社会は二つある
A: 「すべての人の集合」である社会
B: 「自分がインタラクトする人の集合」である社会
BはAの部分集合
人はBしか観測できてない
多くの人はAを「あるだろう」と思っているが個人にとっては観測事実ではない 後者の世界に「他人の存在する権利」はない
SNS上で観測範囲にある人Pが居てほしくないと思ったらミュートすることができる
人Pをその社会から非存在にできる
各個人に主観的な社会があり、その社会において他人Pを無視する権利がある
他人Pには無視されない権利はない
名前をつけるべき
客観的社会は観念上の存在であって、それが実在するのかどうかは検証できない
どうしてこんな話になったか
都知事選でブロードリスニングをした
社内でもブロードリスニングをした
「社会という言葉で都とか国を想像する人が多いけど会社だって社会」
会社は都の部分集合…ではない(他の県に住んでる人もいる)
国の部分集合でもない(他の国からリモートワーク可能)
「すべての人の集合」を社会Aとすれば「社会Aの部分集合であるような社会X」が存在するな
アフリカで児童労働をさせられている人Pがいるかもしれないけど、大部分の日本人はそれを観測していないし、普段無視して生活している
いや待てよ?会社の中にも「観測してないから存在を知らず、普段無視している人」がいるな
つまり個々人それぞれに「観測している人の集合」という社会Bが存在しているんだ
これは個人の観測によって定義されているので当然個々人によって異なる主観的なもの
A: コミュニティが個々人の認識によらず客観的に存在していると考えるなら、それは観念上の存在であり実在を検証できない