大に行ったことで、交友や情報の幅が広がったのが大きかったです。(これもまさに選択肢を増やしていそう。) 地元からだとほぼ行く人がおらず全く選択肢になかったのですが、高校のはじめの進路志望で「研究者」と書いたら先生から「研究者目指すなら東大を目指せ」と言われたのがきっかけでした。 iriyak: 本から興味のある選択肢を知った。情報工学科入学。←知り合った方を通じてMacintosh Users Groupに参加。←改造してメモリを保存領域に。←パソコン/テレコミ入門(ラジオ技術社)でPC8001向け端末プログラムを知った。←地元BBSにANKで参加。←モデムを買ってもらった。←PC8001MK2を買ってもらった。 --- 247