mem/Visual Thinking
2025-11-12
元々、解説したいことを図解することは割とよくあった エンジニアの知的生産術を自分で英訳する過程で「図解に日本語の記述が入っていると翻訳が面倒だな」と感じた
そこで図解には言及のためのハンドルだけを描き、詳しい説明は後から書くというスタイルをやり始めた
図解は絵と言葉の協力であり、特定の言語話者向けの伝わりやすさを最大化するなら今でもその言語を直接書き込むべきだと思っている Scrapbox(のちのCosense、この外部脳が最初に書かれるWebサービス)では、カード形式の一覧でそのページに最初に出てくる画像が表示される
タイトルと画像のペアになったカードとしての見た目になる
この活動をしばらく続けているうちに当初予想していない効果が見えてきた
言語的思考をしないで絵を描いている時がある
詳細に説明を考えてから解説のための図を描くのではなく、説明したいことを表現する図を描いてから、その図がどういう意味なのかを詳細に解説する、という思考の流れが発生した
絵の整合性が言語的思考より先に使われることで、絵を描く前に考えていたことと違う解釈に気づいたりする
また後から説明を書くので絵に直接書くより充実した記述ができるようになった
Scrapboxの機能として、文章中のキーワードを[ ]で囲っておくとそこが関連ページへのリンクになるので単なる図のストック以上の価値を持ち始めた
このような価値に気づいてからより一層、言語的記述と切り離した図を描くようになった
この言語非依存な図解にはなんらかの価値があるなと思っていた
その後、安野さんがAudreyとの対談でこういうことをした
イラストもたくさん溜まっているし、世界から注目されてるし、せっかく非言語的なコンテンツなのだからいい表示UIをつくるか〜となった
Claude Codeがタイル表示を作ってくれたけど、明示的に支持しなかったからScrapboxと違って画像にタイトルがつかなかった
それをみて、ついてない方がいいと思った
読者は言語的なネタバレなしにまず絵を見る
僕が表現しようとしたものXと違うものYをイメージするかもしれないが、それはXとYに予期しない構造的なつながりがあることの示唆になる
こっちの仕組みの方が面白いぞ、となった
最初は「イラスト」みたいなタイトルで作っていたが、より一層言語を排除して「ビジュアルシンキング」に寄せた方が面白い