人生の選択肢をどうやって知ったか?
nishio: 緩募: あなたの今までの人生で「この選択肢を選んだことがその後の人生を良くした」と思う選択肢について「その選択肢をどうやって知ったのか?」を教えてください nishio: 文脈: 中高生向けの講演の準備をしていて思ったこと。選択肢を知らないと、その選択肢を選べなくて意思決定の質が下がる。ならば「人生の選択肢」を知ることがより良い人生につながるはず。ではその「人生の選択肢」はどのようにして知るのか? nishio: なんで多くの人に聞きたいかというと、自分の経験だと1回しか生きてないので比較したり分類したりできないからなのです。 仮説としては「人生を変える選択肢は『これが人生を変える選択肢ですよ』とわかりやすい形で公開されていない」があります。 nishio: 僕の場合「未踏ユースに応募したこと」が人生を変えた選択肢、それは「バイト先の社長が教えてくれた」 そのバイト先になぜ行ったかは、パスが3回くらい挟まるけど「地元で面白そうな内容の研究会があったので参加し、懇親会があったのでそこにも参加した」で、それを知ったのは「インターネット検索」 nishio: これが本当にインターネット検索だったかどうかは昔のことすぎて覚えてない。もしかしたらネット上の趣味のサークル的なところで紹介されてたのかもしれないし、同級生がチャットに貼ったのかもしれない。もはや覚えてないくらい、当時はそれがその後の人生に影響するとは思ってなかった。 ukkaripon: 未踏に応募するとか、外資系に応募してみるとか、文科省に応募するとか、未踏ジュニア作るとか、全部周りの友人が近いことをやってたのでやってみようと思ったんですよね。なので、いろんなことにチャレンジしてる友人を作る、だと思いました。 maltonn_: プログラミングを知ったこと:暇なときにkindleで偶然、無料本見つけたから。 もうちょい具体的な事例だと SecHack365に参加したこと
↑ SH365はLT会のイベントで知った
↑ LT会自体はTwitterで仲のいい人とオフ会しよう!って流れで知った。
↑ Twitterを始めた理由までは覚えてない って感じです
minamiwo: 2400bps、MNP4か5のころの、オートパイロットでもまだリアルタイムで読めたころの文字列な口コミ?<RT あと、wterm -リ nishio: それは今の中高生に伝わる言い方をすると「趣味のコミュニティ」という感じでしょうか minamiwo: 分かりやすい言葉に翻訳していただき恐れ入ります。 私の場合、幸いに回線を通じて会う面々が充実し、中にはメンターになり得る人も複数いて、かつ回線つなげるなら基本悪意ないだろ(昨今はセキュリティ的にリスキーなことは承知しています)で泳ぎ回れた、「運がいい」例なのかもしれません。 tkgshn: Twitterで興味のある人をフォローしたこと、ですかね teramotodaiki: 選んで良かった選択肢は「会社を作ったこと」 その選択肢を知ったのは「インターンに行ったから」 (略)は「高専に良い先生がいて繋いでくれたから」 (略)は「親に就職率いいからと勧められたから」 でした。西尾さんの例とちょっと近いかもです。 nishio: その高専の先生がインターンにつないでくれたのはなぜですか?(生徒全員繋いだわけではないので手前に何かもう一つあると思う) ・1年生の時から研究室に勝手に出入りしてた
・部活に所属してた
・インターン先の会社の役員がたまたま部活に来てくれた
・その場で「インターン行きたいです!」と自分からアピった とか。 のべ4〜5人はその会社に行ってたはず。
a2see: 間違いなく1994-5年頃にパソコン通信に出会ってオンライン人格として活動開始したことなんだけど、それをどうやって知ったか記憶が曖昧。。 たしかPC-98 Canbe(Win 3.1)をバイトして買って、それでPC関連の雑誌(フリーソフトのCD-ROMが目当てだった)を色々読んでてそこで知った知識だったような。 twitter.com/nishio/status/… a2see: 当時PCの話できる友人なんて周囲に1人もいなかったから、たぶん雑誌だろうなー。 今から思うと本も読んでたけど雑誌も毎月結構色々買ってた気がする。 当時、ネットなんてないから新しいモノの情報はたいてい雑誌からだったし、ゲーム雑誌の創刊ラッシュと共に子供時代を生きて刻まれたんだろうなと kaityo256: 僕の場合も、人生を良くした選択肢は「未踏ユースに応募したこと」で、「その選択肢は同じ研究室の後輩に教えてもらった」ですね。その後輩がどうやって知ったかは知らないですね…… twitter.com/nishio/status/… nishio: その後輩は誰々構わず未踏ユースの話をしてました?それともロボ太さんがそういう話をされるきっかけになるようなフリをした? kaityo256: 僕がD1の時にM1として入ってきた後輩が研究室MLに「今年、未踏ユースというものが始まるそうなのですが、誰か一緒にやりませんか」と投げて僕が応じたという経緯です。プログラミング好きな人が集まる研究室だったこともあって、誰か手を挙げると思ったのかも知れません。 xoinu: あの時お世話になった後輩です私も人づてで知りました。そう思ってもらえているのは嬉しいです。当初は「バイトしなくてもお金がもらえるかも」と思って、研究室の先輩に声を掛けたら、本当に企画を通して、蓋を開けてみたら凄い世界だったのはいい思い出です。 xoinu: 実は @nishio さんとも高校時代から接点があって、そう考えると、点と点が繋がった気がして面白いです。 piro_or: 「自分のWebサイトを作って公開したこと」が、地縁に縛られない世界に接続するきっかけになったと思う。 (「Webサイト」という言い方ですらなく)「ホームページを作ってみよう」みたいな事は、当時雑誌等マスメディアでよく話題になっていて、受動的に知った。 (多分、期待と異なる回答な気がする) twitter.com/nishio/status/… nishio: Webサイトを作ったことで、次に何が起きたのですか? piro_or: 当時は大阪在住でしたが、石川県、神奈川県等、遠く離れた土地に住む「趣味の友達」ができました。 「人付き合いとは、会って話せる距離の人とするものだ」という固定観念がそれで崩れたと思います。 その反面、地縁を保つ努力を疎かにする悪癖も付いてしまいましたが…… nishio: なるほど、それでできた遠くの友達がきっかけで次に何か別のことが起こったわけですか? piro_or: 一緒に物を作って同人イベントに出そう、そのために会ってみよう、と東京まで一人で出向いて「オフ会」に参加しました。 行きたい所には行こうと思えば行ける、という実感でまた選択肢が拡がりました(それまでは、県境をまたぐような移動は、親に連れて行ってもらう以外の選択がなかったので)。 nishio: なるほど、それがきっかけで世界が広がって、ポジティブなフィードバックが回り始めた感じですか。 piro_or: そうですね、今思えばそんな気がします。それまでは典型的内弁慶で、外から与えられた選択肢の範囲内で、ブツクサ文句を言いながら選ぶだけだったと思うので…… TERRAZI: 西尾さんや中高生向けにはズレてるかもしれませんが。 「やりたいことは遠慮しなくていい」 子供の頃ゲーセンでプレイが上手くいかず悔しくて台を叩こうとして我慢してたら、見知らぬ不良の兄ちゃんが「叩けばええやん。ゲーセンはストレス解消の場。多少叩いても壊れりゃせんし、怒りゃせんよ」 TERRAZI: 常識的に考えればゲーセンの台を叩くことはよくないことです。 ところがその兄ちゃんは「叩いてもいいんだ」っていう。衝撃を受けました。 TERRAZI: 自分は長男かつ一族の同世代の最年長だったので、ずっと年下の子に遠慮してました。そのせいか親にも、その他全てのものに対して遠慮してました。