人生の選択肢をどうやって知ったか?100〜150
人生の選択肢をどうやって知ったか?100〜150
amingb: 選択肢・3DソフトBlenderを覚えた事 選んだ結果・フィギュア仕事で人より先行してデジタル化に対応できた 知った理由・3D自体は以前から興味あったが、ソフトの性能が良かった事、教本やWEBでの情報が充実していて続けられた。他のソフトに手を出して続けられなかった理由はそれらが足りなかった NS944A: 色々あるけど、総合すると普段の自分の行動範囲から出てみること。 無鉄砲に飛び出すのも良くないけど、足場が安定しているなら少し冒険してみる感じ。 Usao_INB: 自衛隊に入った事ですね。 ガンダムが好き→宇宙の戦士を読む→自衛隊に興味が出る、空挺団の存在を知る。 大型、大特、リフト等の資格を取らせてもらえました。 あと、同年代に比べてやけに健康です。 takusamar: 文系新卒でプログラマになったこと。大学3年の冬頃に届いたDM(当時は紙)を見て「いい意味でふざけた会社だな〜」と思い興味本位で応募。プログラム経験は一切問わず論理的思考と作文だけの筆記試験。面接もカジュアルで雰囲気が自分に合ってそうだったので他の会社は全て辞退してそこに決めました。 takusamar: 入社後、未経験からコンピュータの基礎をしっかり教えてくれて、2年目には旧一種(今の応用情報)に合格できました。 あのとき規模や知名度ではなく自分の直感を信じて会社を選んで良かったです。そこは4年半で転職しましたが本当に素晴らしい会社だったと感謝しています。 nippon-control-system.co.jp/saiyo/index.ht… send_: CROでデータマネージャーやりながら業務効率化のためにコード書いてたところ、職場の先輩に本職のソフトウェアエンジニア目指したほうがいいとアドバイスされて転職した。15年後ぐらいには当時の年収の5倍ぐらいになった amarill50195716: はじめまして、大学生です。自分の将来が見えてしまったことによる危機感から體育会をやめ大学生のうちに新たな挑戦を始めることができました。そして今ではワクワクするような人生を歩んでいます。 きっかけは、友人が辞めるという話を私に相談してきたことです。…… amarill50195716: それから社会人の方や大学で関わったことのないような学生に声をかけ人生について話すようになりました。そうして多角的な視点から客観的に自分の人生を見つめ直し、うちの体育会にはなかった退部という概念を自分にも当てはめられるようになりました。 amarill50195716: 友人というのは、同じ体育会のチームメンバーです。彼も辞め、留学をしていました。2人とも今では楽しく将来について語り合える仲です。就職先も満足のいくところにできています!笑 ある程度の生存バイアスはかかっている思いますが笑 charuman: 大学3年で就職活動を始めた時は周りと同じように銀行など大企業を中心に就職活動をしていた。今は国教が出来たので無くなったが、当時早稲田にあった国際部という留学生向けの授業を聴講していた4年生に「フューチャーって会社に行くけどいいぞ」と言われて、大企業じゃない選択肢もあると知る。 twitter.com/nishio/status/… charuman: まあそこで何だかいろんなことを叩き込まれて今にいたる。結果として1年しかいなかったけど、あそこで社員200名そこそこの会社に行くという決断をした自分にグッジョブと言いたい。 ちなみに某都銀から内定もらってたのだけど本店に内定辞退を伝えに行った時は大人ってまじで怖いと思いました。 mayulatte2000: オーケストラ部でViolaを選んだこと.•*¨*•.¸¸ 部で虐められて泣いていた私を図書館でたまたま顔見知りだった上級生が 「私と同じ楽器を弾いてみない?スポーツも良いけど音楽も良いよ」 と誘ってくれて、あの時転部しなかったらどうなっていたやら…中1の三学期の話です twitter.com/nishio/status/… mayulatte2000: 12歳の私はバイオリンはともかくビオラの存在なんて知らなかった そこから管弦楽団のある高校を目指したり、社会人になって初ボーナスで楽器を買ったり… その後、息子がを弾いてくれるようになるなんてあの時に先輩と出会わなかったら、私だけじゃなく息子の人生も変わっていただろうなぁ rkarsnk: 私は,当時家にあったEPSON PC用のWindows95が購入期限切れで買えず,3.1からアプデできなくて落ち込んでいたところ,PC-98互換機でも動くPlamo LinuxというOSがあるよ?