正統的周辺参加
2018-01-09
徒弟制を観察すると授業的な意図的教授はほとんど行われていない。 で、「正統的周辺参加」
「正統的参加」=「君はこのコミュニティの正統な一員だよと示すこと」 によって、周囲の熟練者ができていることを自分もできるようになろうというモチベーションの源になる
オープンソースコミュニティをイメージすると分かりやすい see: 二重組織 -----
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正統的周辺参加に関して読んでいる。
学びは個人がすることではなく、共同体がすること
学習とは構造の獲得ではなく、学習者が熟練者の業務に参加して役割が果たせるようになること
徒弟制的なのをイメージしたほうが良いのかな
いや、そう言うと語弊があるのか。教育を考える上で徒弟制を参考にしようという考え方は元からあり、色々な教育上の概念がもやっと徒弟制と呼ばれているけど、これは現実に行われている徒弟制とはあまり当てはまりが良くなく、より明確に現実に行われている徒弟制の特徴をとらえた用語としての正統的周辺参加の概念が生まれた、ということか。
「状況に埋め込まれていない活動はない」は公理として認めるのかな
あー、そうか。U理論のレベル2から3への移行を学び方に応用した際に、「答えが自分の外にあってそれを自分の中に模写する」という学び方から「お互いに教えあうことによって知識を磨いていくコミュニティ」としての学び方への変化だと理解していたけど、これの後者に関して、既に既存のコミュニティが確立している場合は、そのコミュニティに対する周辺的な参加を通じて学んでいると解釈することができるのか。 そうなると今までいまいち不明瞭だったレベル3から4への移行も「既存のコミュニティが存在しないところでの活動」への移行と言えるわけか。
そもそも従来型の学校教育が「文脈から切り離された抽象的な知識を教えることができる」という前提に立って設計されているものだ、という指摘。
なるほどなるほど、従来型の学校教育だと教師が「意図的教授」をして、生徒はそれを受け取って自分の中で「理解」「学び」するモデルだけど、現実の徒弟制を観察すると授業的な意図的教授はほとんど行われていない。こちらでは逆に、生徒が能動的に自分が知りたいやりたいと思ったことにアクセスして、それに対してのフィードバックとして「学び」が行われる。
たしかにこちらでは「学び」は社会的行為だな。で、「正統的参加」で「お前はこのコミュニティの一員だよ」と示していることが、周辺の熟練者ができていることを自分もできるようになろうというモチベーションの源になるし、「周辺参加」で最初は責任の重いタスクを与えられないことが自発的にもっと難しい物に挑戦する余地になる。だから正統的周辺参加、と。なるほど。