我慢すべきだと思い込んでいました。 そんな自分に「我慢しなくてもいい」という考え方を教えてくれたのはヤンキーの兄ちゃんでした。 TERRAZI: それから自分は悔しくても台を叩きたいと思わなくなりました。台を叩いては駄目だから叩かないのではなく、叩いてもいいのだけど自分は叩かないんだ。ゲームが好きだから。という意識になったのです。 そしたらの他の事でもやりたいことを遠慮しなくて良いと気づき、いろんなことに積極的になれました nishio: 最初なんの話かと思いましたが、考え方を変えるきっかけをもらったということですね。その人とはそれっきりですか? TERRAZI: それっきりですね。長男の呪縛のようなものから解放されたのがその瞬間でした。 TERRAZI: 自分で勝手に選択肢を狭めていたのですね。自分もおやつを欲しくても妹たちにあげる。欲しいとか言っては駄目だと思っていました。「長男だから我慢できた」の悪い方向の例ですね。それがすべてのことに対して消極的な姿勢になっていました。 wkwk_soprano: 自分の場合は「海外で9ヶ月ぐらいボランティアしたこと」が人生を良くしたと思う選択肢で、その選択肢は ①学部で留学に関する話を散々聞いたこと ②海外ボランティアで海外に行った友人が身の回りにいたこと ③NGOも就職先になりうるみたいな話を聞いていたこと あたりが絡みあって知った気がする twitter.com/nishio/status/… suu____: 奈良先端科学技術大学院大学受けて情報学科に鞍替えする選択肢を思いついたのは高校の頃に奈良先端大の出前授業受けたからのようなきがする 実際には奈良先端大の説明会あることを調べて聞きに行ったりはした twitter.com/nishio/status/… nishio: 学部は情報系ではなかったけど修士から大学を変えた、その大学のことを知ったきっかけは高校の出前授業、という理解で合ってますか? kumarobo: 選択肢は自分で知ったと言うより、目の前に突然やってきた。そういう意味では「どう知ったか」という話にはならないのだけど、「その選択肢を選ぶ決断をスムーズにできた」のは、普段から自分の中に評価関数を定めていたこと。 ※現職の公募知って応募の決断まで1時間かそこら。 twitter.com/nishio/status/… hack_tnr: 選択肢は13年前メイカーフェア等のテクノロジー系イベントを知り、多摩美まで足を運んだことです。 知ったきっかけはデザインフェスタ出展者と意気投合して「このイベント好きそう」と教えてもらったことでした。 「貴方の作品のここが良いです」と言ってなかったら、違う人生だったと思います。 nishio: イベントに参加して、そのイベントに出展していた人に「貴方の作品のここが良いです」と言ったことで意気投合し、その後その人から「あなたはこのイベントが好きそう」と別のイベントを教えてもらった、という理解で合っていますか? hack_tnr: はい、合っています。わかりづらい文章で申し訳ございません。。 geinin: 8ビットマシンと、BASIC言語に出会ってしまったこと。 こと初めはよくあるパターンで『自分でゲーム組めれば遊び放題じゃない?』 (遊び道具のつもりだったが)プログラミングにはまってエンジニア人生を歩むことに マイコンBASICマガジンなどのパソコン雑誌も自分の中ではバイブル。 twitter.com/nishio/status/… nishio: 遊びのつもりで始めたことが後から仕事になった、という理解でいいですか? geinin: サンクスリプライ その通りです。もう少し付け加えるなら、楽しみながら仕事をやっている一面もあります。(^O^) kze_yoshi8: 文脈には沿わない話だろうけど、大学に進学したこと。その選択肢は知ってはいたけど金銭的に非常に厳しく、また進学した先に何があるのかは知らなかった。 でもその選択をしたのは、自分が大学に行けないのは許せないという意地みたいな醜い何かで、でも結局それが私の人生を良くしてくれた。 twitter.com/nishio/status/… nishio: 大学に行ったことで、その後何がありましたか? kze_yoshi8: 人との出会いです。 夫や今の仕事を紹介して下さった方など、大学に行かなければ出会えなかった方々がたくさんいます。 また、プログラミングへの興味が実を結んで自分の軸のひとつになったのも、大学で学べたからだと思っています。 shoya140: 選択肢は大学2年生のときにソフトウェア開発のコンテストに応募したことで、知ったきっかけは友人のFacebookの投稿でした。その友人とは大学が離れていて、繋がったきっかけは同じ大学の別の友人に誘われて行ったビジネスコンテストの説明会でした。 japan.cnet.com/article/350131… nishio: 大学の友達に誘われて参加したイベントで違う大学の友達ができたということだと思いますけど、その友達ができたきっかけはなんですか?(イベントに参加した人全員と友達になったわけではないと思うのです) shoya140: イベントの懇親会で話したから友達申請した、くらいで、話した内容やきっかけは覚えていない (ということは特に重要ではなかった) です。仲良くなったのはイベントより後のことでした。 HAKKE_sabage: 間違いなく、3Dプリンターを買った事ですねぇ 一気に見える世界が広がって、興味が連鎖していきました 知ったキッカケは、ありきたりですけどYouTubeの 「3Dプリンター使ってみた」 系の動画だった気がします HAKKE_sabage: 他にもTwitterでとある方からイベント出店のお誘いを頂いた事も大きかったです その時は自信の無さからだいぶためらったんですが、 「人生を変えるなら失敗するとしても何か大きな行動しなきゃなー」 と思って参加を決意しました nishio: その人がイベント出店のお誘いをしたきっかけは何かありますか? HAKKE_sabage: 元々サバゲー関連で知り合っていたのですが、3Dプリンターで色々作りながら試行錯誤してたのがその人の目に止まって 「この子は将来絶対伸びるから今のうちからサポートしておこう」 って思ったみたいです その人も3Dプリンターで商品を製造、販売している方でした t0yohei: エンジニアとして就職したこと ヤケクソで参加した合同説明会で、たまたまエンジニア職の話を聞いてピンとくる 特別営業などになりたい訳ではなかったので、全く上手く行かず迷走 大学で経営学部だったので、営業などを前提として就活 twitter.com/nishio/status/… ・この選択肢を選んだことがその後の人生をよくしたと思う選択肢→文化人類学を専攻したこと。
・その選択肢をどうやって知ったのか→大学のシラバスを端から端まで読んでいたら偶然出会い、書いてある内容が興味にどんぴしゃだった。 twitter.com/nishio/status/…
yomoyomo: ポール・グレアムの文章を思い出した practical-scheme.net/trans/hs-j.html さすがに都合よく「人生の選択肢」の知り方までは書いていないが、「賢い人々と、難しい問題を探す」「大きなアイディアを 追い求めるんじゃなく、自分が興味を持つことにたくさんの時間を費す」あたりがヒントになりそう twitter.com/nishio/status/… どうやって知ったか:
- 高校の数学の先生がプログラミング大好きおじさんで、たまたまその授業を開いていた
- ゲームが好きだったのをDean(進路相談の人)が知っていて勧めてくれた
- エンジニアは引く手数多というニュースを見て興味を惹かれ受講を決めた