と知ってトライしたことかなぁ twitter.com/nishio/status/… blu3mo: 一番は小4の時に同級生とFLL(ロボコンのような物)に参加し始めた事な気がする、 知ったきっかけは母の友人の紹介、この年齢だとやっぱり情報源は大体親or先生に限られそう twitter.com/nishio/status/… s1shimz: 私の場合、大学に行かずに高卒で国家公務員になったことですね。 理由は、進学してたら奨学金の返済を背負った状態で就職氷河期に突入していたのに対し、当時は高卒もそれなりの人数を採用していましたので、そこまで就職に苦労しなかったからです。(続く) s1shimz: その選択肢を選んだ理由ですが、大学に行くには奨学金が必要で、就職を考えていた時に、進路指導の先生から「毎年何人かが国家公務員になってるから」と勧められたためです。 TakigawaCritica: ◆「専門学校を選択したこと」です。高校時代の担任教師に教わりました。 正確には、下記を教わった事が良い選択に繋がりました。 ①専門学校には「認可(or 無認可)校」がある。無認可校では卒業資格が取れない。 ②体験入学に参加して、教師と参加生徒を見れば、学校のレベルが分かる TakigawaCritica: 教わったきっかけは、「専門学校への進学を担任教師に相談したこと」です。個人的な進路相談の中で教わったので、全生徒が一律にこれらの知識を教わる場面は無かった、という認識です。 daisukesato: 自分は「高校の情報の授業で、先生が書いたもぐらたたきゲームのコードを読んだ」ことですね。数百行のスクリプトだったのですが、無限の可能性を感じた記憶があります。それから計算機室に通って色々と教えてもらいました。 yayoi_west: プログラミングの存在は従姉妹の夫から教えてもらって、競プロはネットサーフしていたら見つけて、情報科学の達人は情報オリンピックの会場で教えてもらったなど… twitter.com/nishio/status/… 5ducks5: この短さでとてつもなく核心に迫る質問に感動。 ちなみに私は他に選択肢が無かったので、ただがむしゃらに、目の前の事に全力でぶつかり続けただけ。つまりただの運。 twitter.com/nishio/status/… Shigelangelo: あひるさんと共通点があって何となく嬉しい。 「どうせ未来のことはわからない。」 「人生行き当たりばったり。」 で、気がついたらここにいた。というのが私の人生。 目の前のことに精一杯で、他の事を考える余裕が無いだけとも言えるけど。 5ducks5: ほんと、人生の岐路なんて無かったし、選択肢も無かったです IwanoriCOMB: これなぁ 今までの人生で選択肢と呼ばれるものは無数にあったんだろうけど、過去になってしまった以上全部必然にしか思えないんですよ。 過去の選択肢って何? honten: 「大学で東京に出て来れたこと」高校が進学校で田舎よりも東京に行くと面白そうと言うのを知ったことかなぁ。 sue1242: 歴代担当者の品質管理不良の尻拭いと、各部署からの理不尽な叱責、関係部署の調整業務で疲弊してた頃に、どこかの上司が「世の中ではビッグデータの活用で成果を挙げてるらしいから、我が社でも推進しよう」と言ってるのを聞いてのでデータサイエンスを知って人生が変わった(続く) twitter.com/nishio/status/… sue1242: 昔いた会社はIT音痴でそういう技術を活用しきれないだろうということ、組織が大きすぎて昔からのやり方を変えられないだろう、というのは目に見えていたので、ある程度勉強してから迷わずデータサイエンティストに転職した。転職前は仕事が苦しくて仕方なかったけど、今の仕事は楽しい sue1242: 元々ビッグデータの活用を言い出した上司は「製造現場の品質記録がたんまり貯まってビッグデータになってるんやから、それを解析したらかなり改善できるに違いない」程度の認識だったので、転職したのは大正解だったと思ってる。 