知的生産
「学ぶ」と言うとき、暗黙に「知識は自分の外にあり、それを自分の中に取り込む」というイメージを持っていませんか?しかし、自分の外にある知識、たとえば教科書に書かれた知識は、「すでに誰かが作り出して流通させている知識」です。知識は複製ができるので、その知識が流通している時点で、すでにその知識を持っている人は何人もいることでしょう。ということは、外の知識を取り込んでも、その知識では、差別化につながりにくいのです。 一方、実際の応用の現場で必要に応じて生み出された知識は、流通しておらず、現場の状況にフィットした価値の高い知識です。つまり、知識を持っていることではなく新しい知識を生み出す力が、価値の源泉なのです。具体例で考えるとこれは当然だと思えるでしょう。プログラミングの教科書に書かれたことを丸暗記しても差別化にはならず、状況に応じて新しいプログラムを生み出す力が価値の源泉なのです。当然ですよね。この「生み出す力が価値の源泉」という考え方が、プログラミング以外の領域にも当てはまるのです。
この「知識」が抽象概念なのでもっと具体的にする必要がある
教科書などに書かれている知識は「既に流通している知識」
なので「状況に合わせた知識を生み出すこと」に価値がある
知識は行為によって証明されなければいけない
---
知的生産に関してすっきりとまとまっている記事
"知的生産"で検索して見つけた
知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ
要素
頭を働かせる
新しい
生み出されるものの価値
「人にわかる形で提出」は条件が厳しめ
まず自分にだけわかる形で言語化されて、それからそれを磨くことによって他人に伝わる表現になる、と解説した
知的生産は言語的に定義しなくてよいと思っている。ヴィトゲンシュタインのゲームの定義と同じ ドラッカーの知識労働者の概念を絡めるとよいのではないかな 知識労働者が生み出すのは、知識、アイデア、情報である
だいたい同じことを言ってた
ドラッカーが懇切丁寧に説明してる
あった、これだ
長いので要約すると
人間は道具を使うことによって能力を向上させてきた
物理的な道具だけではなく、知識によっても能力が向上する
そのような知識を生み出すことにメリットがある
=知的生産の必要性
知識を生み出す能力を向上させるような知識がある
=知的生産術