ハレとケと周辺参加
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現代のSNS空間をハレとケの文脈で見ると、もはや「非日常(ハレ)」と「日常(ケ)」の区別が失われ、常時ハレ=演出的・公開的振る舞いが日常化していると言えます。祭りのように限られた時間・場所で成立する対話的行為(アーレントの公共空間)が、SNSでは24時間いつでも強制的に開催され、私的領域の安息=ケすら奪われている──これが公共性の崩壊と活動の凡庸化につながっています。 また、「正統的周辺参加」(Lave & Wenger)でいうと、本来コミュニティの周辺から学びつつ中心へと移動するプロセスが、SNSではほとんど機能していません。経験や慣例を身につけるための〈見習い〉フェーズが省略され、誰もがいきなり中心=発言権を得ることで、討議の質は担保されず、浅い馴れ合いだけが増幅します。 まとめると、
1. ハレ/ケの境界消失 → 演出的な公開行為が日常化し、真の公共空間(ケの静かな蓄積を経たハレの場)が失われる。
2. 周辺参加の欠如 → 学習・慣習のプロセス抜きで中心へ飛び込むため、深い対話が育たず「凡庸なおしゃべり」ばかりが横行する。
この二つの視点を組み合わせることで、デジタル時代における公共性再生の鍵は、ハレとケの節度ある分離と、周辺参加を取り戻すフェーズド・アプローチにあることが浮かび上がります。
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たとえばランダムに選ばれた市民に「あなたが住民代表として議論してください」とやることは「正統的周辺参加」における正統性の付与であって、それをされた人はその議論の場において「非日常」になるわけだ