nishio: あなたがゲームが好きだということをDeanが知っていて、数学の先生が数学の授業とは別にプログラミングの授業をしていて、そのプログラミングの授業を受けた、という理解であってますか? kaname: 進路に悩んでいた高校時代(1980年代)、たまたま入った古本屋に「図書館学概論」という専門書が安く売られていたのを買って「図書館情報学」という学問があることを知り、自分が媒体の観点からの情報処理に興味があることを認識して、その学問を学べる大学を志望することにしました。そして今に至る kaname: もう一つあるとすれば、図書館情報学を学んでいた学部生時代、指導教官から(シャノンの通信理論の論文講読の時間だったはず)進学するならより広く深く情報科学の基礎を学ぶべきと諭されて、学部のない独立系の大学院大学を志望することにしました。そして今に至る nishio: ここまでまとめました togetter.com/li/1710572 nishio: 着々と事例が集まって「趣味興味関心の共通する友人」とか「オンライン人格」とか「たまたま居合わせた人、読んだ本、聞いた話」とか「遊びのつもりだった」とかが浮かび上がってきてるかな tkgshn: これめっちゃ抽象的にいうと、物理的やコミュニティ的ないろんな概念としての移動・差分っぽいですね zoriorz: 選択肢は今の勤め先に転職したことで、知ったきっかけはその会社が主催するイベントに参加して、その場でその会社の社員やリクルーターと話をして、自分にも応募資格があるということを知った事ですね。 nishio: そのイベントに参加したきっかけはなんですか? zoriorz: 確かそのイベントに参加するために説かないいけない問題があって、それがはてぶでばブでバズってた、とかだったと思います。 ---25
hkawai3: 私も「未踏ユース応募」かな・・・と思ったけれど、もっと影響の大きいこととして、OS自作を始めたことかなと思いました。それでOS自作を始めたきっかけを考えてみました。 twitter.com/nishio/status/… hkawai3: 私は高校生の時にFM-TOWNSが大好きで、PC-9801シリーズに負けたくないと思っていました。私は高校生の時にはすでにパソコンに詳しい人というポジションが友人間で確立されていて、友人たちからどのパソコンがおすすめかと相談されました。そして私は結局TOWNSを良く言ってしまうわけです(笑)。 hkawai3: 友人はTOWNSを買った後に、これは本当に98より素晴らしいものなのか?という圧力をやんわりかけてきます(笑)。私はハードウェア的には絶対にTOWNSのほうがいいのだという主張を繰り返して、ついに「98のソフトくらい、TOWNS上で動かせるぜ」と豪語して(失言レベル)、エミュレータの開発を始めます。 hkawai3: それでそれは時間はかかったものの、とりあえずうまくいきます。たくさんの人にダウンロードしてもらえました。・・・そして私はエミュレータをもっとよくするにはOSから作り直したほうが早そうだという直感に至り、そこからOS自作を始めました。 hkawai3: かつて私は言語拡張やライブラリを作ったことがあり、そのときもOSの仕様を邪魔に感じて「これはOSから作り直せばいいかもなあ」と思っていたので、私にとっては数年来のアイデアの蒸し返しでしかないです。 そしてOS自作はとてもたくさんの人から応援してもらえました。 hkawai3: それでOSASKというOSを作って、でも途中でお金が無くなって未踏ユースに応募して、「30日でできる!OS自作入門」を書いて、サイボウズ・ラボに入って、現在に至る、みたいな感じです。 hkawai3: 私はなぜその時点ではあまり一般的でなかった、エミュレータ自作やOS自作をやってみようと思ったのか・・・。なんででしょうね。そもそも私にとってはアプリケーションを書くのもシステムソフトウェアを書くのも、特に違いを感じていません。ゲームを作るのと同じです。気に入らなければ作るだけです。 hkawai3: 結局、何でもいいから自分の好きな開発をして、web上で発表していたら、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で、評価してもらえたっていう、それだけのことかもしれません。そんな気がしてきました。 hkawai3: あとはTOWNSへの片思いがよかったのかなあ。自分のための開発だったらくじけそうな時でも、TOWNSの名誉のために、素晴らしい開発者に報いるためにって思うと、あきらめないで頑張れました。・・・だから私は富士通が大好きで、先に機会があったら私はきっと富士通に入っていたと思います。 nishio: FM-TOWNSのことがそんなに好きになったのは、何がきっかけだったのですか? hkawai3: 好きになったきっかけは、ハードウェアスペックがいい割には、競合機種よりも安かったことです。絵がきれいでしたし、音もよかったです。 そしてTOWNSを知ったきっかけは「Oh!FM」という月刊雑誌で紹介されていたからです。 Oh!FMを買うようになったきっかけは、おじにFM-8を譲ってもらったからです。 uchan_nos: 1つは、中学生のときに、川合さんにOSASKの最新バージョンについて問い合わせるメールを出したことかなあ、と思います。この選択肢は自力で見つけました。「ベクター」というサイトでOSASKを見つけ、バージョンが古いようだったので、作者へ連絡してみた、ということですね。 twitter.com/nishio/status/… uchan_nos: もう1つは大学1年のときに、2年生で進む学科を「情報工学科」にしようと決めたこと。当初、電気電子工学科がいいかなと思っていましたが、先輩から「うっちーは情報工学科が似合うと思う」という旨のアドバイスをもらって、そっちに心が動きました。 uchan_nos: あ、1つ重大な選択肢を忘れてた。確かOSASKに出会う前だったかな、父親がLinuxの存在を教えてくれて、Red HatのCD-ROMが付属する書籍を買ってくれました。これが無かったら「OS」というものに興味を持たなかったかも。 nishio: 中学の時に川合さんにメールを出して知り合ったことの後に何があったのかと、先輩が「情報工学科が合うと思う」と言うきっかけになったできごとが気になりました。 uchan_nos: 川合さんと知り合った後、OSASKコミュニティーでドキュメンテーションやアプリ作成の活動をしばらくやって、そのうちOSCというものを教えてもらって見学に行きました。そこでAkkieさん(のちにOSCの母体企業に就職することになる)などに会いました。 uchan_nos: OSCに何度か参加するうちに、それまではOSASKコミュニティーに居るだけだった僕ですが、川合さんに促されて他のコミュニティーを見学するという行動を取り始めました。沢山のOSSコミュニティーがあることを、そのときに知ります。 uchan_nos: そんなこんなで高校生になります。自分でもOSを作りたくなり、川合さんに相談したところ、「30日でできる!OS自作入門」を書いていることを告げられます。生原稿を読ませてもらう代わりに校正を手伝うことになりました。途中で受験勉強が本格化したため、原稿読みと校正作業は離脱しました。 uchan_nos: 大学生になり、ロボット技術研究会に入部します。1年の夏合宿で、先輩と雑談する中で学科選択のアドバイスを求めました。僕がプログラミングも電子工作も好きなことを知ってる先輩は、理由はよく分かりませんが、僕にはプログラミングの方が似合うと言いました。 uchan_nos: (今思えば、その先輩は情報工学科でしたので、自分のところの宣伝をしたのかも知れません) そうして大学2年で情報工学科に進学し、プログラミングの道に邁進していきました。大学2年のとき、川合さんから誘われてセプキャンのOS自作組のチューターをやりました。 https://gyazo.com/eb0af52aab8f22c0e91035bb2c106165