解析目的で収集したわけでないデータは、いくらあっても何にもならない sue1242: 「データサイエンティスト」の存在を教えてくれたことにだけは感謝している。学生時代にやりたいことが見つからないま就職した会社で、理不尽なことが多い仕事を続けてたら、今頃心を病んでたかもしれない。 kusikurage: 選んで良かった選択肢:モラハラ元彼と別れたこと どうやって知ったか:親友が泣いて目が覚めたから(そいつと付き合っててもこの先良いことはない、「別れた方がいい」という選択肢に気付けた) 果たしてちゃんとした回答になっているかは疑問ですが…… twitter.com/nishio/status/… kusikurage: 補足すると、「普段気丈な親友が泣いた」という衝撃によって、「洗脳が解けた」というのがより近いかもしれません。それまでは「苦しいには違いないけど別れて独りになるのも嫌だ」と思っていた、つまり典型的な視野狭窄に陥り、それ以外の選択肢は存在していたのに視認することが出来なかったのです。 kusikurage: ここでは「選択肢の存在に気付けた手段」にあたるのは「他者の客観的な視線」ないしは「手を差し伸べてくれようとする他者そのもの」と言えます。そういう他者との関係性を築いておくことが、視野狭窄に陥らないための最大の防御策と言えるかもしれません。閉鎖的な関係が病みがちな理由もこれかと。 nishio: 事例を100件眺めて見えてきたのは「人に聞くスタイルは、まずそれに答えてくれる人をどうやって見つけるのかという鶏と卵の問題がある」に関して「自分の興味関心を発信してたら教えてもらえた」と「興味関心でイベント参加したらそこで知り合った人と意気投合した」が割と多いこと nao_namaz: 話が逸れるのでリプにはしないが、「知らないと選べない」の後に「知っていても選べない/選ばない」がある。私の場合、結果的に人生を良くした選択肢の存在も知っていたし親の柔軟性や経済力にも恵まれたが、自身の固定観念や慎重さ、行動力のなさゆえ twitter.com/nishio/status/… nao_namaz: 無意識に遠ざけたり迷ったりし、最終的には他の選択肢の成就可能性の低さや友人の言葉が背中を押してくれた、というパターンが多い。 nao_namaz: 思うに、元スレのリプ欄に多く見られる「知ったからやってみた」パターンは、「知ったらやってみるようなメンタリティ(行動力、積極性、勇気)を持っている人だからこそ、選択肢を知りうるようなアンテナの高さも備えている」なのではないかな。 nao_namaz: 「選択肢を見落としがちなタイプの人は、新たな選択肢を知ってもそこへ飛び込みはしない可能性が高い。つまり、実際の有効な選択行為に必要なのは選択肢を知ること以上に飛び込むメンタリティを持つこと」が私の仮説ってことになるかな。 jnishi: 学生時代に創薬ベンチャーでアルバイトしたことかな。研究開発的ベンチャーのこと知りたいなと思っていたら、1,2年時の同級生がそこでバイトしてる、と。彼がやってるなら面白そうと「やイコラてめえ、部活引退して時間ができる半年後俺もに混ぜろ」と言ってたら入ることに。 twitter.com/nishio/status/… jnishi: その後「他に一人連れてきて」と言われて学部の同級生を巻き込み、彼が更に別の同級生を巻き込む。その最後の一人が創薬ベンチャーでの経験を経て「ベンチャーっていいな」と感化され、大学院卒業待たずして起業。自分も創業メンバーとして参加。 masuidrive: PukiWikiでオープンソースプロジェクトを始めたことかなぁ 「伽藍とバザール」を読んでオープンソースの開発スタイルに興味を持ったことが「選択肢を知った」になるのかな。 あのプロジェクトで顔も見たことがない人との開発やコミュニケーションの仕方を学んだことがその後の仕事の基礎になっている twitter.com/nishio/status/… Fumiya_Kume: 「 IT系の勉強会に出たこと」「上京する判断をしたこと」が人生をよくしてくれたと思う。 抽象化すると、「チャンスが来た時にとりあえず掴みに行ったこと」が人生を良くしてくれた。 twitter.com/nishio/status/… Fumiya_Kume: 具体化して「Seckhac365に出た」「Windows Phone 向けのアプリリリースした」「某弊社に入社したこと」とか言うと適用はしやすいけど、役立つ人かなり少なくなるのでこれぐらいがちょうど良さそう。 