乳幼児的感覚から抜けられないと駄サイクルになる
この「乳幼児的感覚」をもう少し解像度高く記述したい
乳幼児は通常、すべての行動に対して正のストロークを受け取る 時に叱られるなどの負のストロークの場合もあるが無視されることは少ない
一方、これは明らかに外れ値
なので、ほとんどすべての人は自分に対してポジティブにもネガティブにも反応しないのが当たり前
この2つの認知的状態をいつの段階でか移り変わる必要があるが、移り変わらなかった人がいる
「幼児的万能感」という言葉はあったけど、それとは違う感じ
「幼児」で検索してみる
ある人Aがその行いについて別の人Bからポジティブに評された。しかしAはBの発言の一部の単語の選択が気に入らなかったらしく、SNSで愚痴っていた。
AのこともBのこともよく知らない立場からすると、このAの振る舞いは「自分の気持ち良い表現でほめてくれなきゃ嫌だ」と言ってる幼児のように見える。
自分が書いたものに対して反応がないのが当たり前の状態である。ブッダですらそうなのだから自分の書いたものに反応がなくても当たり前であり、反応があるはずだと思うのは思い上がり、もしくは「周囲が自分に注目するのは当たり前」という幼児的感覚
一人っ子幼児が普段親からの注目を集めてて、親戚の集まりとかに行った時に他の大人も当然自分に注目すべきだと期待したが、大人が自分をほったらかして大人同士で話し込んでて不愉快な気持ちになって注目を引くためにわざと悪いことをする