oz_infj: 「就職せずにスペインを横断したこと」→大学の宗教学で道の世界遺産を知った。 ⇒色んな国の友達ができた ⇒スペイン語を話せるようになった ⇒この経験きっかけで大学で就活してたら入れない企業に誘われ就職できた ⇒ITに強くなった ⇒ドイツ企業からヘッドハンティング ⇒旅行のアテンドしてくれた twitter.com/nishio/status/… nishio: この件、ちょっとわからなかったのですが時系列で「スペイン横断」はどのタイミングですか?大学の授業で知った→スペイン横断旅行した→就職したなのかなと思ったのですが最後に「旅行のアテンドしてくれた」があるのでよくわからなくなりました。 oz_infj: 時系列の認識は正しいです。最後の部分は、文字数が足りなくて無理矢理入れてしまいました。 各国で友達ができたおかけで、休暇中その国に遊びに行ったとき「家に泊めてくれたり、案内してくれたので個人で旅行に行く時とは異なり現地に近い過ごし方ができた。」という意味が含まれています。 nishio: 因果関係左から右でこういうことですか? pic.twitter.com/xf43AB2RUT https://gyazo.com/fbb8d8ac6cd9194df4d2f12bd0f7240f
oz_infj: 正しいです。 わかりやすく伝えられずすみませんでした。 まとめてくださりありがとうござます◎ dmikurube: 今の人生が、ほぼそこの繋がり起点になってることを考えると ICPC への参加だなあ。それを知ったのは高校の部活の先輩が進学した先で参加した経験を聞いたから (その部活になぜ入ったか、まで遡ると、化学部に入るつもりだったけど中一当時なんかこっちのが面白そうに見えた、くらいしか思い出せん…) nanasess: Emacs のアイコンを本家に提供したこと。 MacEmacsJP をはじめとする技術系のMLに参加して知りました。 nishio: MLに参加して「アイコンが必要とされていること」を知って、提供した、という理解で良いですか?提供したことによって次に何がありましたか? nanasess: はい、ご認識に相違ありません。 Emacsつながりの人脈が広がり、よりEmacsを活用するようになり、スキルアップにも繋がり、仕事が増えました。 多くの方々の協力もありましたが、著名なソフトウェアにコントリビュートしたという経験も自信に繋がりました。 keno_ss: 大学1年のときに八ヶ岳フレッシュマンセミナーに参加したこと. 知ったのはたまたまで, 大学の掲示板に募集が張り出されていたのを見たから. 地方大学で授業も退屈だったところ, 数学が好きな人たちと一緒にセミナーしたり良書を教えてもらったりで刺激をもらって「こういうのを目指そう」となりました. legoboku: 大学のロボット開発サークルに誘われて米国NASA主催のロボコンBotballと言うイベントに招待枠で参加したこと。その後、海外や語学に目覚め、海外で働くようになった。 きっかけは研究室同期に飲み会に参加したところ、そのロボットサークルの人に会い、プログラミング担当で誘われたこと。 legoboku: 研究室同期とそのロボサークルの人は学内の交換海外インターン制度 (欧州の企業でインターン)に参加して知り合った。 大学3年生の時に米ロボコンでシリコンバレー周辺に行ったのが初海外。海外に出るのも面白いと思い、修士1年の時に国際インターンにも参加。それで語学が伸び、後日、海外で働くことに Waroe: 大学院(修士)を出ると人生楽と知った事 選択肢の知り方は 同じ学校にはいるものの明らかに自分より頭が良い友人の何気ない呟き ina_ani: エイやの選択をしたというより、沢山ある試行のなかで、良さそうなものを突き詰めて行った結果今がある気がしてる。 無数の細かい選択の合成が今であり、どれが有力かはわからんな。 (レス見ると面白い twitter.com/nishio/status/… hatone: 高1のとき高校生ITキング決定戦というテレビ番組に出演したことが、その後を人生を良くしたきっかけです。当時好きだった部活の先輩が、その選択肢を教えてくれました。北海道に住む自分のスキルでテレビや全国大会へいけるとは本当に思っていなかったので、大きく変わることが出来たきっかけです。 koshian: 「UNIX/Linux に出会った」のは努力が報われる世界があることを初めて知った体験でした どうやって知ったかというとTRPGサークルの仲間たちが共同管理してるサーバのアカウントをもらったのがきっかけでした twitter.com/nishio/status/… jmuk: ひとつはRHG読書会に参加したことな気がする。なぜ参加したかというと主催者の高橋さんと知り合いだったからで、なぜ知り合いだったかというと、趣味のSF読みコミュニティで会ったことがあったから。 twitter.com/nishio/status/… anohana: 大きな選択肢は仕事で米国に来たことかなあ ←その選択肢を知ったのはTV局CGセンターでのバイト ←演劇関係の伝手 ←高校で演劇部に入ったこと、まで遡るかなあ twitter.com/nishio/status/… cafenero_777: BBSで近場のサバゲーに参加、参加者の身内の所でバイト、そこが新規事業としてweb系を始める・手伝う、っという、今考えるとロングホップな事が起きたのを思い出した。 twitter.com/nishio/status/… itawasa: 選択肢としては物理学を学んで、学問のフロンティアの末席まで行けたこと。知ったきっかけは、ざっくりで雑誌の Newton やサイエンス系のムックだったのだろうか。そのきっかけは母親が物理好きだったが高校でまったく理解出来なくてざせつしたらしいことか。さらにそのきっかけは知らない。 twitter.com/nishio/status/… inuro: 某社の地図の出来をTwitterでdisってたら「そこまで言うならお前がやれや」と言われてアメリカに家族ごと引っ越しました。 hsbt: 高専の非常勤講師として来ていた が1コマつぶして Ruby や ruby-math の話をして面白そうと手を出したのが OSS や Ruby にかかわるようになったきっかけです。 twitter.com/nishio/status/… SIHO_o: 2年前のことです。 選んだ選択肢 →ネットで漆芸家を探して、その漆芸工房にて漆を教わることにした キッカケ →打ち合わせに慶應高校に行った時、同敷地の大学にて絵本展開催中でオススメだと言うので一緒に見たら、挿絵に螺鈿が使われている絵本があった。 「こ、この美しいものは何だ??」 twitter.com/nishio/status/… y_okady: 大学でフットサルサークルを友人と立ち上げたんですが、入学してすぐに既存のサッカーサークルの見学に行ってその友人と知り合って、フットサル一緒にやろうって誘ってもらったのがきっかけでした。その日にそのサッカーサークルに見学に行ってなかったらこの選択肢はなかった。 twitter.com/nishio/status/… nishio: フットサルサークルを立ち上げたことが、その後どんなことにつながったのですか? y_okady: 当時の仲間はその後お互いにみんなの結婚式に参加し合ったり、20年経った今でも連絡を取り合う仲だし、妻との出会いはそのフットサルサークルだし、僕の半生を決めた選択だったと言えるかもしれないですね! toyoshi: 中学の時に同級生に電気自動車を作るワークショップに誘ってもらったことかな。なんでそれに誘って貰えたかというと工作好きなことを周囲が知ってたからだと思う。そういう機会は周りに自分の今の興味を知っててもらうことが大事に感じる twitter.com/nishio/status/… garyu: アメリカ駐在中、ウェブ日記コミュニティでメッセージをくれて知り合いになった人から「ウチ受けてみませんか」と言われ、どうせ落ちるけど面白い経験だし、と受けてみたらオファーが出てしまって「アメリカで就職するという選択肢」が自分にも存在することを知った。 