okanyanen_curry: 鬱症状で内服してた抗精神薬をやめた。副作用で人生がめちゃくちゃになってしまってたけどやめて軌道修正することができた。内服をやめる選択肢を知ったのは同じ薬の違う副作用で苦しんでいる未来の自分に重なる方とであったからだった。一時的に苦しくなるけど未来に持ち越すのはやめようって思った。 twitter.com/nishio/status/… kanawang_: 「未来に持ち越すのはやめようと思った」 心に響きます。すごい判断力、勇気、そして継続力だと思いました。ヲ母さん、改めて素敵です。 okanyanen_curry: KANAさんありがとうございます 本当あの時に決断できたから今があるんだ!と自分の中でははっきりしているのでよかったです 20BENI20: 8年交際した恋人と別れた直後、知り合って3ヶ月ほど、対面回数2回ほどの、他県に住む相手と交際。かつてないほどの即断実行で職場に異動届を出し、相手の状況とほぼ同時に上京、約4ヶ月目に同棲を始めました。 文脈上、恋愛話を挙げることは微妙ですが…間違いなく「人生を一転させた選択」でした。 20BENI20: この選択肢を選べたのは「住まい、年齢、関わり方は重要でなく、人間は常に一対一の個人だ」「過ぎた瞬間は戻らない」という思想がありきで、それは経験と母の影響で得たものです。 職場も移住地も丸ごと変えての交際は大きな決断でしたが、何ものにも代え難い相手との縁を繋ぐことが出来ました。 Earwax97409510: ターゲットが中高生では刺さらないかもですが 選択肢…生活レベルを上げる 知った経緯…マンションを買った 更にその経緯…チラシ こう端的に書くとしょうもない感じがしますが実際カネの使い所や価値観のシフトというのは良くも悪くも人生に与えるインパクトは大きいと思います。 ryudo_k: いま飲食店を経営しているのですが、いろんなバーに客として出入りしていたことが経験として生かされていると感じます。 バーに通い始めたきっかけは、大学サークルOBの先輩に連れて行ってもらったことです。強く望んで行ったわけではなかったと思いますが、この一軒がきっかけだったな、と思います。 ryudo_k: 大学は芸術系、サークルはテーブルゲームで、先輩は飲食関係ではありませんので、どの時点でもなにかしらの意識を持って選択したわけではありません。 単に飲みに行っただけでしたが、気付かないうちに、今の人生に繋がるルートに入ったきっかけになっていたんだと、今では感じています。 yamadatanaka_: 大学に進学したこと。 なんとなく自動車整備士の専門学校に行くつもりだったが、高校の担任に強く勧められて大学進学した。 「自分の選択肢を増やす」為の手段として、大学進学と言う選択肢があることを知った。 fshin2000: 面白いネタなので反応。 デジハリに通ってたら特別授業中の講師の人に声かけられて、その人の会社に転職して今の流れにつながる。 声かけられるきっかけは授業の後の懇親でに前の席に座れたことなので、座席の選択か。1時間しか喋ってないけど、声かけてくれた。 twitter.com/nishio/status/… fshin2000: 他にもペパボ入るきっかけとか、BASE手伝うきっかけとか、いろいろありますな。日常の連続性を前提として、たまに非連続なタイミングがあって、それがチャンスというものだったり。選択肢とはそのことをいうんだろうな。 fshin2000: KMDだってかなり運命的な選択だもんな。モバツイやってて、馮さんと友達で、とか、いろんな積み重ねにTechLionでの砂原先生との出会いがあってタイミングも会社譲渡して時間があったからだし、とか。 tomokidaigo: エアーズロックへ旅行に行ったことです。 結果、英語スキル上げるために勉強して英語を話せるようになったし、旅行中のための対人スキルあげるために友達の友達の友達と遊んだりマッチングアプリやったり仲良くなかった人を遊びに誘ったりと、よく知らない人と交流することにかなり慣れました。 tomokidaigo: エアーズロックを知ったキッカケは中学時代に好きだったケツメイシの旅人というCDのジャケットを見たからです。いま見てみるとエアーズロックじゃないのかもしれませんが…「とてつもなくデカい岩がある!」