BMOT20190411
BMOT主催の特別講義
東京工業大学 藤村修三教授
「ビジネスを学び、ビジネスを設計する」
平時のマネジメント
平時と緊急時で認知負荷が違うことによりマネジメントの形も違う
産業共和制
「企業」という単位ではなく、より高次のシステムを作っていく必要がある
国の統治が絶対君主制から共和制に移行したことのアナロジー
どうやって共通言語を作るかが問題
これをどうやって実現するかに興味がある。おそらく平時においては「企業」という単位でコンポーネントと考えるのは不適切な抽象化レベルなのだと思う。
書いた: 企業は過度の抽象化
金融資本の所有主体である「企業」を、知識資本の所有主体である「個人」がインターコネクトすることで、企業を超えた高次のシステムが作られるのではないか
Facebookでのメモ https://www.facebook.com/nishiohirokazu/posts/10217975133106458
2019年4月11日 ·
昨日の藤村先生の特別講義は面白かったポイントがいくつかあって、一つ目は緊急時のリーダーシップと平時のリーダーシップの差について。
緊急時は価値の軸が少なく明確になる。
「生き残る」みたいに。
なのでたくさんの情報の中から軸に関係ないものを捨てることができて、一人や少数の人が判断できる。
しかし平時には軸がたくさんあるので一人の人が全体を把握することが困難になる。
平時のマネジメント
定量的KPIに引きずられたりしがちなのも、軸が多様な状態で一人の人間が判断しようとするとその人の認知能力のキャパシティを超えるからだ。
この問題を解決するには、より具体的情報に近い位置にいる人に意思決定を委譲する必要がある。
情報の伝達、つまり言葉にして送信することと、言葉を受け取って理解することのコストが大きくなる
ちょうどティール組織の話題で議論されていたところだ。
ティール組織でも緊急時にはトップダウンの組織形態を選択するが、逆にいえば平時には選択しないわけだ
もう一つ面白かったところは「企業」という単位ではなく、より高次のシステムを作っていく必要があるという話で「産業共和制」と呼ばれていた。
その場合はどうやって共通言語を作るかが問題になっていく。
これをどうやって実現するかに興味がある。おそらく平時においては「企業」という単位でコンポーネントと考えるのは不適切な抽象化レベルなのだと思う。
金融的な資本においては企業がひとかたまりのものなのだが、知識資本においては個人がひとかたまりのもの
金融資本における単位である「企業」を、知識資本における単位である「個人」がインターコネクトすることで、企業を超えた高次のシステムが作られる
あ、そうか、平時と緊急時って言ったけども「追いつけ追い越せ」の状態は軸が絞られてるからこの二分割だと緊急時の側の仲間なのか
明治以降、追いつけ追い越せ価値観に基づく経営が行われてきた
中山 ところてん
追いつけ追い越せの軸が、よいものをより安く=量産効果だった。
で、それが終わってしまったので、どうすればよいのか分からなくなっている?
そう考えると、「平時と緊急時」というより「軸が絞られている状況」「軸が絞られてない状況」とする方がいいのかもね
2023-07-27
今振り返るとPluralityや地球規模の熟議の話
「共通言語をどう作るか」から、「LLMが通訳すればいいよね」になった感じ