twitter.com/nishio/status/… keigoi: 関数型・論理型言語の国際会議FLOPS 2006に参加したところ、同じ名古屋の小笠原さんと出会い、帰名後に と有志でOCaml-Nagoya勉強会を作り、名古屋で関数型や証明の会が始まった。同時に東京の圏論勉強会に参加するきっかけとなり酒井政弘さん今井たけをさんらと知り合いTaPL翻訳 (確か? twitter.com/nishio/status/… keigoi: FLOPSを何故知ったか: 当時D1で、TYPESメーリングリストに流れていたので指導教員に行きたいと行ったか、ひょっとしたらポスター発表したかも。圏論勉強会は「はてなダイアリー」あるいは酒井さんのブログ「ヒビルテ」で知ったと思う。FLOPSにshelarcyさんとOlegさんが来ていた? oogFranz: ひとつは「高専に入学したこと」 高専を知ったのは「テレビのロボコン」 ロボコンは理科やプログラミングに興味があった僕に親が勧めてくれた 理科やプログラミングに興味があったのは「子供の科学」という雑誌から この雑誌も当時小児病で入退院を繰り返して暇を持て余してた僕に親が勧めてくれた twitter.com/nishio/status/… oogFranz: こう考えると親には感謝しかなくて、ひょっとして興味持つかな?というものを闘病中にたくさん与えてくれてたんよなー nishio: その体験学習は、どんなものですか?中高生向けの科学イベントみたいな感じですか?それに参加したことでそのあと何が起きましたか? tweeting_drtaka: まさに、中高生向けの科学イベントみたいな感じ、です。それに参加したことで、「アメリカに渡る」という目標ができました。 tweeting_drtaka: 人によるのかも知れませんけれど、選択肢って、あるようでない。自分自身、選ばせて頂けた機会なんてあまり思い浮かびません。生まれ育ちや周囲の環境によって、ほぼ決まってくるものではないでしょうか。 ただ、自分が進む方向は、自分で決めさせてもらうことができた気がします。 tweeting_drtaka: 「その後の人生に」とあったので、このツイは、若いころのお話。学位とライセンスを取ってからは、多少の選択肢が生じるようになりました。公務員を辞めるのも、北海道に戻るのも、自分で選びました。 twitter.com/tweeting_drtak… TJO_datasci: 駒場のポスドクをクビになると決まり次のポジションも見つからない中で、「企業就職も考えたいがどうやって35歳にもなって生まれて初めての就活をしたものやら」と思ってググったら見つかったのが、博士の就活支援・転職サービスで有名なアカリクさんでした twitter.com/nishio/status/… TJO_datasci: その時最初に面接を受けたのがあるグローバル消費財メーカーだったんですが(結果は不採用)、その時にモデル給与として示された額が「未経験35歳であることを考慮した」にもかかわらずポスドク当時の給与より遥かに高くて驚愕したのを覚えています。以後、本格的に企業就職に舵を切りました TJO_datasci: その当時親身に対応して下さったアカリクの担当者の方に勧められて受けてオファーが出た前々職に僕は入社を決め、そこで出会った当時のCTOから「尾崎さんはデータサイエンティストってことでいいよね」と僕に新たな職掌と肩書きを与えて下さったのでした。このお二人は僕にとって最大の恩人です ---50
magoroku_seven: 大学選択で、高校生のとき、たまたま地元の新聞の今日の人という毎日誰かを紹介する小さい記事で当時ソニーでPlayStationを作った久多良木さんが紹介されていて、出身校が電気通信大学を知りました。 amecomin: 知ったというか諸々なし崩し的にそうなった、だけど別の通学方法(別科)で高校に通うことにシフトした、ということかな...自分のことよく考える時間はできたし必要最低限のことだけこなして結果的に学校で習えないような長所は確実に伸ばすきっかけになったと思う(今の仕事にも一応繋がってる) twitter.com/nishio/status/… patty_ohare: 私の場合はありきたりだけど、日本の大学卒業後米国留学をしてそのまま居ついた事。あのまま日本に居たら男女格差の大きい社会で苦労していたと思う。選択肢を知ったのはいつだったか思いだせないけど子供の頃だった。多分偉人の伝記かなんかで知ったのだと思う。 twitter.com/nishio/status/… TomiyaAkio: twitter.com/nishio/status/… 1つの大きな決断というわけではないですが、迷ったら(大変でも)面白そうな方を選ぶ、という感じです。 大きな決断といえば、学部から専門を変えて阪大大学院の素粒子論に進んだことです。大学院の情報を色々調べて知りました。 kzktkhs111: 博士1年目の春、学振を辞退して青年海外協力隊としてエチオピアに行くつもりだった (一次試験は通過) が、それを報告しに行った指導教官ではない教授にフェローシップを持っていれば海外のラボにvisitingで受け入れてもらいやすい事を教えてもらい、その秋からアメリカに留学した。 twitter.com/nishio/status/… arcanum_jp: 職業訓練校の存在でしょうか。機械工具商社で営業をしてた頃こんな自分で何も作り出さない職業は嫌だと悶々としてたときに営業に行った取引先の女の子に何でここに就職したの?と偶然聞いたら職業訓練校に入って斡旋されたと。情報通信科もあったのでその足で訓練校に行きました IWAN_NAOK: 選択肢: 大学入学と同時にカーリングを始めるかどうか(→始めた) きっかけ: 高校の同級生たちに「大学入ったらカーリングやろうと思うけど、岩永もやる?」と誘ってもらって(そしてその同級生と同じ大学に行くことになって) twitter.com/nishio/status/… bohebohechan: 中高生のとき、複数の選択肢が全く見えてなくて、進学校に入ったものの、成績良かったら通える範囲の国立大学に行く、悪かったら地元に就職する、しかなくて、詰んでて学校に行く気なくて、結局脱落したので、選択肢を知る、ことは光をみつけることかも。 twitter.com/nishio/status/… __fumie0000: とても良い問い、そしてリプライが示唆に富んだ事例集になっていてすばらしい! twitter.com/nishio/status/… risay: 高校かな。合格後の入学説明会から父母の立ち入り禁止で初めて学業準備に明確な責任を持たされた。人生観が変わったと思う。そういう学校とは知らなかった 知ったのは引っ越した先の隣のお姉さんがそこに通っていて、母が私服校に憧れて進めてきたから twitter.com/nishio/status/… ayamiya125: いくつかあるけど、「その選択肢をどうやって知ったのか?」 は全てグーグル検索 誰かに何か言われたのがきっかけみたいのがないのは、僕の人間関係の薄さを表しているのだろう twitter.com/nishio/status/… kkaigai: 選択肢:新卒2年目の頃、仕事でSELinuxの調査を振られた(非自発的)とき、内部実装が酷い事に気付き、spinlockをRCUで置き換えるパッチを作ってコミュニティに投げてみた(自発的)。 知った:職場の先輩が普通にIA64 Linux MLにパッチ投げて機能提案をしてる環境だったので。 