伴走型プログラムの採択にQVは向いていない
これは「伴走」の性質が貨幣と異なっていることに起因する Quadratic Votingは合意形成メカニズムの一つであって、分配する財の性質などの状況によって向き不向きがある。なんでも良くなる魔法の杖ではないことに留意が必要だ 具体的な例
PMが4人いる
プロジェクトAには1,1,1,1の票が入り、プロジェクトBには15,0,0,0の票が入ったとする
この時Quadratic VotingではプロジェクトAが選択される
PM1の視点から見ると「自分の一押しのプロジェクトBが他のPMに理解されず不採択になった」と見える
仮にプロジェクトA(+1)の伴走をすることになったとしてもプロジェクトB(+15)に対するものと同等の熱意を持つことは難しい これは「熱意」というリソースが個人と密結合で切り離すことができず、外的にコントロールすることも困難であることに起因している 「熱意」を価値として提供するプログラムは、この貴重なリソースがどうすればより多く産出されるのかをよく考えなくてはならない
「伴走」の提供にはQVは向いてないよというのがここで僕が書いたこと
逆に伴走を取り除いた「資金提供」の部分はそうではない
例えば未踏ジュニアのソフトウェアプロジェクトとハードウェアプロジェクトがどちらも予算50万なのはイマイチという問題をQuadratic Fundingで解決するのはアリだと思う 関連
この記事を書いたきっかけ
別の条件での審査では、現状の評価項目ごとのスコアリングが適する場合もあれば、二次の投票 (Quadratic Voting) や、それを応用した Quadratic Funding が適した場合もあるかもしれません。
条件によって向き不向きがあるという指摘にまったく賛成で、では「どのような場合に適しているのか/いないのか」「どのような場合に適していないのか」を言語化した方が良いなと思った
未踏ジュニアは「得点の和や平均で評価してはいけない」と考えている
この方式はそもそも複数のメンターの合意形成を必要としない
足切りのためにランキングをつける場合に「順位の調和平均」が用いられるケースがある
「複数人の合意形成で採択」ではなく「一人のPMの目利き」にすることで社会的手抜きが抑制される 採択したプロジェクトがイマイチな結果に終わった場合、PMの目利きの能力が悪いことになるため
他のPMが評価しなくても、PMは自分の目利きの能力を信じて自分の採択したプロジェクトを応援するインセンティブがある