他人の存在の実感
物に対して「見えないところに置いたら存在を忘れてしまった」ということはよくある
観測し続けてないものが、観測してない間も存在し続けているかどうか
論理的には「存在している」と考えるが、実感としてはしばしば「存在していない」と感じているようだ
これと同じことが他人に対しても適用される
会ったりオンラインでやりとりをしたりしてない間、相手が存在している実感がない
全員がそうなのではない、人によって差がある
初対面の人は別れた後にはすぐに非存在になる
繰り返し会うことによって徐々に「この人は僕が見てない間も存在しているのだな」という実感が湧いてくる
オンラインで頻繁に情報発信をする人は、頻繁に「見る」ので実在化しやすい
ただしSNSのアイコンで認識されるので、実写でない場合には「実際の顔は覚えてないが存在してる実感のある人」という感じ
オンラインで他人に話しかけることが少ないのは、そもそも他人が実在してる実感が少ないから
相手が実在してない場合にDMをすることは虚空に語りかけるような無意味な行為
だから後からでも読める場所に書いて投稿する形の発信が多い、これは相手を特定しないコミュニケーションスタイル
コミュニティの存在にあまり実感が感じられないのは、そもそもその構成員に対して存在の実感を持てていないから
コミュニティはメンバーが継続的に存在し続けていると感じられなければ成立しない
一方でプロジェクトの実行中は密にコミュニケーションが取られているので、相手が実在している実感がある
マーダーミステリーのプレイ中も密にコミュニケーションが取られるので、相手が実在している実感がある
過去の議論
プロジェクトの束としてのコミュニティ
社会は二つある
関連して昔の記事が発掘された
卒業生コミュニティから目的志向のプロジェクトチームが生まれる
個体認識ができる場
個体認識 / 個体識別ができるかどうかという観点は面白い
マーダーミステリーのプレイ中は8人くらいだから個体認識ができてる
30人くらいのマーダーミステリーに一度参加したけど、それは個体認識ができないので困難を感じる
プロジェクトを解散するとメンバーが1億人くらいの個体識別されない海に溶ける感じ