twitter.com/nishio/status/… signs0302: サイエンスインカレという学部の学際的な学会の参加を目的としたサークルに入ったこと →大学受験に失敗したので編入で脱出するための実績作り →説明会の張り紙をたまたま見て暇だった その後編入には失敗しましたwが、2年時の味覚の研究がバズり評価されて調子に乗り博士課程に進学してしまいました twitter.com/nishio/status/… signs0302: 以降、調子に乗り続け未踏やクマ財団などなど良い経験をさせていただきました あの頃の稚拙な研究を評価してくださった方々に感謝を kadoyan: 30を前にして会社の仕事にモヤモヤしていたところ、仕事でお世話になっていた別の会社の社長さんに相談したら「フリーになったら?」と言われて、脱サラしてフリーランスになりました。それまでは、フリーランスという選択肢は自分の中にありませんでした。 nimdanaoto: うーん、私はSuper Sciences Highschoolやってる高校に行ったことだろうか。高校選ぶ時点で理系の学問やりたかったから普通科高校に行くにしても特殊な理系教育があるところに行きたかったんよね。 まぁ高専に行くよりもベターな人生になったのかは未だによくわからないところはある。 twitter.com/nishio/status/… yokochie: 良かったこと: 高専の存在と高専への進学 きっかけ: 中学時代、技術の先生と仲良くしていたら3年生の時に教えられたこと。それまでは全く知りませんでした。 twitter.com/nishio/status/… m_sigepon: SNSに自分の作った作品をアップして、いいですねとメッセージをくれた人が前職の社長でこれから就職活動なのですが募集してないですかと自分からメッセージを送ってポートフォリオ送ってそのまま面接無しで内定貰った。 選択肢は、作り出した。 twitter.com/nishio/status/… m_sigepon: 褒めてくれただけだと思ってそこで終わらせていたらその後は無かった。プロフィール見てなんか会社やってるぽいし募集してないか聞いてみよって思ってメッセージを送った。当時まだ、HPもなく募集自体も表向きはしていなかった。 tt_clown: 自分の人生を振り返ると「人間万事塞翁が馬」と言う感じがする。後から振り返ると、その時の選択が後々の良い事に繋がったと言うものがあるにはあるが、その選択肢は「ネトゲ廃人やってみた」とか「博士課程を放り投げた」とか(一見すると)ロクでもないものばかり。 tt_clown: 自分の人生を振り返ると「人間万事塞翁が馬」と言う感じがする。後から振り返ると、その時の選択が後々の良い事に繋がったと言うものがあるにはあるが、その選択肢は「ネトゲ廃人やってみた」とか「博士課程を放り投げた」とか(一見すると)ロクでもないものばかり。 tt_clown: 妻が1歳児に「パパはたまたま成功したから良いけど、夢追い人はあまりお勧めしないわよ」と諭してて「俺、夢追い人枠かよ(苦笑)」と思ったが、まぁ外野から見るとそうだよな。「何となくやってたらこうなった」としか言えない。その意味では、別に夢を追ってる訳でもなかったが……。 tt_clown: 最近「自分の残り時間」を意識する事が増えてしまい、その時に「今の位置まで持ってくるのに10年……は無理でも5年は短縮できたはず。時間を無駄にしすぎ」と言う後悔を感じる事もあるが、実際にそれをやると全然違う未来(そして、必ずしも良いとは限らない)だった気もする。人間万事塞翁が馬。 chibatching: SIerでExcelポチポチばっかりで技術的に面白い仕事が全くできないストレスでAndroidアプリ開発を趣味ではじめてストアに公開するところまでやったことかなぁ twitter.com/nishio/status/… chibatching: 最初から英語対応していたのでユーザの全体数はかなり少ないながらも海外のユーザもいた。 その中でいろいろ質問とか機能要望をたまにメールしてくる海外ユーザがいて、その時はあまり気にせず質問に答えたり機能要望に対するこちらの見解を答えたりしていた。 chibatching: 本業のSIerはいわゆるメー子でグループ全体で英語強化したいということから海外語学研修の参加者を募集していた&部署でもある程度応募のノルマがあったようなので上司から応募を薦められた。 自分はデスマ支援で全国行脚みたいな生活にうんざりしていたので即座に飛びつき応募し運良く採用。 chibatching: 1ヶ月のボストンホームステイ語学研修に出発する直前、また例の海外ユーザから質問きてたので「アメリカ出張だから返信遅くなるかも」と伝えつつ、ボストンでの生活が少し落ち着いた頃に返信して少し雑談交えてのやり取りをしていたら chibatching: 「俺はマウンテンビューに住んでるんだけどこっちのほうには来ないの?」と。 そのときになんとなく相手のメールからGoogle+(!!)を見に行くと勤務先にはGoogleと書いてある。 chibatching: まじかよ…と思いつつも冗談で「時間があれば行きたいけど行ったら案内してくれる?」と返信したら「もちろん」と返ってきた。 社交辞令かもしれないけどこんなチャンス滅多にないだろと思い語学研修が休みの土日でボストンからサンフランシスコに行く計画を立てて押しかける。 chibatching: 会えなかったどうしようとも思ったけど、まあそれでもただ観光でもして帰ればいいかとやけくそで突撃したんだよなぁw しかも、東海岸から西海岸なので距離も時差もかなりあって超弾丸旅行だったしまさか語学研修中に国内線乗って旅行に行くなんて完全に思いもしない予定外の行動だったw chibatching: 実際にはちゃんと会うことができたしSF市内もマウンテンビューもGoogle本社オフィス!も見学させてもらえたし、一緒にバーでビール飲んだりでめちゃくちゃ楽しい経験をさせてもらえた。 chibatching: いろいろ拙い英語で話をする中で「Google来ないの?」とも言われたが、どう考えても趣味でプログラミングしてるだけで実力は全然足りないし英語もまともに話せないので「そりゃ行けるなら行きたいけどね〜」みたいな返事しかできなかったけど、 chibatching: プログラミングの道に進もうと強く意識するきっかけになった。 結局、研修から帰国して半年くらいでSIerを退職してAndroidエンジニアとして転職していた。 chibatching: 残念ながら未だGoogleで働けるような実力も英語力も身についてはいないけど、Androidエンジニアとしてそれなりに食べていけるようにはなれたので何がきっかけになるのかなんてほんとわからんもんだよなぁ dokon: 大学の講義を割と前のほうで聞いていたら他の学校の教授がとあるセミナーでキャンセルが出て困ってると聞いて内容もあまり知らないまま”興味あります”って言ったら、翌月アメリカで世界各国から学生が来るセミナー受けることに。正直恥をかきに行ったようなものですがとても良い糧になりました m_sigepon: 中学校の頃、吹奏楽部に入っていたけど2年になって顧問が代わり合わなくて辞めたかった、父親に相談したら何か部活に代わりに入れと言われたが運動部が嫌で吹奏楽部に入ったのに他は運動部しかないやんとなった。担任に相談したら家まできて辞めることを説得してくれた。 twitter.com/nishio/status/… m_sigepon: 家まできて何かを辞めることを親に説得してくれる先生何てそういないなた思う。 それが切っ掛けで、代わりに父親の恩師の紹介で油彩教室に通うことになった。 これも、自分から辞めたいと言わなかったら美の道の入り口に進むことはなかっただろう。 何かを辞めることは何かを初める切っ掛けでもある。 kawaz: 本好きで雑読な為、目についたあらゆるジャンルの漫画や小説を読んでたのは大きい。出会いという意味では本屋の棚かな。時代的にネットは無かったので。 nishio: 分量が多くなってきたのでScrapboxでまとめることにしました。今数えたら70人分の回答がありました。 人生の選択肢をどうやって知ったか? scrapbox.io/nishio/%E4%BA%… --- 70
