思考の結節点2024-10-09
日本人はルールを守らない
規律を守る
ルールを守るという規律がない
規律とはなんなのか
gpt.iconフランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーが提唱した「一般意志」は、個々の利益を超えて、社会全体の幸福を考慮する集合的な意志のことです。東浩紀の『一般意志2.0』では、この「一般意志」は、空気を読む感覚に近いとされ、つまり無意識のうちに皆が共有している価値観や意識を反映したものです。
gpt.icon帰納は、個別の具体的な事例から一般的な法則や原理を導き出す推論方法です。例えば、何度も太陽が昇るのを観察して、「太陽は毎日昇る」という結論を導くことが帰納的推論です。
AIがいくつかの「個別の具体的な事例」から正しいとは限らない一般的な法則や原理を導いたら「帰納」 規律とはなんなのか
職場で異性の体に触れた人が解雇される
そういう行為をしてはいけないという倫理が生成される
ある人が行為Xをやって実力者に殴られる、それを見ていた他の人が行為Xを行うことは倫理的に良くないことだと考える、これによって倫理が生まれる
gpt.iconこの考えは、観察された結果や社会的な経験を通じて倫理が形成されるというプロセスを指しており、倫理学では「社会的学習」や「帰結主義」に近い概念と考えられます。 まず、観察した行為に基づき、他者が行動を倫理的に良くないと判断するというプロセスは、経験から学ぶ倫理的判断の一例です。これは、人々が他者の行動とその結果を見て、自身の倫理基準を形成するという「社会的学習理論」に関連します。この理論は、バンデューラ(Albert Bandura)の「モデリング」や「観察学習」に基づいています。行動が報酬や罰を受けることを見て、それが倫理的に良いか悪いかを判断するのです。 このような倫理の形成は、個人の観察と経験に基づいており、社会的な影響や結果が重要視される考え方といえます。
マッキー(J.G.マッキー、John Leslie Mackie)は、倫理学の分野で「エラー理論(Error Theory)」を提唱したことで知られています。彼は、倫理的主張がすべて「間違っている(false)」とする立場を取り、人々が道徳的な事実を信じる理由は、誤った仮定や社会的な条件付けによるものであると論じました。 具体的には、マッキーは道徳的主張が客観的に正しいとされることを否定し、道徳は客観的な基盤を持たないと主張しました。彼の「エラー理論」は、私たちが道徳的に正しいと思うことは、実際には社会的な習慣や個人的な信念によって形成されたものであり、客観的な真理ではないとしています。
したがって、あなたが述べたような「他者が行為Xを行うことを見て、それが倫理的に良くないと判断する」という状況も、マッキーの理論では、人々が社会的な経験や観察からそう感じるものの、それが客観的に正しいかどうかは別の問題であると捉えます。つまり、道徳的判断は一種の「錯覚」であり、実際には客観的な根拠がないと考えるのがマッキーの立場です。
この意味では、他者の行動を見て倫理的判断が形成されるというプロセスに対して、マッキーはそれが「社会的に構築されたもの」であるとし、それが客観的な事実ではないという点で批判的な立場を取ると言えます。
Twitterで炎上することによって解雇される
この解雇に関して暴力を発動してるのは雇用主
SNS上の炎上は直接的暴力ではない
ピタゴラスイッチ
被害者のロールプレイによって暴力装置をハックする
このような炎上を仮想敵国の言語で行うことのメリット
自衛のために周囲の自由を萎縮させる
人が死なない
地獄