解決できるかわかれば満足
「成果が出ているのに立ち消えるプロジェクト」について今まで「『熱意』が必要」「熱意は希少なリソース」と考えていたが、その「熱意」とは何かが曖昧だった。 今回プロジェクトが立ち消える原理を「熱意」という曖昧な概念を使わずに説明することができた。
何か課題Yを見る
他人Zが抱えてるように見えることもあるし、そうでないこともある
「それは方法Xで解決できるはずだ」と思う
解決策の思いつき=仮説
Xを作ってみる
Yが解決されない場合
解決することではなく仮説の検証が目的だったので「この方法ではうまくいかないことがわかった」で満足する
必ずしも別の解決策を考えない
Yが解決された場合
自分の作った解決策で問題が解決された!万歳!
Zがわかっている場合
そのYの解決によってZが幸せになるかどうかにはあまり興味がない
Zがわかってない場合
そのYの解決によって幸せになる人がいるかどうかにあまり興味がない
関連
一連の考察で部品が浮かんでて、それがうまくつながった感じ
何がきっかけだったのか改めて振り返ってみると午前にやった会議の刺激だと思う
それは技術力のある人を課題を持っている組織にマッチングする話であった
その課題が仮に明確であって、かつ解決策が思いつかなくて困ってる状態であったとしても、僕個人は「解決策の案を出す」まではやってもいいが、実際に解決をやる気が起きない、それは一体なぜなのか
それはおそらくこのタイプの始まり方をしたプロジェクトがしばしば立ち消えるという経験からネガティブな学習をしてしまっているからだろう: 学習性無力感 それを避けるためにはZが明確であるといい
もう一つの方法は、プロジェクトの早い段階でZの存在を確認し、解決によってZご幸せになっていることを観察できる状態に持ち込むこと
この場合の顧客はビジネスにおけるそれと違って「支払うかどうか」ではなく「幸福になるかどうか」
作り手はZが幸福になることによって「やってよかった」という達成感を得る