ukkaripon: 色々な体験談が集まっていて素晴らしいのだが、特に Paul GrahamのWhat you'll wish you'd knownがビビっときた。 A key ingredient in many projects, almost a project on its own, is to find good books.なのでもっと本読もう。 英語:paulgraham.com/hs.html 日本語:practical-scheme.net/trans/hs-j.html twitter.com/nishio/status/… NetPenguin: Javaに手を出した事。友人が作っていたiアプリの手伝いで知った。当時「実行ファイルを作れない言語なんて……」と思っていたが、スレッドやネットワーク周りが便利で使うように。 twitter.com/nishio/status/… NetPenguin: Java使えた→新卒入社の会社でJava関連チームに配属→チームの上司同僚に恵まれる→案件にも恵まれる→上司について転職→転職(何度か)→今に至る NetPenguin: もう一つあって、中学のときにプログラミングについての教科書が配られた事だな。配られただけで授業でその時間がとられることは無かったけど。あの教科書だけで、めちゃくちゃプログラミングに興味持って、やりたくなって、高校の頃にバイトしてパソコン買ったんだよなぁ。 NetPenguin: 夏休みはバイトに消えた(パソコン購入)。冬休みもバイトに消えた(CD-ROMドライブ購入) tantakan_: ・小学3年生の時にスウィングガールズを見たこと ・高校2年生の時に進路相談を仲の良かった非常勤講師にして、考えていなかった選択肢を提示させられたこと かな、どちらも重大な岐路だったと思う twitter.com/nishio/status/… _yshrsmz: 小学生の時に、町が主催するオーストラリアへのホームステイに参加したことかなあ。それから英語への興味はなんとなく持ち続けて今に至るわけだし twitter.com/nishio/status/… _yshrsmz: 英語ができるってだけで触れられる情報は圧倒的に増えるわけで。みんな義務教育でやってるわけだからこれが差別化要因になるのははなはだ不本意ではあるけど、日本のIT業界の現実ですよね nishio: 英語への興味が出たことがそのあと何につながりましたか? _yshrsmz: Webサービスを開発する仕事をしています。開発に使う技術は世界共通なので、英語での情報の方が多いです。英語ができることによって触れられる情報量が増え、結果(身も蓋もないですが)「そこそこお給料がもらえるITエンジニア」になれた、って感じですかね。 _yshrsmz: もちろん英語ができることによって触れられる情報量が増えるのはIT業界に限った話ではなく、どんな業界でも言えることだと思います! ホームステイのことを知ったのは確か町の広報誌を読んだ親経由だったと思います yskddk: 高卒で就職し数年後に夜間大学へ通い学位を得たこと。仕事上で出遭う高等数学がわからず頻繁に高校時代の数学の先生を訪ねていたら、彼から夜間大学進学を勧められた。このおかげで実世界と高等教育で学ぶ学問との関連が明らかになり、物事を摂理を中心に据えて思考できるようになった twitter.com/nishio/status/… riywo: 海外に住むこと←Twitter で仲良くなった人に、海外で働いてる人を紹介してもらった。それまで漠然と「行ってみたい」だったのが、その人にビザの話を詳しく教えてもらって、住むことを目標にしないととてもじゃないと行けないと気付けた。 お陰で子供によい環境や、いい仕事に巡り会えた。 _ko1: 自分がなんでプログラミングをやりたくなったのか何も記憶にない(すごくやりたかったことだけは覚えている) ryushi: 高校卒業時にパソコンを使った仕事したいと思ったこと。その仕事は業界が若く内容はともあれ経験年数こそが付加価値の中心になると仮定し、そのためには出来る限り早くキャリアを開始すべきだと考えた。twitter.com/nishio/status/… ryushi: 人生で最初にパソコンに触れたのは中学校のパソコン室。プログラミングはほぼせず、エアコンが効いてる部屋でお友達としゃべったりゲームしていた。N88-BASICをちょっと教えて貰ったり、タートルベーシックというやつを試したりしたが、この時得た知識はほぼ役にたっていない。 ryushi: 一方で、この時の経験はパソコンを使った仕事をしたいと考えるに至る根拠となった。 ryushi: 確か中学二年の時に、地元の公立中学校全体にパソコン室が突然作られて、「技術」という科目の一部にパソコンを使って何かをするみたいなカリキュラムが追加された。木工とか、そういう授業の一部としてパソコンを触る感じだった気がする。 ikemo: チーム開発をする会社に転職したこと 自分が本当に何をしたいのかが分からなかった →本を読んだりググっているうちにGoogleの「効果的なチームとは何か」を見つけた。 →今までやってきたのは「ワークグループ」にすぎなかったと分かった。 →「チーム」で開発をする会社に行きたいと決まった。 ikemo: 過去のツイート見つけたので貼っておきます。 twitter.com/ikemo/status/1… ikemo: この前Googleの「効果的なチーム」のドキュメント見たけど、ちょっとショックだった。rework.withgoogle.com/jp/guides/unde… ikemo: これ最初の方に「チーム」の定義があるんだけど、自分はこれまで一度もこの定義に当てはまる「チーム」に所属したことがない。自分が今まで所属してたのは「ワークグループ」にすぎない。 ikemo: 「チームワークを発揮した経験」は面接の定番でずっと悩んでたけど、チームですらない状況でチームワークって、無理とまではいかないけど難易度高いよなあと。それで不利になるのは結構つらい。 ikemo: チームだと他の人に働きかけるというのは自然な行為だけど、ワークグループでは越権行為になることがある。だから難易度が高い。 ikemo: 空き時間にいろいろ調べて考えてみたけど、現状でなんとかできる案は思いつかなかった。 ikemo: まあ何ヶ月も考えてわからなかったのが数時間でわかるはずがないし、それが困難だから転職活動してるんだよな。。。あえていうなら「少しずつやれることをやる」しかないけど、そのために自分の人生を10年費やす価値があるか?というわけで。。。 ikemo: これを考えてるのは今の会社に未練があるからではなく、自分の中で何をすべきだったかの自分なりの答えを用意しておきたかったから。 ikemo: 何もしなかったわけでなく、相談されたときにはいろいろ自分で動いていろいろやったけど。。。 ikemo: この結論は正直イヤなところもあるけれど、「挑戦しない者は放っておきましょう」とするしかないかも。ドラッカー の非営利組織の経営に出てくる対談でこの言葉を見つけてびっくりしたのよね。。。 hidey: 国立オリンピック記念青少年センターであった夏休みに一週間くらい泊まり込みでやった中学生サイエンス教室的なやつに応募したことかなー(正式な名前忘れた&インターネッツがない時代のことなので調べても出てこなかった) 応募は自分で選択したけど、当選したのは運なので選択か?