と興奮して調べたらエアーズロックが出てきて「いつか行きたいな」と思ってました。 pic.twitter.com/gaL8k0Kb99 tomokidaigo: 調べ方は当時PCで調べたので、インターネットでしたね。 ちなみにケツメイシは僕が中学生の頃「さくら」等が流行っててそれから好きになって聴いてました。 ykokubo09: 同年代のエンジニアさんがやっていたPodcast、登壇を見たことですね。 当時仕事が辛くてしょうがない時だったのですが、自分で発信している人が楽しそうで、キラキラ輝いているように見えました。 そこから勉強し、アウトプットが本に(あくまでも共著者の1人ですが)なったので人生変わりました。 twitter.com/nishio/status/… minokiti: たしか氷河期の大学1回生だった頃。パソコンでお絵描きしたいと思ってデジハリの体験にいって、今に繋がる仕事を知った。(ライターじゃなくてウェブディレクターとか制作とかの方ね) ハマって大学ろくにいかずにサイト作ったりプログラミング試したり3D世界作ったりしてた。よく言えば探究心…? twitter.com/nishio/status/… rue_826: ISPのバイトをしたことで、関係してる前職の存在を知り、後輩に会社説明会に行こうと誘われて行ったら、自分が受かった…。 twitter.com/nishio/status/… tomoya0x00: 中学生の時、貯めといたお年玉でPCを自作したこと(我が家にPCは無かった)&MIDIの収集にハマってMIDIプレイヤーを作りたくなってHSPでプログラミング始めたことで、知った方法は twitter.com/nishio/status/… aiandrox: プログラミング:「プログラミング 学習」とかでProgateを見つけたことかな。 その後「未経験でも3ヶ月でエンジニアになれる!」みたいなのを見つけてまんまと乗せられたので、ある意味インフルエンサーには感謝してる。3ヶ月では無理でした。 twitter.com/nishio/status/… _okohs: 高専を選んだことかなぁ。どうやって知ったのか→学校に高専の先生が学校説明会に来ていた(多分親も参加していた)ただ、面白さを知ったのは公開授業かな。ちょうど誕生日当日で「皆勤賞のまま誕生日に学校サボれる!」という理由で行ったら授業の雰囲気とかゆるい校風とか大量の器具とか面白かった twitter.com/nishio/status/… _okohs: ゆるさエピソード:授業中にがっつり机の上に週刊誌置いて読んでる学生を見て 私「あ、授業中に漫画読んでる人いる…」 案内した先生「火曜日ですし早売りのマガジンですかね〜」 takekujira_: イオントラップをやることにしたこと。当時やっていた研究がきつくて、論文で知ったイオントラップが楽しそう過ぎてつらいという話を研究室の先輩にしたら、「じゃぁ、イオントラップやれば良いじゃん!」と言われたことでその選択肢が生まれました。それまで博士で研究室をうつる発想がなかった。 ICEBERG42113450: 妹から「お兄ちゃんは行政書士に向いていると思う」と言われたがその時はピンと来ず、何年も放置していた。 ある日、公園脇を歩いている時に、突然「行政書士試験を受けよう」と思った。 twitter.com/nishio/status/… MasatoshiEsqui2: 元嫁と離婚してから人生良くなった その選択肢にたどり着かせてくれたのは悩んでいた時に聴いたエミネムの歌です。何度も聴いた曲ですがその時確かに「今がその時だ」と僕を押してくれました。 ってこんなこと聞いてるわけじゃないか serima: 高専5年次に学生のためのビジネスコンテストKINGに参加したこと。 卒業研究で燻っていていろいろネットサーフィンしてたらアメブロでたまたま運営スタッフのブログを見つけて、ビジコンを知ったのがきっかけ(遠い昔の記憶なのであやふやですが) kame_a_shi: こんにちは。自分は 「今の会社に転職した事」で、前職の上長が「(上長の)昔の会社の同期がその会社で務めていて紹介してもらった」です。そこに至るのに「転職するが内定をもらった会社に不安があると上長にこぼした」事がきっかけですかね。 