決断の機会は数珠つなぎ
決断について書いて欲しいという要望で書いたエッセイ 2017年12月に執筆、翌年公開。
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プロフィール
2007年よりサイボウズ・ラボ。2013年『コーディングを支える技術』(技術評論社)を出版。2011年、社会人大学院生として東京工業大学に入学、2014年技術経営修士取得。2015年より一般社団法人未踏の理事。2017年ビープラウド技術顧問。
良い決断の機会は事前にはわからない
ある決断が自分の将来にどの程度の影響を及ぼすかは、その決断のタイミングではわかりません。「人生に大きな影響を与える決断の機会がわかりやすい形で訪れる」は「いつか私を幸せにしてくれる王子様が白馬に乗って訪れる」と同じくらい怪しい考えです。 影響力の雪だるま
小さい決断によって、別の決断の機会が訪れます。数珠つなぎの決断を繰り返すことで、決断の影響力は徐々に大きくなります。
私が21歳のときに、経済産業省所管の情報処理推進機構による人材発掘事業「未踏ユース」に応募したことは人生に大きな影響を与えました。ほかの人には「大きな決断の機会がいきなり訪れ、決断した」と見えることでしょう。しかし実は、手前にもっと小さな決断がありました。
それは、19歳のときに地元で開催された研究会に参加したことです。たまたまWeb上で見かけ、会場が地元だったので参加しました。その懇親会で隣に座ったのが、当時の私は知らなかった有名な先生でした。その先生に「人工知能学会の全国大会が開催されるからおいで」と誘われ、参加しました。当時の私は知らなかったけど、自腹で学会に参加する未成年はレアです。そこで名前が知られて、いろいろな連鎖のあとに、関西文化学術研究都市(愛称けいはんな学研都市)のベンチャーでのアルバイトを始めました。そこでPythonを知り、未踏ユースの募集開始を教えてもらいました。そして応募し、採択されたわけです。その後23歳のときに、未踏卒業生が集まる飲み会で、当時できたばかりのサイボウズ・ラボのことを教えてもらい、入社して今に至ります。
つまり、最初の研究会参加の決断がなければPythonも使っておらず、サイボウズ・ラボにも入社しておらず、未踏社団の理事にもなっていなかったわけです。
東工大に技術経営学を学びに行く
ここまでの話は周囲の状況が追い風でした。ここから、逆風に抗った例として、社会人でありながら大学院に入りなおした話をします。
当時、私はあまり会社に貢献できている実感がなく、精神的に弱っていました。そのころDruckerの著書を元ネタにした小説が流行しており、私も読んでみたのですが、私には小説版よりもDrucker本人の著書のほうがおもしろく感じました。流行っていたのは『マネジメント【エッセンシャル版】』でしたが、エンジニアの自分にとっては『プロフェッショナルの条件』『テクノロジストの条件』『ポスト資本主義社会』(注)がおもしろかったです。
注: 4冊ともにPeter Ferdinand Drucker著/上田惇生編訳(『ポスト資本主義社会』のみ訳)、ダイヤモンド社。発行年は2001年、2000年、2005年、2007年。
読み進めるうちに「盲点」に気付きました。経営学の領域に、今までの人生で気付いていなかった、自分が学ぶ価値のある概念がたくさんあるという気付きです。そこでもっと学ぶために、大学院に入りなおそうと思いました。
当時の上司にこれを相談したところ、反対されました。今思えば、精神的に弱っている社員が社会人をやりながら大学院生もやると言ったら、負荷が増えて潰れることを心配して止めるのも当然でしょう。
今決断すべきだ、と決断する
たとえば仕事上の決断を迫られているとき、決断自体は難しいかもしれませんが、「決断の機会」を見いだすのはやさしいです。一方、誰も「やれ」と言わないこと、上司が「やるな」と言うことをそれでも「やる」と決断するとき、それが本当に「決断の機会」かどうかに確証がありません。本当に今やるべきなのか? 数年後でもよいのでは? 上司の不興を買うリスクは? こういうことを考えると、「やらない」を選ぶほうが圧倒的に楽です。その逆風の中で、決断を先延ばしにせず「今が決断をすべきタイミングである」と決断しました。
決断の影響
「考えなおしてみたが、やっぱりやる」と上司に伝えたら、意外とあっさりOKが出て拍子抜けしました。たぶんですが「反対されても、それでもやるんだ」という決意が表情などにみなぎっていたのだろうと思います。
会社での働き方も変わりました。それまではだらだらと深夜まで作業することも多かったのですが、夕方からの授業に出るためにすぱっと切り上げる必要に迫られました。その状態になってからあらためて周りを見ると、自分のほかにも仕事を決まった時間で切り上げ、自己投資のために使っている人はいました。当時の自分が気付いていないだけでした。過去の自分は無自覚に自己投資の機会を手放していたわけです。
今振り返って考える
会社にいる時間が減りましたが、「大学に行っているせいで仕事をしない」とは思われたくありません。そこで、時間の対価として給与をもらうのではなく、何が貢献かを主体的に定義し、限られた時間でそれを作り出そうと考えるようになりました。
これを「社会人として当たり前のこと」と思う人もいることでしょう。ですが振り返ってみると、経営学を学ぶ前の私は「当たり前のことをわかっていない人」だったのです。当時はPythonの文法をトリッキーに使う発表をして笑いを取ったりしていました。Pythonの文法のような複雑なシステムを把握し、要素のトリッキーなつなぎ合わせ方をひらめき、それを実現に至らせる能力を、ただの一発芸に使っていたのです。自分の強みを理解し、それを活用して社会に対する貢献を生み出す、という当たり前のことができていませんでした。
よく「大学で何を学んでどう役に立った?」と聞かれるのですが、一言で説明できません。一つわかりやすいものを挙げるなら、在学中に書いた『コーディングを支える技術』はAmazonのベストセラーにもなり、今でも売れ続けています。書きたいことを書くのではなく、書けることを書くのでもなく、社会のニーズを見極めて必要とされるものを書く。これは製品開発の基本です。
初期の原稿を見ると、「この本の目的はプログラミングに関するモヤモヤを解決することだ」と書いていました。たとえば「オブジェクト指向」がよくわからない、スッキリわかる本が欲しい、という社会のニーズがあります。それを満たすことが社会に対する貢献です。
まとめ
現在に近付くほど語れないことが増えます。まだ公開してはいけないものがあるからです。いずれみなさんにも観測可能になるでしょうから、数年後にこの記事を読みなおすと、なるほど、と思うかもしれません。こういう観測可能な大きな出来事は、みなさんから見ると個別の出来事に見えるかもしれませんが、主観的には数珠つなぎになっています。個々の数珠の玉ではなく、数珠全体が大事なのです。
決断の機会は、あるとき大きな機会が訪れるのではなく、数珠のようにつながっています。そして小さな機会に決断をすることで、徐々に大きな機会が訪れるようになり、決断のもたらす影響力が大きくなっていきます。影響が大きなものだけが、第三者から観測できます。
経営学は「言われた仕事をこなすだけの人」以外の人全員にお勧めです。以前本誌で連載した「視点を変えてみよう」(注)は、技術雑誌で経営学のトピックを話す野心的な実験でした。毎回2ページに収めるのに苦労しましたが、少ないページ数でかなり密度の高い解説をできたと思います。
今回のエッセイのような企画では、書きやすいことが書かれるバイアスがあります。私の人生に対する貢献度という点で言えば「この人と結婚しよう」という決断が一番大きいのですが、ちょっと決断に至る過程などをここに書くわけにもいかないかな、と。妻に感謝しつつ筆を置くことにします。
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