主観的なコミュニティが重なり合っている
https://gyazo.com/9ba293f62ba03d5a90958d6eda5bd0d5
1: こんな感じの人のあつまりがある
https://gyazo.com/b59dbc606cc558f567767a036fb1a762
Aさんは「みんなコミュニティのなかま!」と思ってる
https://gyazo.com/219069cf66402fee3cd3ef817b748b37
Bさんは「A, B, Cが常連コアメンバーで残りはゲスト」と捉えている
https://gyazo.com/6c46d54ebe02bea46058923a113c81a7
Cさんは「Fさんも仲間でしょ」と思ってる
https://gyazo.com/f67552816620c43584bfcc39184ba533
Dさんは自分も「A, B, Cと同様の常連コアメンバー」と思ってる(がBもCもそうは思ってない)
https://gyazo.com/7284497014b226aa6ef73a0b3e740a33
Eさんは「一度イベントに参加しただけであって、コミュニティに所属してるわけではない」と思ってる
https://gyazo.com/b99dd61345d211526585ad91fa7d8a10
Fさんは「友達のCさんと一緒にイベントに参加しただけで、Aさんのコミュニティに参加したわけではない」と思ってる
https://gyazo.com/7a0174ff2a1fef63d840372ba5ce924f
2: このような個々人で異なる多種多様なコミュニティ所属感が重なり合って「なんとなく色濃い、境界の曖昧なグループ」ができている
https://gyazo.com/702e1ec6c77a3ee192392a31c145c599
「社会は二つある」の「コミュニティは客観的には存在しない」は「コミュニティが客観的に存在するのではなく、それぞれの人々が主観的にコミュニティだと思ってるものがあって、それが重なり合って境界の曖昧なグループができている」と噛み砕けば同意できるのでは? それぞれは個々人の信念
例えばグループチャットを作ってそこに突っ込むとか、コミュニティ参加のイニシエーション儀式があるとかの場合には人々が同じ範囲をコミュニティと認識して共有信念に発展しやすい。