という話はある twitter.com/nishio/status/… hidey: 日本各地から実験とかに興味がある中学生が集まって来てて色々刺激になった 今はもうやってなさそうだけど、参加したのは初回のやつで何年かは毎年やってたはず (多分)諸々の時代背景もあって公的な補助がかなり入っててなかなか豪華な実験とかやった記憶がある ミニロケット飛ばしたりとか hidey: まぁ、ただ中学生相手に「光は波と粒子の両方の性質がある」とか講義したのは無茶がすぎると思うw これに参加して何かが明確に変わったかでいうとそんなことはないんだけど、子供の頃のちょっとの軌道修正は時間とともに影響力が大きい気がするのでこれかなー hidey: それを知ったのはなんでだっけ… 確か新聞の広告欄とかだった気がするなー 親が見つけて教えてくれたとかだったかも Isa_rentacs: 一番大きなのはMSのinternshipに行ったところだと思うけどどうやって知ったかは覚えてない… なんか募集してるところ探すか、ぐらいだった気がするけど周りでも長期インターンの話してる人が多かったのでそのせいもあるかも。 twitter.com/nishio/status/… MoyuruAizawa: SWEになったことかなぁ。 最初はいわゆるIT土方になるつもりで受託開発会社に入った(尚、幸いなことにホワイトな会社だった)。そこでスキルを積んでCSゲーム系の大手企業にでも入れたらいいなと思ってたけど、成り行きでWeb系企業入ったらトントン拍子で給料が上がっていって幸せになった twitter.com/nishio/status/… hogedigo: Go言語を選択したこと。今はほぼそれでご飯食べてる。 きっかけはイベントの懇親会で さんにGAE/Javaのspin-upの遅さを愚痴ったところ「Goが速い」と教えてもらったこと。ちょうど9年前。 twitter.com/nishio/status/… hrjn: 経産省主催の起業家増やしましょうプロジェクトの「ドリームゲート」に応募したこととかかなぁ。これをきっかけにあんな人やこんな人と知り合うきっかけができて今でも友達な人が多い。 これは、学部の掲示板に貼ってあったポスターみて申し込んだところからかな。 twitter.com/nishio/status/… Zimaming: 色々な本を読んで得たデータや知識から考えて辿り着いた感じです 選択肢そのものをどこかで目にした訳ではない twitter.com/nishio/status/… riko: 思えば、たいてい「それ」を知ったきっかけって飲み屋とかライブハウスとかであって、学校でも職場でもない。普通の人生を真面目に生きてたら全然違う人生だったと思う。 twitter.com/nishio/status/… send_: CROでデータマネージャーやりながら業務効率化のためにコード書いてたところ、職場の先輩に本職のソフトウェアエンジニア目指したほうがいいとアドバイスされて転職した。15年後ぐらいには当時の年収の5倍ぐらいになった motohasystem: ドローンの自作に挑戦したこと、かな。当時は作る上で3Dプリンタなんかで足りない部品を自作する必要があって使い方を覚えてその後学校で授業したり会社作ったり。 1万円くらいのトイドローンを持ってきてくれたひとと一緒に遊んだことがきっかけで調べてるうちに自作にたどり着いたような。 BlizzieAgain: 妖怪ウォッチのゲームを遊んだおかげで現在のYouTube配信活動が成り立っています。そしてそのキッカケは当時小学生の弟が妖怪ウォッチのゲームを遊んでいたことでした。 他にも「弟がやっていた、見ていたから」関係を持ち始めたコンテンツが、後の自分の活動に良い影響を与えることは多かったです。 megkurotsubaki: 弁理士の資格をとったこと。大学時代にバイトしてた研究所の人が教えてくれました。その人は個人でも出願してて、弁理士の仕事楽しいし、家でもできる、研究所のOBOGで弁理士やってる人もいて、女性で結婚出産をしても働きやすいと勧めてくれました。大学のバイト先とかは選択肢を知るいい機会だと思う twitter.com/nishio/status/… n_gsx1300r: 大学で金属の物性を学んでいた3年生のときに、コンピューターのことを学びたいと思って本屋のコンピューターコーナーに出入りするようになって「初級システムアドミニストレータ試験」を知って勉強し始めたこと。 twitter.com/nishio/status/… kawaz: 本好きで雑読な為、目についたあらゆるジャンルの漫画や小説を読んでたのは大きい。出会いという意味では本屋の棚かな。時代的にネットは無かったので。 ethnin_y: 凄くちゃっちい事ですが。 大学入学時(15年くらい前)の新入生歓迎会に参加した事です。その時出会った人と未だに連絡取り続けてますし、その歓迎会の主催団体に所属して就職もその母団体にしました。ややブラック感ありますが妻とも職場で出会い、今では娘にも恵まれ幸せです! hariguchi: Emigration. classified section on the web in April 1995. I used Mosaic on Sun 4. I forgot how I got to know San Jose Mercury News started the web version of the newspaper. I believe it is the world's first WWW newspaper. arcanum_jp: 職業訓練校の存在でしょうか。機械工具商社で営業をしてた頃こんな自分で何も作り出さない職業は嫌だと悶々としてたときに営業に行った取引先の女の子に何でここに就職したの?と偶然聞いたら職業訓練校に入って斡旋されたと。情報通信科もあったのでその足で訓練校に行きました Kkkknows: 高校生の頃、学校をサボったこと。 ・ジュンク堂へ行き 自分のあまり足を運ばない本棚の本を読む習慣をつけた。 ・自分の知らない土地を歩く癖をつける。 お陰で生涯の趣味も見つかり、各所専門家の話を聞くにしても深い所までの理解に時間が掛からず、海外で道に迷ってもあまり焦らなくなった。 MistyMika2020: 高校受験の時に当時帰国子女用に新設された「国際教養科」に進学したこと。 知った経緯)我が子をその高校に入れた母の友人達から絶賛オススメされたから。いわゆる口コミですが伺ったお話が、中学生の私にはキラキラしていて、物凄く充実した高校生活に憧れました。 MistyMika2020: ホームステイ、留学生の受入ホストもしましたが、何よりもバックグラウンドの違うグローバルな帰国子女のクラスメイトに多感な時期に出会えたことがその後の人生に大きく影響しています。彼女達のアカデミックな家庭の話や、英、仏、ブラジル、インドネシア、フィリピン、香港ベネズエラのこと、 MistyMika2020: 学生時代は世界中に散った友人を訪ねたり、5ヶ国語堪能な友達とバックパッカーで世界を周り、インテリア関係の仕事から、外国人向けインテリアデコレーター、大手外資系へと転職。海外の大学へ勤めることになった主人についてキャリアを捨て、その後2か国で10年。 MistyMika2020: その間、育児、出産、バイリンガル教育。海外育ちの子どもたちの日本語の維持にも苦労しましたが、高校時代のリアルな帰国子女の声や苦労を知らなかったら、もっと大変だったと思う。10年ぶりに日本に帰ってからも、家族が得たグローバルな視点と MistyMika2020: 圧倒的アウェイで出会った日本人家族のお友達達は、一生の財産。帰国後も色んな所で繋がって、これからまた巣立っていく頃には世界中で活躍する今まで出会った子どもたちの所を巡るのが夢。アメリカ補習校の日系2世の子は日本に留学にきてたりと興味深いです。 gatto_man: 受験勉強したくないと言う消去法な理由で米国留学を選んだこと。英語ができたわけでも何かが学びたかったわけでもない。飛び込んでみればなんとかなることを学びました。結局卒業してなくて17年ぶりに復学します。 知った理由はインターネットで調べた記憶がある※2000年の話です。 pure_chantaman: 興味あることを公言していたため選択肢を見つけることが出来ました。 結局一人の人間が知ることのできる情報は限られていると思うので、周囲に教えて貰えるようにしています。