momomo_moz: 中学生のときカポエィラ始めたことかな、親が教師ってだけで虐められる治安やったのでとにかく属性を変えたかった、電車の車窓から「カポエィラ教室」って書いてたから降りて即申し込んだ(当時13歳なので親呼びつけた) twitter.com/nishio/status/… momomo_moz: そこからブレイカーと知り合ってブレイクダンスのめり込み、ブレイクダンスしたいがために勉強して当時大阪府下で飛び抜けて自由やった富田林高校受験して「自由には責任が伴う」を学生生活で叩き込まれた momomo_moz: どうやってその選択肢を知ったのか。。。 難しい、あのとき反対の車窓側にいたら見つからなかったと思う、今度でいいやで後回しにしていたら通ってなかったと思う、直感で手繰り寄せた。 miwarin: 選択肢が多すぎてどれだろう... FF5サントラのライナーノーツでゲーム開発という業界を知ったので情報系大学へ行った →PC-UNIXを知ったので使ってみたかった →手持ちのPC98にFreeBSD/98がインストールできなかったが →Software Design付録のPlamo Linux/98はインストールできた (続く) miwarin: 付属のMewを使ってみた →Mew作者の山本和彦氏の本(リスト遊び)を買ってみた →アキバのOSSの何かのイベントで山本和彦氏が登壇するので聞きに行ってみた →山本和彦氏がNetBSDというものを使っていたのでNetBSDを使ってみた →JNUGに参加してみた →at netbsd.org の人々が居た 今に至る tako_xx_tsub0: 【選択肢】地方私立中学への入学 【良くなったこと】寮のある中学だったので、様々な地方出身の人と生粋の地元民が混ざった環境で3年間過ごした。自分の立ち振る舞いや言動、等はここで学んだと思っている。 【経緯】バス車内に貼ってあったポスターを見て Mas_row: 試験を受ければ他大学の大学院にも進学できるということを知って、実行したことです。 そのことは、大学時代の部活の先輩が教えてくれました。 先輩とは特に仲が良かったわけではないのですが、 たまたま2人で昼ご飯食べることになって、その時の話題で教えてもらったんだったっけかな。 wakatono: もう35年くらい前の話になりますが…w 人生を良くした選択肢:電気通信大学に進学したこと。 その選択肢をどうやって知ったか:アマチュア無線をやってた高校時代に知り合った、(当時の自分から見て)すごい人たちが、電通大クラブ(JA1ZGP)のメンバだった。 wakatono: 電通大に入ったら、1年次のクラスや学友会執行委員会に、山ほど面白い人たちがいて(今でも付き合いが続いてる人もいる)、その後出会った後輩連中も面白いのが山程いて、その付き合いからバイク乗り始めたり、通信やMinixへの興味やX68000使った開発に発展したり、オタク系趣味への系統が進んだり。 yugui: AWDwR読書会に行った ← ruby-listで読んだ ← Rubyを知った ← OOなWeb開発言語を探していた ← Webプログラミングを知った ← 数学の先生に教えて貰った ← CLAMP公式サイト内の動的コンテンツの話をした ← CLAMPを知った ← 友達が熱烈なファンだった yujiro_san: 一年だけ働いた高級宿の中居業で学んだ事が今の仕事や生き方に繋がっている。 仕事何しようか悩んでいる時に、たまたま入った高齢の方が営業されてる居酒屋の女将さんに、誰でもできる事はいつでも出来る、ダメ元でいいから難しい方に挑戦しなさいって言われた勢いで宿泊業専門サイトで応募。 Pooh3Mobi: - 家族含んだ他人の言うことを間に受けても自分のためにはならないと悟った - 大きな電気屋さんに置いてあるネスケが使えるPCを毎週数回触りに行った この二つが大きく自分の進む道の根拠になりました。 情報系の大学を出てもよい就職ができず数年後Androidの職業訓練校に、後就職して東京に出たのが Pooh3Mobi: 大きなチャンスを掴むきっかけになりました。 次に、東京に来て客先でお仕事をしていましたが、そこでAndroid以外の案件に長期間行かされる事になりそうでしたがとても嫌だったので、二つ前の案件のお客さんにダメ元で聞いてみたところお仕事があるという事で、Androidの経歴を維持できました。 Pooh3Mobi: まとめるなら、臥薪嘗胆というか諦めない事がチャンスを生む。諦めない事が大事かと思います。