プラグマティックな議論
プラグマティックでない議論とは「ピンの先に天使が何人座れるか」みたいな物だろうか
僕はデフォルトの価値観がプラグマティズムなので「この議論の結果がどうであれ僕の人生に価値をもたらさないのでどの回答も同等に正しい」と考えるだろうし「この議論に参加することは時間を消費して利益を産まないので正しくない」と考えるだろうと思う。
実用主義の議論と、僕が実用主義である場合の僕の議論、に違いがある
実用主義の議論はLinuxの議論のように「こうあるべきだ」ではなく「こうだと便利」による議論
僕が実用主義である場合の僕の議論、はだいぶ違う
僕が実用主義であるとは、物事の「正しい」の定義が「僕の人生にとって有益」だとすること
この場合は他人が「こうした方が便利」と主張したとしても「でもそれ僕には便利ではない」でリジェクト可能
「Aさんにとっては、そうした方が便利」という情報は僕にとってプラスでもマイナスでもないのでアクセプトしてもよい
「〜であるか、否か」という系の議論、「〜であるとAさんは認識している」「〜でないとBさんは認識している」なので両方アクセプトできる
争いにならない
「僕は〜ではないと思うけど、Aさんは〜だと思うのか、へー、そうなんだー」で終わるので議論を戦わせる必要がない
戦って利益のないところで戦うのは、戦うための労力の分だけマイナスなので、その行為自体が僕にとって正しくない